要介護5の祖母の在宅介護記録。

要介護5の祖母を在宅介護している。在宅介護の記録。

傷口が開いてしまったゆえ再び手術室へ。

2023-11-14 13:51:00 | 日記
11月13日(月)
15時半頃、面会に行った。祖母の希望の助六寿司を持って行った。いなり寿司2個、赤飯2個、かっぱ巻き1個、食べた。さらにメイバランス1本、ヤクルト1本も飲んだ。すごい!としか言いようがないくらい食べられるようになった。


(多種類を作るゆとりがないのでスーパーの惣菜、様様です🙏)


祖母は、折り紙で鶴の折り方を忘れてしまったり、日曜日に面会に行けなかったことに気がついていなかったりと多少ボケている部分もあるけれど、対面で会って話すとしっかりしている。1ヶ月前が嘘のようだ。


そして、私はよく食べてくれたなと思って帰路についていた。しかし、その時、電話が鳴った。病院からだ。何だろう。。。


整形外科の執刀医からだった。執刀医曰く、下肢切断した部分の傷口が2cmほど開いてしまい、バイ菌が入ってしまったとのこと。そのため翌日、洗浄をしなければならず、それは痛みを伴うので手術室で麻酔をかけて行う。傷口の深さやバイ菌の入り具合によっては、再び骨を削る可能性もあるという内容だった。


またか・・・。良くなってはまた何かが起きる。たった先ほど、元気だと思い込んでいた祖母の脚の傷口が開いてしまっていたとは夢にも思わなかった。そして、何より再び麻酔をかけることに対して私は不安に思った。体への負担、認知機能がまた衰える可能性など。


実は、11日(土)に某施設にも面談に行き、人間味のあるあたたかな施設長とお話し、「そこが受け入れてくれたらいいね」と母と話していたところだった。もちろん、病院で診てもらえるのは医療が整っているという面で安心感はある。そして、執刀医も主治医も信頼できる先生であることに変わりはなく、感謝している。


ただ、祖母の「自宅に帰りたい」というおそらく最後の願いが少し遠のいたこと、再び私の名前を忘れるほどにボケてしまうのではないか、食べられなくなるのではないか、祖母の身を案じた。同時に、ここまで積み上げてきたものが少し崩れる音がした。でも、やっぱりこういうことも思うようにはいかない、そう思うしかないのだ。
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私の味覚形成は祖母と香川県にあり。

2023-11-11 23:01:00 | 日記
本日は闘病記録とは別の観点で投稿します。


家庭の味、母の味、おふくろの味など慣れ親しんだ味や好きな味覚があると思います。私は、夏休みや冬休み、春休みにずっと香川県にいた影響からか、祖母の味が今でも大好きです。


今、思いつく範囲で祖母が作ってくれていたものや祖父・祖母の家で食べていた思い出深いものを箇条書きに記してみます✍️


餡入りの丸餅が入った白味噌仕立てのお雑煮→今でもお正月は白味噌一択。当時は、お餅は年末についた手作りのもの。出来立ては大福のように柔らかくておいしいので、食べ過ぎないように母に注意されていた😂

・ヒャッカと豆腐を炊いたもの→祖父と祖母の地域はヒャッカと呼んでいたが、マンバという言い方もある。川崎では手に入らないのが残念。

・しょうゆ豆→祖母の手作りのもの、祖母はそら豆も作っていた。今は、大西食品のものを時々オンラインや物産展で買って食べている。

・祖母が育てたザボン、ブンタン、マクワウリ、スイカ、イチゴなどの果物(分類によって野菜)

お味噌汁→具材は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ワカメのものが好き。

祖母が焼く目玉焼きに祖母の家にあった醤油をかける。

祖母お手製の漬物→キュウリが好き。ナスやニンジンは苦手でキュウリがタッパーに入っているとラッキーと思って食べていた🤫奈良漬は匂いだけでも苦手だった。

・雪印のバニラバー→当時は銀紙に包まれていた。納屋の冷凍庫に入っていて、よく食べていた。

今、パッと思いつくのは↑です。そんなこんなである日、母と私の会話でこんなやりとりをしました。


私:私、おばあちゃんが作ってくれていたものが今でも好きなんだよね。好きな味がおばあちゃんものばかりで悪いわね🥹
*母の作る味だとお好み焼きとミートソースが好きです

母:ぜーんぜんっ!😆

私:私、香川県の味が好きなんだよね。私の味覚形成に大きく影響したと思う。あの頃、食べていたものが今でも好物だもん。

母:私は畑から採ってきたかぼちゃや芋、豆を毎日のように食べさせられていたから、もう一生分食べたわ。

私:そういうの、贅沢っていうんだよ。私、それ全部好き。畑から採れたものを食べられるなんてすごく贅沢。おばあちゃん、農作物を作るの上手だったよね。私、おばあちゃんから大きな段ボールで荷物が届くの、嬉しかったもん。でも、酸っぱいだけのゆかりと苦いウコンは嫌だった😂

母:あれは有り難かったよね。たくさん送ってくれたから助かってたわ。


など。私は、幼少期と学童期は主に東北で暮らしていて、休み期間は香川県に行き、自然豊かな場所でのほほんと生きていました。一方で、母は香川県で生まれ育ち、東京に憧れて東京に出てきました。香川県に帰る意思は初めからなかったと言います。だいぶ前にその話を聞いた時は、「うわ、強っ。私と価値観が全く違うわ。」と思いました。

太田裕美さんの木綿のハンカチーフという曲は、男性が都会の色に染まっていくと捉えていますが、その女性バージョンが母だと思っています。それから、加山雄三さんと谷村新司さんのサライでは、「遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた」が母にぴったりで、3番の歌詞の「離れれば 離れるほど なおさらにつのる」は母にはないそうです。


でも、私は香川県で生まれてそこでずっと育っていたら、たぶん香川県に居つづけていただろうなと思います。もちろん、if(もしも)の話なのでどうだったかはわかりませんが、なんとなく私はそんな気がするのです。


さて、私の幼少期や学童期に話を戻すと、しつけをしなければならない母に比べて祖父や祖母(特に祖母)は優しかったですし、田んぼや畑で色々と作っていたので、季節折々の香川県の味が大好きでした。それが今の私にもつながっていて、色々と楽しませてくれた祖母には少しでも長く生きてもらいたいです。それから、私が香川県愛や田畑の良さをすごく語るので、母も最近、私に少しばかり影響を受けてきたようです🤭


写真:香川県三豊市の父母が浜(ちちぶがはま)香川県のウユニ塩湖と言われています♪


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個室の落とし穴

2023-11-09 19:08:00 | 日記
最近、祖母の調子が良いです。血液検査レベルでは栄養が不足していますが、話し方や目の座り方が少し前と違います。酸素吸入も外れました。


私の手を握る力も強いですし、前日に私と話した内容を覚えています。それから、メイバランスを面会時に必ず1本は飲み干し、ヤクルトも1〜2本飲んでくれます。しかも飲むスピードが入院前のように速いので「ゆっくり飲んで」と書くくらいです。


ここ最近、祖母の身の回りで変化がありました。それは、10月30日に個室から大部屋に移動したことです。なぜ、そのようになったかというと、祖母が個室だと色々なものに対して「恐れる・怖がる」ようになったからです。
たとえば、これまで全く怖がらなかったカメムシやヤモリが外側の窓についているだけで怖いと言い、明るいうちからカーテンを閉めていました。それから、面会から帰る際、異常に寂しがり声を荒げて・上げていました。また泣いているふりをしたり、病院に泊まってほしい・一緒にいてほしいと言ったりしていました。


このことを母と考えてみました。そして、

①一人で病室に24時間いると、死への恐怖が増幅するのではないか 
②人の気配がないことの寂しさや孤独、耳が聞こえないこともあって、より感じているのではないか

との結論に至りました。祖母は耳が聞こえない分、昔から人の動向を目でよく追っていました。8月に間質性肺炎で入院した当初は「祖母が個室は高いから申し訳ない」と言っていました。その時点では、認知機能に問題がなかったので、個室の方が気が楽だったと思います。また、下肢切断の手術直後は体への負担が大きかったので、怖い、寂しいということは訴えてきませんでした。

しかし、その後、徐々に傷口もよくなり体が回復してくると「個室=ひとりぼっち=怖い=寂しい=死への恐れ」のような思考になっていたのかもしれないと思いました。


実際のところ、10月23日に大部屋への移動を希望し、30日に整形外科病棟の大部屋へ移りました。その夜、面会に行ったのですが、いきいきとして目に力があったのが印象に残っています。前方や隣のベッドにどのような方がいるか、など祖母から話してきました。さらに翌日になると、個室の時はほぼ見ていなかったテレビを見ていました。


そして、11月になり整形外科病棟から呼吸器内科病棟の大部屋に移りました。私は数日間、お見舞いに行けなかったため、ここ数日、見違えるように祖母の調子がいいことをより感じました。そして、6日も7日もこれまでの悪いときが嘘のようにしっかりとしていて、私が書いた筆談に対して滑舌もはっきりとし、声の大きさも十分に答えてくれます。食事についても(祖母の自己申告ゆえ正確にはわかりませんが)味噌汁とお粥は食べているそうです。塩分を摂らなければならないことも本人が理解しました。


ただし、すべてが元のように戻ったかというとそうではありません。やはり右脚を切断したことについては、よくわかっていなさそうです。手術や脚のことについては触れてきません。でも、このことに関しては辛い思いをするくらいなら、わからないままでいいと思っています。


当初、個室を希望したのには理由があります。個室の場合、面会時に家族が個室に入って行けます。一方で、大部屋の場合は、コロナ対策のため談話室での面会になります。個室がいいと思ったのは、手術直後はベッドで運んでくれるとはいえ、談話室に運んでもらうのは、しんどいと判断したからです。しかし、病状が回復するにつれ、祖母にとっての個室には「孤独」「不安」という名の落とし穴があることに今回、初めて気がつきました。
*あくまで祖母の場合です。

さらに、整形外科病棟より呼吸器内科病棟の方が看護師も面会に来る人数も多く感じます。病院なので、何と表現するのが正しいのか言葉選びに迷うところではありますが、簡潔に言えば人の行き来が激しいです。そして、呼吸器内科病棟には祖母が覚えている看護師もいます。祖母にとっては、このようなことがいい刺激となっていい効果が得られているのかもしれないと感じています。


でも、相変わらず血液検査でアルブミン値が1.8と栄養状態が悪いことには変わりなく、尿管も繋いだままです。そのため、安心できるわけでも心から喜べるわけでもありません。しかし、波がありながらも89歳でここまで回復した祖母の生命力が孫ながらすごいと思っています。


【メモ】
11/8(水)回診のためごく短時間、メイバランス1本だけ飲ませた。

11/9(木)左手首に包帯していたので、聞いたところ、表皮剥離しているとのこと。皮膚科の看護師が再び来週診てくれるそうだ。写真を見ながらお喋りをした。


【写真】
Amazonで箱買いしたメイバランス。配食と同じ形。形が違う同じ量のメイバランスをずっとドラッグストアで買っていましたが、こちらの方が1本あたり60円〜80円安いです。配食されたものと混同しないよう、シールを貼っています。



☟私の名前を書いておいた方が祖母に刺激があるので、書いています。

(私は祖母に「がんばって」と伝えていますが、この言葉は負担になることもあると思うので、あくまで私から祖母に対してです)



飲んでくれているようです✌️






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2ヶ月半経っての告白。

2023-11-06 13:35:00 | 日記
【某日、書いたものを本日更新。ゆえに本日のことではありません】


こんにちは。祖母が入院している病院に来ています。お昼ごはんを食べていないので、一人黙食で院内の売店で買ったものをつまみながら更新します。


飲食なのでマスクを一時的に外すわけですが、周りを見てふと思うのです。コロナで色々と変わってしまったなと。それでも今は限られた時間ではあっても、面会できるだけよくなったんだなと。こう思うのも、もう一人の祖母は2020年の夏に入院し、秋に亡くなったからです。ご存知のように当時は制限が厳しく、面会ができないまま、会えた時は棺の中でした。


今日は、まだ明るく早い時間に病院にいますが、平日の夜、面会が可能なスレスレの時間になると、スーツ姿にリュックといった格好の方々で受付が混みます。私もその列に並びながら「みんな仕事を切り上げたり終わったりしたあと、満員電車や渋滞に巻き込まれて急いで来たんだろうな」としみじみ感じます。


私もこの生活が気がつけば、2ヶ月半経過していました。最初に祖母がびまん性間質性肺炎で入院した際、生命の危険があったので私の家族以外の'ある3人"にも連絡しました。「伝えなければ」と。しかし、その3人の誰からも返信や連絡が来ませんでした。私は怒りやら呆れるやら絶望やらで震えました。しかし、家族に説かれて、一度だけ電話で話したのを最後に連絡することをやめました。


なので、その3人はこれまでの経緯も下肢切断をしたことも、栄養状態がギリギリで生きていることも知りません。ある意味、不幸中の幸いなのは、祖母自身がその3人の顔も忘れてしまったようで、寂しがることが一切ないことです。これで祖母が名前を呼んだり、「会いたい」と言ったりしていたら、私自身、胸が締め付けられる思いだったと感じます。


医療関係者の話によると、やはり入院をしても色々な人間関係が見られるそうです。たとえば、家族や親戚一同が次々とお見舞いに来る患者さんもいれば、誰も来ない患者さんもいる。さらに入院費を支払うのを拒否する家族もいるとのことです。


これは、あくまでも「私の場合」と捉えていただきたいのですが、看病も介護も手術を待つ時間も面会に通うのも、心身ともに相当エネルギーを使います。様々なことと折り合いをつけること、家族間でも考え方に違いがあり時々歪みが生じること、切断した脚に遭遇したり骨となって帰ってきたりなど慣れないことの連続を受容すること、人に期待しないこと、さらにケアマネや在宅医療関係者、ソーシャルワーカー、医師、看護師、役所など色々な方と連絡をとって話し合う時間も必要になります。


仕事や日常生活の上に、これらが加わるので大変です。表で見えていることはほんの一部で、裏ではドロドロしていることがたくさんあります。この記事を投稿したのも「綺麗事だけでは済んでいない」と正直に伝えたかったからです。そうでないと、このブログの意味がないと思いました。それゆえ、これが私の正直な告白であり、ブログに書ける範囲での最大の本音です。そして何より、尊い命がそこにはある、というのが揺らぎのない事実です。




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病棟移動と祖母の命綱、明治メイバランスについて。

2023-11-02 20:58:00 | 日記
祖母の入院病棟が再び呼吸器内科へ移動しました。整形外科からの移動です。


手術日以来の呼吸器内科の病棟。手術日からまだ1ヶ月も経っていないのに、見覚えのある呼吸器内科の看護師さんたちの顔を見て、なんだか懐かしすら覚えました。呼吸器内科は、整形外科病棟よりコロナ対策が厳しい印象です。


そして、今日は主治医からも電話があり、土曜日にお会いすることになりました。もしかしたら新たなソーシャルワーカーも来るそうです。おそらく本格的に今、入院している病院から出なければならないのだと思います。


祖母は点滴漏れのため、ビーフリード輸液を首から入れることができなくなりました。そのため、明治メイバランス(総合栄養食品で125mlで200kcal)を1本でも多く飲んで栄養を維持するしかなさそうです。幸い、祖母はメイバランスのさわやかヨーグルト味は3本飲めていて、午前中と午後の間食時にも飲めるよう持参しています。


ただ、ここにもひとつ壁がありました。このメイバランスが病院食の時に出るのは直方体の形です。そして、ドラッグストアで買う際は円柱と円錐の間のような形、チルド飲料でよくある形なんですね。すると、祖母は同じものだと認識ができなくて、初めは持参したものを拒んでいました。しかし、書いて伝えて飲ませてみて、そしてまた書いて今は味で飲めるようになりました。

ちなみにAmazonでは、四角のタイプも売っています。ただ箱買いになるため、祖母が味に飽きたり、飲まなくなったりしたらメイバランスの行き場がなくなると思い、今のところ単品でドラッグストアで買っています。


そして、メイバランスは味の種類も豊かですが、祖母が飲むのはヨーグルト味のみなのです。ドラッグストアにも意外と在庫が少なく、様々な店舗に行って、数本ずつ買って持っていくようにしています。これまでこのようなドリンクがあることを知らなかったので、勉強になりました。なお、メイバランスは常温可能なので、その点も有難いです。


そして、祖母の最近の体重測定の結果を見たのですが、5月ごろから比べて祖母の体重は20kg減っていました。8月から比べても10kg以上減ったことになります。最新の血液検査の結果、アルブミンの値も1.8で、2.0は欲しいとのことで、なかなか現実は厳しいです。

*今日もメイバランスを買ったのですが、写真を撮る前に祖母の入院先に置いてきたので、今度撮ったら参考までにこちらに載せます。

追記☟祖母用に買ったメイバランス







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