【某日、書いたものを本日更新。ゆえに本日のことではありません】
飲食なのでマスクを一時的に外すわけですが、周りを見てふと思うのです。コロナで色々と変わってしまったなと。それでも今は限られた時間ではあっても、面会できるだけよくなったんだなと。こう思うのも、もう一人の祖母は2020年の夏に入院し、秋に亡くなったからです。ご存知のように当時は制限が厳しく、面会ができないまま、会えた時は棺の中でした。
今日は、まだ明るく早い時間に病院にいますが、平日の夜、面会が可能なスレスレの時間になると、スーツ姿にリュックといった格好の方々で受付が混みます。私もその列に並びながら「みんな仕事を切り上げたり終わったりしたあと、満員電車や渋滞に巻き込まれて急いで来たんだろうな」としみじみ感じます。
私もこの生活が気がつけば、2ヶ月半経過していました。最初に祖母がびまん性間質性肺炎で入院した際、生命の危険があったので私の家族以外の'ある3人"にも連絡しました。「伝えなければ」と。しかし、その3人の誰からも返信や連絡が来ませんでした。私は怒りやら呆れるやら絶望やらで震えました。しかし、家族に説かれて、一度だけ電話で話したのを最後に連絡することをやめました。
なので、その3人はこれまでの経緯も下肢切断をしたことも、栄養状態がギリギリで生きていることも知りません。ある意味、不幸中の幸いなのは、祖母自身がその3人の顔も忘れてしまったようで、寂しがることが一切ないことです。これで祖母が名前を呼んだり、「会いたい」と言ったりしていたら、私自身、胸が締め付けられる思いだったと感じます。
医療関係者の話によると、やはり入院をしても色々な人間関係が見られるそうです。たとえば、家族や親戚一同が次々とお見舞いに来る患者さんもいれば、誰も来ない患者さんもいる。さらに入院費を支払うのを拒否する家族もいるとのことです。
これは、あくまでも「私の場合」と捉えていただきたいのですが、看病も介護も手術を待つ時間も面会に通うのも、心身ともに相当エネルギーを使います。様々なことと折り合いをつけること、家族間でも考え方に違いがあり時々歪みが生じること、切断した脚に遭遇したり骨となって帰ってきたりなど慣れないことの連続を受容すること、人に期待しないこと、さらにケアマネや在宅医療関係者、ソーシャルワーカー、医師、看護師、役所など色々な方と連絡をとって話し合う時間も必要になります。
仕事や日常生活の上に、これらが加わるので大変です。表で見えていることはほんの一部で、裏ではドロドロしていることがたくさんあります。この記事を投稿したのも「綺麗事だけでは済んでいない」と正直に伝えたかったからです。そうでないと、このブログの意味がないと思いました。それゆえ、これが私の正直な告白であり、ブログに書ける範囲での最大の本音です。そして何より、尊い命がそこにはある、というのが揺らぎのない事実です。