本日は闘病記録とは別の観点で投稿します。
家庭の味、母の味、おふくろの味など慣れ親しんだ味や好きな味覚があると思います。私は、夏休みや冬休み、春休みにずっと香川県にいた影響からか、祖母の味が今でも大好きです。
今、思いつく範囲で祖母が作ってくれていたものや祖父・祖母の家で食べていた思い出深いものを箇条書きに記してみます✍️
・餡入りの丸餅が入った白味噌仕立てのお雑煮→今でもお正月は白味噌一択。当時は、お餅は年末についた手作りのもの。出来立ては大福のように柔らかくておいしいので、食べ過ぎないように母に注意されていた😂
・ヒャッカと豆腐を炊いたもの→祖父と祖母の地域はヒャッカと呼んでいたが、マンバという言い方もある。川崎では手に入らないのが残念。
・しょうゆ豆→祖母の手作りのもの、祖母はそら豆も作っていた。今は、大西食品のものを時々オンラインや物産展で買って食べている。
・祖母が育てたザボン、ブンタン、マクワウリ、スイカ、イチゴなどの果物(分類によって野菜)
・お味噌汁→具材は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ワカメのものが好き。
・祖母が焼く目玉焼きに祖母の家にあった醤油をかける。
・祖母お手製の漬物→キュウリが好き。ナスやニンジンは苦手でキュウリがタッパーに入っているとラッキーと思って食べていた🤫奈良漬は匂いだけでも苦手だった。
・雪印のバニラバー→当時は銀紙に包まれていた。納屋の冷凍庫に入っていて、よく食べていた。
今、パッと思いつくのは↑です。そんなこんなである日、母と私の会話でこんなやりとりをしました。
私:私、おばあちゃんが作ってくれていたものが今でも好きなんだよね。好きな味がおばあちゃんものばかりで悪いわね🥹
*母の作る味だとお好み焼きとミートソースが好きです
母:ぜーんぜんっ!😆
私:私、香川県の味が好きなんだよね。私の味覚形成に大きく影響したと思う。あの頃、食べていたものが今でも好物だもん。
母:私は畑から採ってきたかぼちゃや芋、豆を毎日のように食べさせられていたから、もう一生分食べたわ。
私:そういうの、贅沢っていうんだよ。私、それ全部好き。畑から採れたものを食べられるなんてすごく贅沢。おばあちゃん、農作物を作るの上手だったよね。私、おばあちゃんから大きな段ボールで荷物が届くの、嬉しかったもん。でも、酸っぱいだけのゆかりと苦いウコンは嫌だった😂
母:あれは有り難かったよね。たくさん送ってくれたから助かってたわ。
など。私は、幼少期と学童期は主に東北で暮らしていて、休み期間は香川県に行き、自然豊かな場所でのほほんと生きていました。一方で、母は香川県で生まれ育ち、東京に憧れて東京に出てきました。香川県に帰る意思は初めからなかったと言います。だいぶ前にその話を聞いた時は、「うわ、強っ。私と価値観が全く違うわ。」と思いました。
太田裕美さんの木綿のハンカチーフという曲は、男性が都会の色に染まっていくと捉えていますが、その女性バージョンが母だと思っています。それから、加山雄三さんと谷村新司さんのサライでは、「遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた」が母にぴったりで、3番の歌詞の「離れれば 離れるほど なおさらにつのる」は母にはないそうです。
でも、私は香川県で生まれてそこでずっと育っていたら、たぶん香川県に居つづけていただろうなと思います。もちろん、if(もしも)の話なのでどうだったかはわかりませんが、なんとなく私はそんな気がするのです。
さて、私の幼少期や学童期に話を戻すと、しつけをしなければならない母に比べて祖父や祖母(特に祖母)は優しかったですし、田んぼや畑で色々と作っていたので、季節折々の香川県の味が大好きでした。それが今の私にもつながっていて、色々と楽しませてくれた祖母には少しでも長く生きてもらいたいです。それから、私が香川県愛や田畑の良さをすごく語るので、母も最近、私に少しばかり影響を受けてきたようです🤭
写真:香川県三豊市の父母が浜(ちちぶがはま)香川県のウユニ塩湖と言われています♪