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ヤクルトごっくん!! 飲むだけじゃダメ!

スワローズをこよなく愛する男のひとり雄叫び~!
ツバメ達よ!俺がいるから大丈夫だっ!!

二塊の花園

2011-06-20 | 


数ヶ月前に古本屋で見つけ購入した吉田精一著『芥川龍之介』(新潮文庫)を、昨日から読み始めている。この本は復刊本で、装丁は新しいのだけれども中身は昔のまま。つまり文字は小さく、行間は狭く、おまけに旧字旧かな遣いもちらほらある。読みづらいことこの上ないのだが、今の文庫本や新聞よりはるかに文字が頭にスラスラ入ってくるから不思議だ。正確に言うと、今の文庫本よりも読むペースが速くなるのだが。








一体なぜ? 自分でもよくわからない。しかし敢えて分析するならば、文章が頁の真ん中に凝縮された様子、文字のフォントや旧字旧かなのフォルムに魅せられているのだろう。字面を追っているだけで、胸躍る気分になる。文章の内容とは関係なく!!! これをノスタルジイと片付けてしまうのは少々乱暴な話で、【ノスタルジイ+古書マニア】であるとすれば、実像により近づくか。もっとも古書マニアと書いたけれども、わたしのそれは大したことはない。稀覯本やそれのコレクションにはとんと興味がない。あるのは頁を繰った時に眼下に広がる【二塊の花園】ばかりである。


人が歴史を作る

2011-03-09 | 


図書館の入口にあるリサイクル本コーナーで、新潮日本文学の有島武郎集と有吉佐和子集が棚の隅にあった。いずれも左程手垢にまみれていない。有島武郎は遠い昔に読んだが、有吉佐和子は未読だったので、彼女のを手にとってみた。最後にこの本を手にした人の思い入れが強かったのだろうか、ページを繰るまでもなく勝手にある作品のところでページが開いた。『助左衛門四代記』。冒頭を読んだだけだが、およそ女性らしからぬ硬質な筆致に思えた。わたしは、女流作家の書く歴史物は情緒的だ、と高をくくっていた。それが、鴎外の『渋江抽斎』に漲る透徹ぶりに出くわしたものだから、まったく面食らってしまった。【男もすなる】スタイルで綴った太宰の『右大臣実朝』とは対照的ともいえるこの作品を、機会があったら読んでみようと思った。


歴史物、歴史小説といえば、わたしのお気に入りは坂口安吾の『道鏡』。奈良時代に女帝の寵愛を受け異例の昇進を遂げるも、女帝の死によって失脚し左遷先で亡くなった僧の話で、戦国時代や幕末のような派手さはないが、愛情、妬み、嫉み、欺瞞といった人間の思惑が錯綜していて、ある意味スリリングなのだ。そこへもってきて安吾独特の直截的な心理描写だから、登場人物が生き生きしている。気づけば歴史物なのに歴史的事柄(例えば恵美押勝の乱だとか)をすっかり忘れてしまっている。司馬遼太郎や吉川英治などの作品を読んでいるときは、常に歴史的事柄を常に念頭に置き、登場人物らのやりとりを読んでいてもテレビドラマ「24」のようにカウントダウンしているのに。恐らく、安吾の歴史観がそうさせるのだろう。


追記 『道鏡』を読むにあたっては、歴史的事実や当時の世相、風俗などの予備知識は一切必要ありません(あればさらに楽しめるというレベル)。幸い、インターネットの電子図書館・青空文庫に収められていますから、24時間いつでも読めます。短編です。是非ご一読を。