ラジオなソウル

ザ ドタンバーズのベース担当で、AMラジオをこよなく愛する、ゴリうらしょうきちの日記

今年も

2010-12-31 19:03:20 | 生活
大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします!

本日、突然Mr.フロントマン宅に押しかけました所、運よくご在宅してまして、ギリギリで本年のあいさつができて良かったです。

みなさま、素敵な新年をお迎えください!

横浜たそがれセイベ~

2010-12-29 21:56:23 | 生活
本日朝イチの仕事は、アイススケート場。

フィギュアブームからか、開場前からすごい親子の行列。


すでにレッスンが始まってる子たちもいて、クルクルと氷上をジャンプしてますよ。

そこにコーチの、何度言ったらわかるんだ!と恐ろしい怒鳴り声。

ボクなら泣いてしまいそうですが、気にせずクルクルひらり。

八木沼純子さんが書いてました。
怒鳴られ物を投げつけられの連続。

しかし、ひたすらすべりまくり。
レッスン終わって、リンクから上がれと言われても、無視してすべりまくったと。

華麗な大会からは、想像もつかない過酷な経験を通過した人たちがリンクに立っているようです。

今日すべってた子の中にも、未来の日本代表がいたのかもしれません。

がんばれがんばれ!

到着

2010-12-26 04:23:44 | 生活
ただいま帰ってまいりました。

ナイトクルージングも楽じゃないですが、歩けばいつかは家に着く事がわかっただけでも、大きな成果。

近所のコンビニに行ったら、うちに配達に来てる新聞やさんとバッタリ。

もうそんな時間ですな。

がんばれおれたち、がんばれみんな

2010-12-22 23:06:11 | 生活
この前、テレビで小野田さんの番組がやっていた。

小野田さんは、第二次世界大戦が終わっても、フィリピンルソン島のジャングルに潜み、戦闘を続けていた方です。

途中で仲間が戦死したり、何度も捜索が行われ、本人も戦争が終わった事を知っていたが、上官の命令がない限りは、終戦はないと決めており、結局昭和49年までたった一人でジャングルにいたわけです。


そんな中、世界中を貧乏旅行というより、放浪を続けていて、小野田さんを見つけてくるぞ、とほとんど思いつきでやって来た鈴木紀夫青年と出会い、上官を日本から呼んで命令を行う事により、小野田さんに終戦が訪れ日本に帰って来るわけです。


鈴木紀夫青年の書いた「大放浪」という本に、詳しいいきさつが載っているのですが、この本は本当に素晴らしく、10年くらい前に妹に借りて、今でもよく読み返してます。ってか返せって話であります、ごめんなさい。


帰国した小野田さんは、現代日本に馴染めぬまま、日本を飛び出しブラジルに移住して、牛を育てる事にした。

始めから軌道に乗るわけもなく、お金も尽きてきたが、その分寝る間も惜しんで、他の牧場にアルバイトに出かけ資金を作り、やがて牧場で生活が安定していくのだが、苦労もすごかったはずなのに、苦労を苦労と思わず、前に前に進むのみ。

うらみ事を言った所で何も始まらない。

青春時代は、戦争に消えて行った。

日本の為にと何十年もがんばって来たのに、帰ってみると、自分の思っていた国とは違うものになっていた。
人とは意見が合わず、衝突するばかり。

本当にやりきれなかったと思う。

でも、そこで俺が絶対正しいんだ!とならずに、合わないものはしょうがないんだと、ブラジルの田舎に行き、ここで失われた青春を取り戻す事にした。
50過ぎてからの挑戦である。

そして、現在80を過ぎているが、毎日牧場に出ている。

日本にもよく帰ってきて、講演や引きこもりなどの子供達の問題に取り組んでいる。


全く衰えを感じない。
それどころか、ますますエネルギッシュ。
考え方も一貫している。
こんな日本人もいたんだ。

ドラマや映画でしか見た事がない、武士とはこういうものだったのだろうか?

いや、まだ誰も到達した事がない領域に向かっている最新型なのかもしれない。


小野田さんを発見した鈴木青年も、同じく日本を飛び出し、冒険を続けた。

雪男を見つけてくる。

そんな言葉を残して、彼は永遠に旅立ってしまった。


小野田さんが鈴木青年の死に際しての言葉。

「死に残った身としては、淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ。」