実は私、10日も寝込んでいるのにまだ風邪が治らず、
咳が酷くてグッタリな状況なのですが、
9月17~18日はとても大事な日なので、絶対に更新したいと思っていました。


2009年春。
その仔猫は野良猫として、この世に生まれました。
親兄弟と離れて、どれくらいひとりでいたのか、
大きな木もある、緑多い市民農園の片隅に住み着いたその仔猫は、
農園に通う人に時々ご飯をもらいながら子供時代を過ごし、
お年頃の若猫へと成長しているところでした。
秋晴れの清々しい、2009年9月17日。
その子にとって、その日は運命の日となりました。
あまり車通りの多くない農園脇の細い道で、
その子は交通事故に遭いました。
どれくらいの長い時間、道端に倒れていたのか、
実際は誰も知りません。
私がその農園の近くに住む友人から聞いて知ったのは、
その子はまだ日の高い昼間に事故に遭い、
夜遅くまで、その場で倒れたままということ。
そして、時折通るお散歩中の犬たちから逃げようと、
上半身で道端を必死に這っているということだけでした。
近所で猫が倒れている - そう聞いた私は、何時間も悩みました。
助けたいのはやまやまだけど、リスクが大きすぎるんじゃないの?
その子が伝染病を持っていたらどうするの?
下半身不随など、介護が必要な体になってしまったら、
私が仕事で不在な間、誰が面倒を見るの?
うちのふたりと、折り合いが悪かったらどうするの?
やっと体調が安定し、穏やかに暮らしているゴロが、
ストレスで体調を崩したらどうするの?
何より私は当時、離婚の話し合いの真っ最中でした。
私が猫と鳥を連れ、
夫名義のマンションから引っ越すことは決まっていました。
猫2匹連れての部屋探しも大変な状況なのに、
猫3匹になったら、部屋なんか見つかるの?
不安材料ばかりが頭をよぎり、
何時間考えても、一向に答えは出ませんでした。
ところが、私は唐突に腹を決めました。
それはもはや、火事場の馬鹿力というやつに近かった。
私は当時、夫との離婚の話し合いが決裂したため、
力になってくれる弁護士を探していましたが、なかなか見つからず、
仕事探しも部屋探しも難航していて、八方ふさがりでした。
誰も私を助けてくれない。
誰も力になってくれない。
世界から見捨てられているという絶望感。
きっとその子も今、私と同じ気持ちに違いない。
私はその子を助けることで、自分も救われるのだと思いました。
生きてさえいれば、絶対に何とかなる。
マイナスとマイナスで、プラスに転じるさ。
絶対にすべてがうまくいく - なぜかそう確信したのです。
どんな猫が倒れているのか、
ケガの状態はどうなのか、その時は何も知らなかったのに。
今から思うと、何を根拠に・・・と思います。
きっと、目には見えないご縁があったということなのでしょう。
悩んでいるうちに日付が変わり、明けて18日の午前2時半。
私は場所を聞いて、車でその子を迎えに行きました。
暗く肌寒い道端には、一目でまだ子供とわかる猫が倒れていました。
暗くてよく見えませんでしたが、出血していないのはわかりました。
タオルをかぶせて抱っこしようとすると、
シャーシャー怒り、容赦ない猫パンチが飛びました。
良かった。思ったよりずっと元気だ。
この子は絶対に助かる。こんなに元気なんだもの。
タオルを被せてキャリーに入れ、大急ぎで帰宅。
緊張で、私の胸はバクバクしていました。
そのまま家に入れるわけにはいかなかったので、
その子には、車で一晩明かしてもらいました。
帰宅してからの私は、
急に不安になってしまい、結局一睡もできませんでした。
とてつもなく長い夜でした。
どうかすべてがうまくいきますように・・・
夜が明けるまで、私はずっと祈り続けました。
そして朝一番で、うちの子たちのかかりつけの病院へ。
開いたばかりで、まだのんびりムードの病院に、
「昨日、交通事故に遭った子を連れてきました」と
血相変えて駆け込んだ私。
先生も助手の方もビックリ仰天です。
「まず、レントゲンを撮りましょう。
折れているのが、足だけだといいね。
骨盤だったら、下半身不随になるかもしれないから。」
そう言われ、祈るような気持ちで
レントゲン写真が出来るのを待ちました。
写真を持って出てきた先生の表情で、
希望は打ち砕かれたのを私は瞬時に悟りました。
「左側の骨盤が、粉々に砕けています。
手術で矯正できる程度を超えているので、
このまま自然に骨が固まるのを待つしかありません。」
しかも、立てるようになるか、自力で排泄できるのか、
現段階では何もわからないとのことでした。
先生のお話を聞きながら、私は頭が真っ白になりました。
しかし、内臓は全くの無傷でした。
骨盤が粉砕骨折するほどの損傷を受けながら、
内臓は全く無傷。
この子は絶対に運が強い子だ。絶対に大丈夫。
私は改めてそう思いました。
とにかく、骨が固まるまでは入院です。
いつ退院できるかも、どこまで回復するかもわからない、
気の遠くなるような入院生活になるのは必至でした。
入院用のケージに入れられた段階で初めて、
私はその子がどんな顔をしているのか、はっきり見ることができました。
猫風邪の後遺症で、片目には分厚い膜がかかっていました。
正直なところ、お世辞にも可愛いとは言えませんでした。
これが、そのとき撮った写真です。

とにかく頑張って回復してほしい -
そう思いながら、私は病院を後にしました。
知らないところに連れて行かれ、体もあちこち痛くて、
今、あの子は不安でいっぱいなはず。
休診日以外は、毎日必ずお見舞いに行こう。
誰もお見舞いに来てくれない入院生活なんて、
人間だって悲しくなるに違いない。
あなたはひとりぼっちでないということ、
心配している人が存在することを知ってもらおう。
気持ちが明るくなれば、回復にも影響するだろう。
9月18日、アテナちゃんの入院生活、
そして私のお見舞い生活が始まりました。
入院中は、毎日必ず写真を撮りました。
当時にたくさん撮った写真は、次回以降ご紹介します。
今、こんなに元気で、性格も抜群にいい子なアテナちゃん。
うちのお宝にゃんこ第3号です。
彼女との出会いに、心から感謝する毎日です


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咳が酷くてグッタリな状況なのですが、
9月17~18日はとても大事な日なので、絶対に更新したいと思っていました。


2009年春。
その仔猫は野良猫として、この世に生まれました。
親兄弟と離れて、どれくらいひとりでいたのか、
大きな木もある、緑多い市民農園の片隅に住み着いたその仔猫は、
農園に通う人に時々ご飯をもらいながら子供時代を過ごし、
お年頃の若猫へと成長しているところでした。
秋晴れの清々しい、2009年9月17日。
その子にとって、その日は運命の日となりました。
あまり車通りの多くない農園脇の細い道で、
その子は交通事故に遭いました。
どれくらいの長い時間、道端に倒れていたのか、
実際は誰も知りません。
私がその農園の近くに住む友人から聞いて知ったのは、
その子はまだ日の高い昼間に事故に遭い、
夜遅くまで、その場で倒れたままということ。
そして、時折通るお散歩中の犬たちから逃げようと、
上半身で道端を必死に這っているということだけでした。
近所で猫が倒れている - そう聞いた私は、何時間も悩みました。
助けたいのはやまやまだけど、リスクが大きすぎるんじゃないの?
その子が伝染病を持っていたらどうするの?
下半身不随など、介護が必要な体になってしまったら、
私が仕事で不在な間、誰が面倒を見るの?
うちのふたりと、折り合いが悪かったらどうするの?
やっと体調が安定し、穏やかに暮らしているゴロが、
ストレスで体調を崩したらどうするの?
何より私は当時、離婚の話し合いの真っ最中でした。
私が猫と鳥を連れ、
夫名義のマンションから引っ越すことは決まっていました。
猫2匹連れての部屋探しも大変な状況なのに、
猫3匹になったら、部屋なんか見つかるの?
不安材料ばかりが頭をよぎり、
何時間考えても、一向に答えは出ませんでした。
ところが、私は唐突に腹を決めました。
それはもはや、火事場の馬鹿力というやつに近かった。
私は当時、夫との離婚の話し合いが決裂したため、
力になってくれる弁護士を探していましたが、なかなか見つからず、
仕事探しも部屋探しも難航していて、八方ふさがりでした。
誰も私を助けてくれない。
誰も力になってくれない。
世界から見捨てられているという絶望感。
きっとその子も今、私と同じ気持ちに違いない。
私はその子を助けることで、自分も救われるのだと思いました。
生きてさえいれば、絶対に何とかなる。
マイナスとマイナスで、プラスに転じるさ。
絶対にすべてがうまくいく - なぜかそう確信したのです。
どんな猫が倒れているのか、
ケガの状態はどうなのか、その時は何も知らなかったのに。
今から思うと、何を根拠に・・・と思います。
きっと、目には見えないご縁があったということなのでしょう。
悩んでいるうちに日付が変わり、明けて18日の午前2時半。
私は場所を聞いて、車でその子を迎えに行きました。
暗く肌寒い道端には、一目でまだ子供とわかる猫が倒れていました。
暗くてよく見えませんでしたが、出血していないのはわかりました。
タオルをかぶせて抱っこしようとすると、
シャーシャー怒り、容赦ない猫パンチが飛びました。
良かった。思ったよりずっと元気だ。
この子は絶対に助かる。こんなに元気なんだもの。
タオルを被せてキャリーに入れ、大急ぎで帰宅。
緊張で、私の胸はバクバクしていました。
そのまま家に入れるわけにはいかなかったので、
その子には、車で一晩明かしてもらいました。
帰宅してからの私は、
急に不安になってしまい、結局一睡もできませんでした。
とてつもなく長い夜でした。
どうかすべてがうまくいきますように・・・
夜が明けるまで、私はずっと祈り続けました。
そして朝一番で、うちの子たちのかかりつけの病院へ。
開いたばかりで、まだのんびりムードの病院に、
「昨日、交通事故に遭った子を連れてきました」と
血相変えて駆け込んだ私。
先生も助手の方もビックリ仰天です。
「まず、レントゲンを撮りましょう。
折れているのが、足だけだといいね。
骨盤だったら、下半身不随になるかもしれないから。」
そう言われ、祈るような気持ちで
レントゲン写真が出来るのを待ちました。
写真を持って出てきた先生の表情で、
希望は打ち砕かれたのを私は瞬時に悟りました。
「左側の骨盤が、粉々に砕けています。
手術で矯正できる程度を超えているので、
このまま自然に骨が固まるのを待つしかありません。」
しかも、立てるようになるか、自力で排泄できるのか、
現段階では何もわからないとのことでした。
先生のお話を聞きながら、私は頭が真っ白になりました。
しかし、内臓は全くの無傷でした。
骨盤が粉砕骨折するほどの損傷を受けながら、
内臓は全く無傷。
この子は絶対に運が強い子だ。絶対に大丈夫。
私は改めてそう思いました。
とにかく、骨が固まるまでは入院です。
いつ退院できるかも、どこまで回復するかもわからない、
気の遠くなるような入院生活になるのは必至でした。
入院用のケージに入れられた段階で初めて、
私はその子がどんな顔をしているのか、はっきり見ることができました。
猫風邪の後遺症で、片目には分厚い膜がかかっていました。
正直なところ、お世辞にも可愛いとは言えませんでした。
これが、そのとき撮った写真です。

とにかく頑張って回復してほしい -
そう思いながら、私は病院を後にしました。
知らないところに連れて行かれ、体もあちこち痛くて、
今、あの子は不安でいっぱいなはず。
休診日以外は、毎日必ずお見舞いに行こう。
誰もお見舞いに来てくれない入院生活なんて、
人間だって悲しくなるに違いない。
あなたはひとりぼっちでないということ、
心配している人が存在することを知ってもらおう。
気持ちが明るくなれば、回復にも影響するだろう。
9月18日、アテナちゃんの入院生活、
そして私のお見舞い生活が始まりました。
入院中は、毎日必ず写真を撮りました。
当時にたくさん撮った写真は、次回以降ご紹介します。
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