3月20日は、たろ君の正真正銘のお誕生日です。
2001年生まれなので、満16歳になりました。
ヨロコビの歌 熱唱中。
オカメは、オレンジ色のほっぺが可愛いね
素人ブリーダーさんのお家で生まれ、
2歳の時、うちにもらわれてきた たろ君。
元のお宅では雑な扱いを受けていたようで、
最初の数ヶ月は、手を怖がって大変でした。
初めて手に乗った時は、感激しましたよ。
性格は朗らかで陽気、そしてかなりのガンコ(笑)
どうガンコかというと、
気に入らないものは、ハンストして断固拒否。
たろ君は、弟のじろ君と一緒にもらわれてきました。
元の飼い主さん曰く
「とても仲が良くていつも一緒にいるので、是非一緒に」とのことでした。
最初は、兄弟一緒のカゴにいました。
顔もそっくりのふたりは、確かに仲良しでした。
ところが、落ち着いた生活をするようになって、
もともとの性格がハッキリ出るようになったようで、
弟のじろ君が、たろ君に甘えすぎるようになり、
たろ君が癇癪を起こして、
じろ君に当り散らし、苛めるようになりました。
慌てて病院に相談し、先生の勧めで、とうとう別居。
で、体の大きいたろ君に、
大きなカゴ(写真右側:じろ君が入っています)を買い、
たろ君をお引越しさせました。
ところがたろ君は、新しいカゴも止まり木も気に入らなかった。
それまでのカゴはオウム用で、前面が手前に大きく開くタイプでした。
私がゆっくり扉を開くと、たろ君は扉に乗り、
カゴの外に出るのが習慣になっていました。
ところが新しいカゴは、一般的な鳥カゴで、
出入り口は小さく、上に持ち上げるタイプでした。
入り口を開けて、洗濯ばさみで固定しておいても、
たろ君はどうしていいかわからず、
カゴの外に出られなくなってしまいました。
たろ君は止まり木にすら止まらず、
ずっとカゴの底の部分にいました。
2週間近く、ろくに食事もせず、
ムッツリ黙りこんで、鬱のような状態になってしまいました。
じきに新しいカゴにも慣れるだろうと思って
私はのん気に構えていたのですが、
さすがに命の危険を感じるようになり、
じろ君を新しいカゴに移動させ、
たろ君は元のカゴに戻しました。
すると、すぐに一件落着。
たろ君は、食事も外遊びも元通りするようになり
じろ君の方は、新しいカゴにすぐに慣れました。
じろ君はお外が嫌いだったので、特に問題なし。
四六時中ずっと一緒だと、ケンカばかりでしたが、
1日の限られた時間だと、また仲良し兄弟に戻りました。
じろ君をカキカキしてあげる 優しいたろ君
ああ良かった ―
そう思って暮らしていた数年後、
兄弟ともにクラミジアに感染していることがわかりました。
じろ君はお薬が効かず、数年闘病したのち、先にお空へ。
お薬が効いたたろ君は、幸運でした。
「たろ君は、じろ君の分も長生きしなきゃいけないね」と話しています。
私は小鳥の病院で、30歳のオカメさんに会ったことがあります。
飼い主さんは、70歳を超えた素敵なおばあちゃまでした。
「もう最近は、名前を読んでも返事をしないんですよ。
耳が遠くなったのか、ボケちゃったのか、
それとも、お返事するのが面倒くさくなったのかしらねえ」と
おっしゃっていました。
たろ君は、30歳のまだ半分だからね。
うちでは、インコは独りになってしまったけれど、
のんびり好きに過ごして、長生きしてもらえれば・・・と願っています。
たろ君 16歳のお誕生日おめでとう!!!
先日の日記 『6年前』には、続きがあります。
ご興味のある方のみで。
引っ越して2日後、あの大震災が起きました。
私は発生時には家にいて、ダンボールの山と格闘中。
大きく揺れましたが、何も被害がなかったので、
あんなに酷い地震とは気づきませんでした。
私が事態の深刻さに気づいたのは、
地震発生翌日の土曜日。
棚を買い足したくなり、
近くのホームセンターに、自転車で出かけました。
すると、土曜日なのに開いていない?
別のホームセンターにも行ってみたら、
「地震のため臨時休業」と貼り紙がありました。
棚は諦め、食料を調達するために
スーパーに行きました。
室内はまだどこもかしこもダンボールで、
炊事をする暇があったら、部屋を片付けたかった。
落ち着くまでは、インスタントものか
お弁当を買って済ませようと思っていました。
ところが、スーパーも臨時休業でした。
慌ててコンビ二に行ったら、
残っているのは、若干のスナック菓子だけ。
インスタントラーメンはゼロ。
菓子パンひとつすらありませんでした。
幸い、お米だけは買ってあったので、
その夜は、白飯に塩をかけて
終わりにするしかありませんでした。
翌日、また違うスーパーに行ってみましたが、
前日と変わらず、何もありませんでした。
明けて月曜は引越し後、初の出勤でした。
会社の人から、物流へのダメージが相当大きいらしいと、
どこの店でも何もないよと聞きました。
会社が終わり慌ててスーパーに行くと、
話の通り、乾物がちょっと残っている程度で
食べ物は何もありませんでした。
トイレットペーパーなど生活必需品も、
根こそぎなくなっていました。
そしてどの棚にも「次の入荷は不明」との張り紙。
ガランとからっぽになった棚は
映画の1シーンのようでした。
猫たち、鳥たちのゴハンは
たくさん買っておいて良かったと
胸をなでおろしたのを覚えています
しかし、大変なことはまだ続きました。
計画停電の実施です。
2~3日に1回、3時間ほどでしたが、
まだ寒くて、本当に辛かった。
夜8時から開始の時は、
布団で暖を取りながら寝るしかなく、
昼の1時から開始の時は、
仕事にならないので、全員家に帰されました。
さらに悪いことに、
私の勤務先と私の住まいは
計画停電では、同じエリアに指定されていました。
これはすなわち、会社が停電だと、家も停電。
帰宅したところで、トイレも水も使えない。
どこかで時間をつぶそうにも、
周り一帯、ほとんどのお店は休業中。
(レジが使えないので)
一番怖かったのは、
信号機が停電していることでした。
警察官が手信号をしている大きな交差点でないと、
車はスピードも落とさずビュンビュンと走り過ぎ、
安心して道路も渡れませんでした。
普通の生活に戻ったのは
1ヶ月以上経ってからだったと思います。
物が手に入らないのは恐怖そのもので、
悪夢のような経験でした。
6年も経ち、普通に生活していると、
つい忘れそうになりますが、
あの辛かった時のことは、
一生忘れてはいけないと思うようにしています。
今、ご自宅以外で避難生活を送られている方や、
飼い主さんと離れてしまった動物たちが、
少しでも早く、元の落ち着いた暮らしに戻れますよう、
心からお祈り申し上げます。
2001年生まれなので、満16歳になりました。
ヨロコビの歌 熱唱中。
オカメは、オレンジ色のほっぺが可愛いね
素人ブリーダーさんのお家で生まれ、
2歳の時、うちにもらわれてきた たろ君。
元のお宅では雑な扱いを受けていたようで、
最初の数ヶ月は、手を怖がって大変でした。
初めて手に乗った時は、感激しましたよ。
性格は朗らかで陽気、そしてかなりのガンコ(笑)
どうガンコかというと、
気に入らないものは、ハンストして断固拒否。
たろ君は、弟のじろ君と一緒にもらわれてきました。
元の飼い主さん曰く
「とても仲が良くていつも一緒にいるので、是非一緒に」とのことでした。
最初は、兄弟一緒のカゴにいました。
顔もそっくりのふたりは、確かに仲良しでした。
ところが、落ち着いた生活をするようになって、
もともとの性格がハッキリ出るようになったようで、
弟のじろ君が、たろ君に甘えすぎるようになり、
たろ君が癇癪を起こして、
じろ君に当り散らし、苛めるようになりました。
慌てて病院に相談し、先生の勧めで、とうとう別居。
で、体の大きいたろ君に、
大きなカゴ(写真右側:じろ君が入っています)を買い、
たろ君をお引越しさせました。
ところがたろ君は、新しいカゴも止まり木も気に入らなかった。
それまでのカゴはオウム用で、前面が手前に大きく開くタイプでした。
私がゆっくり扉を開くと、たろ君は扉に乗り、
カゴの外に出るのが習慣になっていました。
ところが新しいカゴは、一般的な鳥カゴで、
出入り口は小さく、上に持ち上げるタイプでした。
入り口を開けて、洗濯ばさみで固定しておいても、
たろ君はどうしていいかわからず、
カゴの外に出られなくなってしまいました。
たろ君は止まり木にすら止まらず、
ずっとカゴの底の部分にいました。
2週間近く、ろくに食事もせず、
ムッツリ黙りこんで、鬱のような状態になってしまいました。
じきに新しいカゴにも慣れるだろうと思って
私はのん気に構えていたのですが、
さすがに命の危険を感じるようになり、
じろ君を新しいカゴに移動させ、
たろ君は元のカゴに戻しました。
すると、すぐに一件落着。
たろ君は、食事も外遊びも元通りするようになり
じろ君の方は、新しいカゴにすぐに慣れました。
じろ君はお外が嫌いだったので、特に問題なし。
四六時中ずっと一緒だと、ケンカばかりでしたが、
1日の限られた時間だと、また仲良し兄弟に戻りました。
じろ君をカキカキしてあげる 優しいたろ君
ああ良かった ―
そう思って暮らしていた数年後、
兄弟ともにクラミジアに感染していることがわかりました。
じろ君はお薬が効かず、数年闘病したのち、先にお空へ。
お薬が効いたたろ君は、幸運でした。
「たろ君は、じろ君の分も長生きしなきゃいけないね」と話しています。
私は小鳥の病院で、30歳のオカメさんに会ったことがあります。
飼い主さんは、70歳を超えた素敵なおばあちゃまでした。
「もう最近は、名前を読んでも返事をしないんですよ。
耳が遠くなったのか、ボケちゃったのか、
それとも、お返事するのが面倒くさくなったのかしらねえ」と
おっしゃっていました。
たろ君は、30歳のまだ半分だからね。
うちでは、インコは独りになってしまったけれど、
のんびり好きに過ごして、長生きしてもらえれば・・・と願っています。
たろ君 16歳のお誕生日おめでとう!!!
先日の日記 『6年前』には、続きがあります。
ご興味のある方のみで。
引っ越して2日後、あの大震災が起きました。
私は発生時には家にいて、ダンボールの山と格闘中。
大きく揺れましたが、何も被害がなかったので、
あんなに酷い地震とは気づきませんでした。
私が事態の深刻さに気づいたのは、
地震発生翌日の土曜日。
棚を買い足したくなり、
近くのホームセンターに、自転車で出かけました。
すると、土曜日なのに開いていない?
別のホームセンターにも行ってみたら、
「地震のため臨時休業」と貼り紙がありました。
棚は諦め、食料を調達するために
スーパーに行きました。
室内はまだどこもかしこもダンボールで、
炊事をする暇があったら、部屋を片付けたかった。
落ち着くまでは、インスタントものか
お弁当を買って済ませようと思っていました。
ところが、スーパーも臨時休業でした。
慌ててコンビ二に行ったら、
残っているのは、若干のスナック菓子だけ。
インスタントラーメンはゼロ。
菓子パンひとつすらありませんでした。
幸い、お米だけは買ってあったので、
その夜は、白飯に塩をかけて
終わりにするしかありませんでした。
翌日、また違うスーパーに行ってみましたが、
前日と変わらず、何もありませんでした。
明けて月曜は引越し後、初の出勤でした。
会社の人から、物流へのダメージが相当大きいらしいと、
どこの店でも何もないよと聞きました。
会社が終わり慌ててスーパーに行くと、
話の通り、乾物がちょっと残っている程度で
食べ物は何もありませんでした。
トイレットペーパーなど生活必需品も、
根こそぎなくなっていました。
そしてどの棚にも「次の入荷は不明」との張り紙。
ガランとからっぽになった棚は
映画の1シーンのようでした。
猫たち、鳥たちのゴハンは
たくさん買っておいて良かったと
胸をなでおろしたのを覚えています
しかし、大変なことはまだ続きました。
計画停電の実施です。
2~3日に1回、3時間ほどでしたが、
まだ寒くて、本当に辛かった。
夜8時から開始の時は、
布団で暖を取りながら寝るしかなく、
昼の1時から開始の時は、
仕事にならないので、全員家に帰されました。
さらに悪いことに、
私の勤務先と私の住まいは
計画停電では、同じエリアに指定されていました。
これはすなわち、会社が停電だと、家も停電。
帰宅したところで、トイレも水も使えない。
どこかで時間をつぶそうにも、
周り一帯、ほとんどのお店は休業中。
(レジが使えないので)
一番怖かったのは、
信号機が停電していることでした。
警察官が手信号をしている大きな交差点でないと、
車はスピードも落とさずビュンビュンと走り過ぎ、
安心して道路も渡れませんでした。
普通の生活に戻ったのは
1ヶ月以上経ってからだったと思います。
物が手に入らないのは恐怖そのもので、
悪夢のような経験でした。
6年も経ち、普通に生活していると、
つい忘れそうになりますが、
あの辛かった時のことは、
一生忘れてはいけないと思うようにしています。
今、ご自宅以外で避難生活を送られている方や、
飼い主さんと離れてしまった動物たちが、
少しでも早く、元の落ち着いた暮らしに戻れますよう、
心からお祈り申し上げます。
よろしければ、1日1回ご協力をお願いします