湘南気まぐれ写日記

「湘南に咲く花」や「風物」、そして「身近な小物たち」の写真を中心に気ままにつづった身辺雑記です。

ブログ、このあたりで閉めさせていただきます

2005年09月27日 | 身辺雑記
今年1月より、実験的に本ブログを立ち上げましたが、ブログについての一応の状況が把握できましたので、このあたりでひとまず閉めさせていただきます。ご挨拶が遅れましたが、ごらんいただいた皆さまに厚く厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。 游山

ブログは何のために始めたの?

2005年04月18日 | 身辺雑記
ブログを始めたいという人から、あなたはどんな目的でブログを始めたのか、どんなブログにしたらいいかと時折質問されます。

HPについては数年の経験がありますがブログを始めたのは今年の1月から、人様に偉そうに言えるだけの経験も実績もありません。

ただ、自分自身のことに限って言えば、やはりネット上に写真入りで個人の日記を書くということが一番の動機でした。

ブログに書くということは公表することが前提となりますから、記事の表現は「第三者に向かって話すような形式」をとっていますが、その第三者とは実はまぎれもない自分自身なのです。

ただ、あまりに個人的な内容は、とかく、自己顕示や自慢話にはしるきらいいがあるので避けるようにし、ご覧いただく方が何かしらほっとするよなブログにできたらいいなというのがささやかな願いです。

ブログのもう一つの「効用」として、ブログを通していろいろな人との出会いがあり、そこから新たな情報をいただいたり、提供したり、また一つの目的に向かっての活動が開始されたりと、人とのつながりが広がったり、グループとしてのより幅広い活動が展開されるといった点が上げられています。

4が月近くブログをやり、また、多くの方のブログを拝見してみて今思うことは、やはり当初の第一の目的にしぼり、まずは自分宛の日記として位置づけていくことが、(今の私にとっては)良さそうだということです。

そんな折も折、4月16日付けの東京新聞夕刊のコラムに、女子バスケット・アトランタ五輪代表の萩原美樹子さんの文が載っていました。一部省略はお許しいただくとして、その抜粋を紹介してみますと、


「異動があり、進学をし、周囲の環境ががらり変わることの多い春である。それに伴い、新しい分野のたくさんの人たちに出会いつつある。でも実は私はこの新しい出会いというものが滅法ニガテだ。「広く浅く」が性に合わないのだと思う。」

「あ、この人は面白いな、何だか波長が合うな、と思う人とは時間をかけて少しずつ、ゆっくり知っていきたい。」

「自分にとって大事は人は、そんなに多くなくていい。それって人間的に成長しないんじゃない、との忠告も受けるが、大事な人たちとの付き合いを深めていくことは人間的成長を促さないの?と心の中で反論する。」


あまり人との交流が器用ではない私としては、ブログにかまけるあまり、これまで長い間培ってきた大事な大事な人との付き合いがおろそかになるような愚をさけたいもの、むしろそちらをこそ深めなくては、と、彼女のコラムを読みながらふと思ったのでした。

以上は、あくまでも私個人の考え方にすぎません。人様に押しつける気は毛頭ありませんので、念のため申し添えます。

『私の撮影作法』(長文ですので、ご興味のある方のみご覧ください)

2005年03月06日 | 身辺雑記
(以下、ホームページ「小さな小さな野草園」の中からの抜粋です。写真は逗子・観蔵院のしだれ梅)

カメラは、主として、6年ほど前に購入した35万画素のデジタルカメラと、その後購入した211万画素のデジタルカメラを使っています。前者はメモ用に、後者はプリント用に使っています。

共に、仕事(市場調査・セミナーでのプレゼン)用として購入したもので現在でもバリバリの現役です。

35万画素のカメラはメールに添付する程度ならこの画素数で十分であること、その 上、レンズ前1センチまで、マクロへの切り換えなしに近寄れ、しかもオー トフォーカスもきくので、近接撮影の多い私の場合には大変重宝しています。また、ファインダー部分の液晶を折り畳むと、丸みをおびた長四角の箱にな ってしまうので、ズボンのポケットにいつも忍ばせて歩いています。Web上に400×300ピクセル以下の大きさで載せるにはこれで十分と<私は>思っています。

211万画素の方はレンズ前2センチまで寄れる上に、レンズ部分が自由に回転するのでローアングルで撮影する場合に威力を発揮します。前者同様、長四角の箱型なので、ウエストバッグに入れて持ち歩くのにぴったりです。しかし、この画素数で撮ると記録サイズは1600×1200ピクセルとなり、本ブログに載せるためにはかなりの圧縮をかけることとなります。そこで普段は葉書大にプリントすることも考えあわせて1024×768ピクセル(XGAサイズ)で撮っています。

原則として自然光による手持ち撮影を旨とし、三脚・レフ板・ストロボ・コンバージョンレンズ・特殊効果フィルター等は一切使用しません。撮影画像のレタッチも必要最小限にとどめています。

画像は、身近なものの姿をそのままご覧いただくように「写実的」な撮り方(ありのままの姿をできるだけ忠実に表現すること)を心がけています。

ページデザインも含めてあまりに凝った絵づくりは好みではありません。「素朴な絵づくり」「<魅せる>よりこれなら私でも撮れると感ずる親しみやすさ」「ふだんだれもが見ている生活感のある映像表現」これが私の撮影作法の基本です。

若かりし頃、ニコンFを使っての細胞・組織標本の撮影や生物生態写真の撮影でカメラ操作、ライティング、フレーミング、シャッターチャンスのつかみ方など撮影の基本は一通り学びました。が、それは昔々のお話、今はピント合わせも露出もすべてカメラまかせ、構図を決めてシャッターを押すだけという「物臭撮影」に終始しています。

大切なことは、写真に撮ることよりも、まずは「目の前の花や虫や鳥や物や風景を楽しみ一体感を味わうこと」、撮った画像は一つの記録と思っています。

雛祭り

2005年03月03日 | 身辺雑記
今日は3月3日「桃の節句」、雛祭りです。昔は、女の子のいる家々で、その家なりのお雛様を飾ったものです。雛人形とともに、白酒・ひしもち・桃の花を飾り、女児の将来の幸せを祈った伝統行事、が、今はどうなのでしょう。

お雛様にもいろいろあります。今日は、鎌倉・腰越にある手仕事工房「丹(あき)」さんの家の玄関で写させていただいた京絞りの敷物に座った縮緬(ちりめん)のお内裏雛(だいりびな)のお届けです。縮緬のお雛様のやはらかい佇まいからは、いわゆるお雛様とはまた違ったやさしさが伝わってきます。

*縮緬:布面にしぼ(縮みじわ)を表した絹織物。
*京絞り:京絞りの代表は「鹿子(かのこ)絞り」です。絹布をほんの少しだけつまんで、先端を残して糸で括って染めると、白の斑点ができ、これが鹿の背中の模様に似ているところから名づけられました。

ブログの功罪

2005年02月15日 | 身辺雑記
前に、「私のブログ制作作法」(2月7日の記事)のコメントの中でブログの功罪についても見ていきたいと書きました。今日(2月15日付)の東京新聞の朝刊「こちら特報部」の中で、アメリカと日本のブログ事情と併せて、そのメリット・デメリットについての分かりやすい解説が載っています。ブログを今始めておられる方、これから始めようと思っている方、一読をおすすめします。

以下、同記事からの抜粋です。

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国際社会経済研究所の青木日照主席研究員は、アメリカでは学校教育で論理的なディベートを習う文化的な下地があること、訴訟社会のため根拠のない発言は訴えられる危険性があることなどあげて「ネットは実社会を反映している」と話す。

では、日本のブログの現状はどうか。現役の新聞記者や通信社記者がブログを開設しているが、実名を公開しているブログは少ないし、批判的コメントが殺到する「祭り」によって閉鎖されるケースもある。

元検事の視点でブログを書く落合洋司弁護士は「コメントをもらうことで別の見方を知ることがある。自分の考え方を書くことで整理できる」とブログの効用を指摘しつつも、「現状ではネットでの発言は建設的な議論になっていない」として、こう提言する。「匿名でのコメント発言も無責任な議論をあおるだけの場合が多い。人格攻撃などに陥らず、建設的な議論ができる資質をネットユーザーが持てるように、ネットに関する教育から変えていくべきではないか」

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以上は、記事の断片的な抜粋です。誤解をまねくといけませんので、詳しくは同新聞の特集記事をぜひお読みいただきたいと思います。これまで、その功の部分をあげてブログのすすめを述べる論調が目立ちましたが、ここにきて罪の部分にも目を向けての発言が出てきたことを大いに歓迎します。

私のブログ制作作法

2005年02月07日 | 身辺雑記
これまで親しくおつきあいさせていただいている何人かの方から、自分がブログを持つときの参考にしたいので、ブログ制作で主として心がけていることを教えて欲しいとのeメールをもらいました。以下、私のブログ制作作法です。

(1)自分のためのデータベース
身のまわりのよしなしごとを気ままにつづった雑記帳と考えています。これまでeメールで近しい方々にお送りしてきた「季節の花便り」同様、興味をお持ちいただいた方だけがお読みいただけばよいと割り切り、あくまで自分のためのデータベース作りと位置づけています。

(2)デザインはできるだけシンプルなものにする
・ページデザインは、いろいろな項目や画像をあれこれ盛り込まず、できるだけすっきりしたものとする(シンプル イズ ベスト)。たくさんのブログがある中で最終的にgooblogに決めたのは、そのままではHTMLでのデザイン編集ができないなど持てる機能が少ない分、操作や内容構成が一番シンプルだったからです。いろいろいじれないところが却って気に入っています。

(3)文章作法は30×30×30の法則で明るい文面作り

・節度のある分かりやすい日本語を使う

・百聞は一見に如かず。画像+文章のコンビで構成する
  文はあとに桜さしだす使いかな(其角)

・一行の文字数は30字+α前後とする(但し15インチ液晶画面サイズで)
・1エントリー(記事)の行数は30行以内とする(但し、引用や箇条書き項目がある場合は別)
・文章の漢字率は30パーセント前後とする

・5行書いたら1行空けるよう心がける

・自分にとっては貴重な思い出も、他人(ひと)からみれば文字通り他人事、自分日記とはいえ、一応、公開の形をとるからには、できるだけ客観性のある内容となるよう配慮する

とまあ、もっともらしいことを書き並べましたが、実際は、その時の文章のつながりから、必ずしも上記を守れない場合も出てきます。あまりかたいことを言わず「ケース バイ ケースで」が本音です。時に誤字・脱字・変換ミスなど顔を出すこともあろうかと思います。よろしくご判読ください。

記事の記入を毎日するとか、1日おきにするとか義務づけることは、小生の性に合いません。気が向かなければしばらく放っておくこともあるし、気が向けば1日に2~3記事書くこともあります。これが「気まぐれ日記」の所以(ゆえん)です。

携帯電話やeメールなど同様、ネットワーク社会のもつ危険性やもろさについて、常に頭においておかないといけないでしょう。だれでも容易に利用できるだけに、個人としての危機管理意識や緊張感を一層必要とするコミュニケーションの道具と考えています。

以上は、あくまで「本ブログ制作に当たっての小生の考え方」に過ぎません。ブログは、その目的・内容・形式・制作者の考え方・運営の方針等によって、様々なスタイルがあってしかるべきものと考えています。

早春賦の記念切手をどうぞ

2005年02月05日 | 身辺雑記
立春の声を聞くと、途端に周りの景色が明るく見えてくるから不思議ですね。

でも雪国はまだ雪の中、親しくおつきあいさせていただいている山形のNさんからのメール「今週は大雪の毎日でした。私の場合は、早朝から約1時間の除雪作業が続きました。それでも除雪機がありますから肉体労働ではないのですが、いい加減にして欲しいと思っているのは私だけではないようです。明日は2回目の雪下ろしが待っています。」を拝読しますと、雪とは縁のうすい湘南の地でのほほんと過ごしているのが申し訳ない気がします。

毎年のことながら、この時季になると口をついて出てくるのは小学唱歌「早春賦」です。小生の大好きな唱歌の一つです。

「早春賦」 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章

1 春は名のみの 風の寒さや
  谷の鴬 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

3 春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

作詞者の吉丸一昌さんが、大正の初めに何度か信州・安曇野(あずみの)の地を訪れ、その早春風景に感動してつくられた歌と伝えられています。このことを記念して「早春賦の記念切手」は作られました。場所は信州・穂高町。背景の雪をいただいた山は北アルプスの常念岳(じょうねんだけ)です。

ただ、今の安曇野はまだ一面雪の原でしょう。

眠り猫2態

2005年01月30日 | 身辺雑記
大寒散歩の道すがら、ある家の軒下で2匹の猫に出会いました。大寒といっても湘南の日差しはまぶしいくらいで、そんな日をあびての昼寝は何とものどかで、おもわず笑ってしまいました。ところで、左側の猫は確かに眠っているのですが、右側のはどうなんでしょうね。つっついて試してみようかと思いましたが、やめにしました。おいおいお前は獣医師ではなかったのかい、という声がどこからか聞こえてきました。

エッシャーのふしぎ世界展

2005年01月28日 | 身辺雑記
横浜・そごう美術館で開催中の「エッシャーのふしぎ世界展」に行ってきました。水中を泳ぐ魚がいつしか空を飛ぶ鳥に変わってしまったり、建物の下に向かって流れている水が、流れをたどると再びその建物の上に戻ってきたり、見る者を不思議の世界にいざなう「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」は、いくら眺めていても飽きません。その実物にお目にかかれて、不思議大好き人間としては満足満足。