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戦友逝って1年…想うこと

2017-12-07 | 日記

速い早い。
月日は光陰矢のごとし。

戦友・伊ケ崎光雄カメラマンが、食道ガンで逝ってきょう7日で一巡りした。
一つ上の強烈なライバルだった。
記者とカメラマン、会社も違った。
新聞社と週刊誌、ジャンルは違った。
だが「戦場」は同じだった。

95年、オウム真理教取材で富山の山中で初めて出会った。



告別式の10日が、享年68歳の誕生日だった。

永六輔の言った言葉が身に沁みる。

 「人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき」

間違いなく戦友は私の心の中で生き続けている。

互いにワーカーホリック(仕事中毒人間)だった。
家族内ではいろいろあった。
不規則で、時間はあってないようなもの。
この業界にいれば珍しいことではない。
今なら完全なブラック企業だ。



「夫婦ったって、アカの他人」
「互いの嫁の言うことと、俺たちの言うこと。どっちを信じる?やっぱり、男同士やろ?戦友同士やろ?分かったふりして、嫁につくやつおる」

暁星学園・野球部監督なら「男色」といわれるか?
家庭放棄、家庭失格者として笑いあった。
最も理解し合った。

1年前も書いたが再び永六輔の金言。

「家庭というのはこんがらがった糸ですよ。 こんがらがってるから家庭なんです。 ほどくとバラバラになっちゃいますよ」。

「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きていくということは、その借りを返してゆくこと。 誰かに借りたら誰かに返そう。 誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう」


戦友は燃えていたやろうな。
相撲界のゴタゴタ。
「貴ノ岩、撮らえんかい!」
創刊当時から関わった写真誌「FLASH」は部屋にこもる貴ノ岩を捉えた。
後輩たちに闘魂の芽は育っているようだ。
我が後輩たちは、どうなのだろうか?
まだ、戦いは終わってはいない。
◆伊ケ崎光雄(いかざき・みつお)1948年12月10日~2016年12月7日、奈良市生まれ。食道がん。享年68。70年、日本写真専門学校⇒堀内カラー現像所⇒はなや光画荘⇒フリー⇒事務所設立「スタジオマウス」(大阪・北区)。創刊当時から写真誌「フラッシュ」で30年活躍。75年、個展「大阪区分図」。80年、個展「聖仙の国」。82年、個展「ザ・レスラーその光と影」、写真集「オフ・ザ・リング」(白夜書房)発行。夫人と一男一女。
【アーカイブ】◎戦友!名物カメラマンが壮絶に散った(16年12月7日付ブログ)
劇的な連続!我が戦友の旅立ち(16年12月10日付ブログ)など。




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