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メディアの片隅に生息する新聞記者OBが、独断偏見勝手気ままに綴ります※文中はすべて敬称略。

戦友!名物カメラマンが壮絶に散った

2016-12-07 | ウェブログ

1年半のガン闘病も7日朝、ついに力尽きた。
我が戦友「伊ケ崎光雄カメラマン」。
食道がん、68歳。



「ガンとも戦いまっせ!」
闘病中の口癖だった。
会えば口にした。
メールでも毎日「負けへんで」と送信してきた。

終盤の1年は固形物も咽喉を通らない。
抗がん剤を打ちながら、流動物を流し込む。
点滴の針が通らなくなって、飲む抗がん剤に切り替えた。



入院していても「取材があるんや」と病院を抜け出した。
重いカメラ担いで甲子園、大阪、名古屋場所、事件現場にかけつけた。
元気な頃より20キロもやせた身体。
喉は固形物を寄せ付けない。
当然、その痩せ細った体に現場は驚く。
「そんなこと関係あれへん。闘魂カメラマンや」

プロレス取材からスタートした写真誌カメラマン。
フリーの事件取材に転身して、事務所も構えた。
「フラッシュ」を主戦場に「女性自身」など軟派も手かげた。



10月末、事務所を泣き泣き閉鎖した。
35年間の汗と涙で閉じた。
さすがに寂しそうだった。

同業他社だったが、気心通じた取材カメラマンだった。

95年のオウム真理教事件取材で知り合った。
当時、40歳半ば。
互いに血気盛ん。
段取りの悪さに私が捜査陣にかみついた。
その後、伊ケ崎カメラマンが近寄ってきた。

「あんた、オモロイね」
名刺をくれた。



坂本弁護士一家の捜索で富山(宇奈月、魚津など)山中の取材だった。

まさに闘魂の塊だった。

「俺ら、もっと若いころに知り合ってたら、凄いスクープの連続やなあ」
「いや、どっかでぶつかってるで」
笑いあった。

互いに突撃取材を信条としていた。


伊ケ崎は写真を撮る、だけのカメラマンではない。
情報収集は半端ではなかった。
そのための人脈作りの努力は惜しまなかった。
黒革の手帳ならぬ連絡先をビッシリメモしたハンドブックは宝物。
互いに知らないネタ交換をするのが楽しかった。
悔しそうな顔。
嬉しそうな顔。
刺激し合った。



それをきっかけに会っては酒酌み交わした。

これまで飲んだ相手と違って驚いた。
とにかく、バー、居酒屋、飲み屋を短時間でハシゴする。
短い時はほんの20分ほど。
「次、行くで」
一晩多い時は8軒も行ったか?
最後の締めはラーメン。
伊ケ崎は大食ではなかったが、付き合ってくれた。
必然として、晩年は「糖尿仲間」となってしまった。

当初は飲み方に面喰った。
だが、飲んでいるうちに分かってきた。


芸能人、スポーツ人、やくざ、政財界人の出入りする酒場に顔を売っておくことだった。
頻繁に通うことで、口の堅いバーテンが情報を漏らしてくれる。
ヒントをくれる。

金のかけ方は真似できなかった。

で、酒の銘柄、肴の良し悪し。
酒場を開けるのでは?とい
うほど知識が豊富だった。
大阪キタ、ミナミは「目をつぶってでも歩ける」と豪語した。



我が60年来の大親友2人とも何度か引き合わせた。
「あんたの仲のええ友人なら会わせてくれ」
中学の野球部仲間で、仕事とは無関係。
それでも、興味深く付き合ってくれた。

4人で会ったのは昨年の5月だった。

生まれ故郷の奈良を伊ケ崎はこよなく愛する。
町歩きを得意げに引率してくれた。
なじみの名店居酒屋「蔵」で痛飲した。
当時、ガンなど思いもよらなかった。

ただ、兆候はあった。
しわがれ声が気になっていた。
「喉がつかえるし、声が出にくい。数日後、検査するわ」
その言葉が暗転してしまった。


こちらがリタイアしてからは役に立てなかったのが残念だった。
それでも、以前ほどではないが会った。

1か月ほど前、なぜかこんなことを言った。
「日本海にカニを食べに行こうや」
流動食さえ喉を通らない。
50メートルの距離
を20分も30分もかけて歩く。
痛々しいのに誘ってきた。
思い出旅行のつもりだったか?

「あんたが食べずに、自分だけが食べる」
「目の前で見られて、食べるカニなんて旨くないわ」
憎まれ口をたたいて断った。
この時、すでに死期を悟っていたのかもしれない。

ガンに勝つには己の肉体、細胞を死滅させなければならない。
増殖するガンと闘う、とはそういうことだ。
まさにガン細胞と刺し違う。



伊ケ崎は入院していた病院から家族に内緒で突然退院した。
「病院は息苦しくて、自宅がええ」
さっさと手続き、医師、看護師らは唖然茫然。

長期入院の間に、便所、寝室などをリフォーム。
戸惑う家族をしり目に帰宅した。
急きょ呼び出された娘はあきらめ顔。
「病院にいれば安心だったのに」
「やすし(横山)でも、娘の言うこと聴いた。聴いたげなアカン」
そう告げたものの、耳を傾ける男ではない。

だが、伊ケ崎は見事だった。
6日に帰宅、翌7日朝、息を引き取った。
素晴らしい生きざまを見せてくれた。



「もう、あんな人は出てこないでしょう」
若い同僚カメラマンがつぶやいた。
「最後まで人生を貫きました」
「声は出てなかったけれど、『左手が凄く腫れてるんや』これが最後の言葉でした」
直前に見舞った伊ケ崎を慕う記者がポツリ。

そして若いころ反発していた長男。
「絶対に親父と同じ仕事は嫌です」
そういっていた長男が30過ぎてカメラマンになった。
いま、朝日新聞やアエラで頑張っている。
「親父には頭が下がります」
息子に立派なオヤジの背中を見せて旅立った。

記者生活の後半で、私は最も濃密な時間を共有した。
戦友の仕草、言葉が脳裏を巡る。

涙がこぼれて仕方がない。

◆通夜 9日(金)18時~。
◆葬儀10日(土)11時~
◆場所:西方寺まんだら坊
奈良市油阪町434-1
近鉄奈良駅徒歩5分
JR奈良駅徒歩10分



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