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名将に影落とした家族

2017-07-07 | 日記

一風変わった名将の一人。
上田利治。
80歳、肺炎で1日深夜亡くなった。

▼有名なフレーズ「ええで、ええで」。
▼日本シリーズ長時間抗議。
▼家族の「統一教会」トラブル。

日本一3連覇、4連覇含むリーグ優勝5度の名将。
輝かしい実績とは別の記憶が私には刻まれている。
78年の日本シリーズ(第7戦)1時間19分のマラソン抗議。
巨人V9以来の4連覇のかかった最終戦。
「絶対ファウルだ!」と死ぬまで言い続けた。
頑固さ、一徹さ、勝負への執念を世に知らしめた。
ヤクルト大杉のポール際のホームラン判定に対するものだった。
「ええで、ええで」と選手の長所を伸ばし強力なチームを作った。
まさに阪急黄金時代を築く。
関大時代は名投手・村山実とバッテリーを組んだ。

関大2年時は大学日本一。
3年、4年生は長嶋、杉浦のいた立教大に決勝進出を阻まれた。
上田の頭脳は、野球だけではなかった。
関大を首席卒業した頭脳明晰な男だった。
将棋がめっぽう強かった。
自信のあった同僚の担当記者が歯が立たない、と嘆いていたことを思い出す。

上の写真はオリックス発足パーティーだったか?
ブルーサンダー打線を形成した門田博光(左端の右)に上田監督。
新球団の宮内義彦オーナー(右端ブーマーの左)も若い。
私も40前後で若い(門田の後ろでメモ取り)
大学日本一捕手だが、お世辞にも名選手ではなかった。
おそらく村山欲しさに、ついでのプロ入りだったかもしれない。
わずか3年で選手はクビ。
だが、頭の良さを世の中、放ってはおかない。
大監督の西本幸雄の元でヘッドコーチ。
西本の後任監督として阪急を指揮、2年目からリーグ4連覇した。
オリックス創設から2年、常に優勝争い。
だが、球団のケチ方針に反発して退団。
ダイエー監督の話は実現寸前で幻になった。
もしダイエー上田監督だったら球史は変わっていた?

総帥・中内功の鶴の一声で一変。

球界の裏業師の根本陸男が逆転の監督就任。
組閣までしていた上田ホークスなら、その後の王監督はなかった。

58歳だった95年、日ハム監督就任。
2年目にはイチローのいた古巣オリックスと優勝争い。
ヤマ場にも関わらず「家庭の事情」を理由に突然の休養。
週刊現代が夫人と娘の統一教会入信について取材されたのだ。
宗教がらみだったため、ほとんどのスポーツメディアは触れなかった。
折りしも、当時はオウム真理教事件真っ只中。
統一教会は、高価な壷購入や桜田淳子の合同結婚式など。
カルト教団がらみで社会は騒然としていた。
家庭の事情とは、愛娘の統一教会入信問題だった。
トラブルに発展。
野球どころではなくなり、監督休養まで発展した。
上田夫人は心斎橋の有名ジュエリー「芝翫香」の令嬢だった。
その意味でも還暦前後の晩年は不遇だった。
復帰したものの62歳で監督を退任。
日ハムなどのフロント入りの話もあったが、すべて断った。
ずっと、家族のことが引っかかっていたか。
マラソン抗議に通ずる人生の筋を通し続けて旅立った。
上田利治(うえだ・としはる)1937年1月18日ー2017年7月1日)享年80。徳島・海部郡産まれ。実家は魚屋。近所に尾崎3兄弟実家。徳島海南⇒関西大⇒広島⇒阪急(オリックス)監督⇒日本ハム監督。関大時代は村山実とバッテリーで2年当時、大学日本一。71年、広島コーチを経て74年に37歳で阪急監督。75年から日本一3連覇、リーグ4連覇を含む5度の優勝。福本豊、加藤秀司、山田久志、山口高志、佐藤義則らを育てた。監督通算1322勝(歴代7位)1136敗116分け、勝率・538。03年、野球殿堂入り。家族は勝子夫人と娘。



4 コメント

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Unknown ()
2023-06-13 15:27:53
はじめまして。 
上田利治さん懐かしいですね。
ところでもしホークスの監督が田渕さんの後根本さんじゃなく上田さんだったら優勝したと思いますか?
私は、どうでしょう、当時は森西武、仰木オリックスという強敵がいたから良くて、森西武荷が大差付けられての2位かな?と思います。
 長々と失礼しました。
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花様へ (こちウワ男)
2023-06-13 21:39:11
球史の「たられば」を考えると面白いですね。ホークスファンでしょうか?監督問題では、水面下でいろいろあって、後に知ると興味深いですね。古くは鶴岡ホークス後任の蔭山さんが急死していなかったら・・。
でも、根本さんの人脈がなかったら、王監督の実現も、今日のホークス(ソフトバンク)の隆盛もなかったかも、ですね。
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Unknown ()
2023-06-13 22:06:18
ありがとうございます。
私はホークスファン歴28年です。ファンのきっかけは秋山幸二・工藤公康です。
後々考えると根本さんじゃなくて上田さんだったら秋山、工藤が来なかったし、王監督もなかったのは言うまでもないですね。上田さんホークスの監督なら確か上田さん就任の噂が立つ一年前にブーマ獲得したじゃないですか?もしかしたらトレードで松永浩美、山沖が来たかと思います。
 でも王さんだからこそあれだけの感動的な優勝、最後の監督に辞任セレモニーも
あったわけですからね・・・、なんとも言えませんね。
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花様へ (こちウワ男)
2023-06-14 13:44:29
なるほど秋山、工藤時代からのホークスファンですか。最強といっていい西武からのカンフル剤。ルーキー城島と工藤の切磋琢磨は語り草。
球史を振り返る「タラレバ」は、無限の楽しみがありますね。
私の少年野球のデビュー戦は「南海ホークス」のグラウンド(大阪・中百舌鳥球場)でした。あの真っ黒な土のグラウドに立ったことが忘れられません。といって、私はセは村山、小山、吉田、三宅の阪神、パは稲尾、中西、豊田のライオンズファンでしたが(古っ=笑)
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