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やうちのブログ

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電車ごっこ・Ⅱ

2010-05-12 20:24:48 | 雑感
 運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人が電車のお客
        お乗りはお早く  動きます ちんちん~


      運転手が交代してから既に半年余、しかし
 “日に増しおかずのまずいにつけて 元の主人を思い出す”
               昨今である。

       確かに元の主人とは献立も変わり
 “ついておいでよこの提灯に けしてくろうはさせやせぬ”
              を信じた俺だが、

 “酒の肴に新聞出され 見れば世間のアラばかり”
              で、釈然としない。

              勿論、運転手も
 “井戸の蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する”
              日々が続くが、

           あの日から我が家でも 晩酌までが
 “運転手に託したおい等の暮らし 仕分けされつつ日が暮れる”
                 こととなる。

       また、懸案の5月末問題を聞くにつけても
 “旅行ファッションなんでも出来て お約束だけが出来ぬ人”
                  は 

 “軒に吊られたわしゃ風鈴よ なるも鳴らぬも風次第”
         の構え、なんとも心もとない。

 “今更苦労で痩せたと言えぬ 命までもと言った口”
        は どうなったのだろうか?・・・

          一方、車掌の方は、
 “面の憎さよあのきりぎりす おもい切れ切れ切れとなく”
             のである。

 “咲いた桜になぜ駒繋ぐ 駒が勇めば花が散る”
   の 道理は 乗客全員の感ずるところであろう。

        よってこの電車の遅延は
 “こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった”
             次第ある。

        こんなん電車に 乗客は
 “諦めましたよどう諦めた 諦めきれぬと諦めた”
         の 今日この頃である。

大型連休

2010-05-03 00:07:50 | 雑感
日本列島、民族の大移動が始まった。

時同じくして お向かいの中国でも 上海万博が開幕した。
日本からも この期間に多くの方がお出かけのことであろう。

報道によると、
初日に当日入場券・券買機のトラブルがあり、
ひともんちゃくがあった由。
大イベントには付き物の出来事であろう。


さて、国政に目を向けると、

懸案の普天間基地問題の打開に向けて 
いよいよあのお方が 沖縄入りをするやに漏れ聞く。

連休返上でのご苦労に 頭が下がる。
お約束実行に向けての 前進あらんことを念じたい。

一方、転手は君だ 車掌は僕だ~と 言った
このお方と言えば、

 ”やましいお方がやましくないと 言えば言うほど泣けてくる

振る舞いに がっかりである。

昭和の日

2010-04-29 16:00:17 | 雑感
と言っても お若い方にはあまり馴染みがなく
”連休初日の日”
の方が分り易い。

今日の祝日は、かっての「天皇誕生日」であり、
その後は「みどりの日」
呼び方がころころ変わってきたのである。

昭和64年(1989年)1月7日の昭和天皇崩御により、
それ以降の4月29日は、
それまでの天皇誕生日としては存続できなくなり、
思案算段の挙句 
一時期「みどりの日」という名称の祝日に改められた。

その後、
「昭和の日」の実現を目指す運動に呼応・共鳴する国会議員により、
平成19年(2007年)から「昭和の日」が施行され、
従前の「みどりの日」は5月4日となている。

で、「昭和の日」の定義・趣旨は、

『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす』とある。

人生80年とすれば、
我々の年代では、その6割を過ごした昭和の時代は
 想いもひとしおである。

桜・散る

2010-04-27 15:13:11 | 雑感
 今年の桜を見送るにあたり 想いを書き留めた。
以下、「桜日誌」より

・出番を待つ桜     2010/3/22
「かたい蕾をこじ開けながら 明日の出番を待つ桜」    

まだ眠い・・・・

・桜の出番ー1     2010/3/23
「永い眠りを目覚めた桜 やおら化粧にとりかかる」
   
桜吹雪は何時見れるのかな?・・・

・桜の出番ー2     2010/4/5
「貴女何科と訪ねる藤に 私しゃバラ科の山桜」
(小 噺)とある病院の待合室 春の花”同士の会話”・ 
>(藤) 内科じゃ なかったのですね?・・・

・桜の出番ー3     2010/4/8
ーこんな桜もー  
「大和魂と桜の花は 一途に散りゆくさがを持つ」
「今は昔の同期の桜 どこで散ったか果てたやら」

などなど悪しき時代には、桜も大変迷惑なり~

・華と花          2010/4/11
「むかし纏で今なら桜 お江戸の花の様変り

遠山の金さんを思い出す!

・田の神様のお出まし 2010/4/13
「桜サの字は田圃の神で 依りつくとこクラという」

桜と稲作は天候に左右されます。
桜の花が例年より早く咲けば豊作、
逆に例年より遅く咲く年は凶作、と言われています。
春の気温が高い年は、桜も早く咲き、
稲も豊作にもつながるということらしい。 道理である。

・今日の桜は     2010/4/12
「背中押すよな陽気にこたえ つくり笑顔で咲く桜」
漸く開いてくれた・・・
 
・花見酒        2010/4/14
「愚痴とくどきを交互に注いで 桜に預ける憂さ晴らし」
昨日、ポン友と恒例の花見をした。
今年は桜の開花が遅く やきもきさせたが
桜の下で飲むワンカップは ひと味もふた味も違う
遅咲きも 帳消しにてくれた。

・桜の出番ー4    2010/4/16
「ソメイヨシノよ何故散り急ぐ 私しゃ果実をまもるため」
三日見ぬ間の桜かな~は パッと咲き、パッと散ってしまいます。
特にソメイヨシノは アットいう間に散ります。
それは ほかの桜に比べて 花びらの根元が極端に細いため
風を受けると散りやすいのだそうです。
ソメイヨシノは 江戸中期に野生種を掛け合わせて生まれた桜である。
特徴としては 春の強風にあおられても 花びらだけを落として
果実を結ぶ花びらの付け根部分はしっかり保持するという。
野生種の形質を受け継いでいるのである。

だからパッと散るのだと、・・・それに比べ 我々の生き様は
☆未練がましく小細工しつつ 散るに散れずに明日を待つ☆   
で、情けない限りである。

・葉ざくら     2010/4/24
「はやも往くのか散りゆく桜 無粋なやっだよ小夜嵐」
来年は 一日でも永く楽しませて欲しいものである。

  ・里桜     2010/4/126
「ソメイヨシノを見送る晩に 出番待ってた里桜」   
今度は八重桜が・・・

過ぎし歳月

2010-04-22 12:44:04 | 雑感
高齢化社会の今日、今までの過ぎし歳月をつらつら想うに、

物心がつくと、
”七つ八つでいろはを習い はの字忘れていろばかり”
の自分があった。

そして社会人になり、先輩に連れられてお座敷に上がると、

お姐さん達からは、
”お酒呑むひと心から可愛い 呑んでくだ巻きゃなお可愛い”
と 煽てられ、

更に、
”好いたお方になぞ掛けられて 解かにゃなるまいしゅすの帯”
などと持ちかけられた頃が 一番に思い出が深い。

あれからウン十年、
「定年で 暇とお金が 入れ替わる」の 昨今では、

カウンターの片隅で飲む酒も、
”不満に愚痴まで浮かべた酒は 徳利寝かした憂さの数”
である。

さてさて、この先どう生きればよいのだろうか?・・・

既に 「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢まぼろしの ごとくなり」も、とっくに過ぎた現在では、そっと利息で生かされている身である。

ただただ心残りなのは あの時の、
”たった二文字の言えない好きが 今も抜けずに朽ちるトゲ”
の、ことである。

諸兄の人生航路は如何に・・・

弥生月・雑感

2010-03-30 16:14:00 | 雑感
今月も今日・明日の二日を残すのみとなった。
ここにきて日本列島寒波に見舞われ 晴天なれど寒い一日である。

久しぶりに散歩に出かける。 梅は咲いたか~桜はまだかいな~
折角目覚めた桜は この寒さにうろたえ かたくなに蕾を閉じたままで開こうとはしない。じゃ~私が代わりにと 隣の梅が見事なプロポーションで目を楽しませてくれた。

こんな見事な梅の木なのに
”浮気うぐいす梅の木じらし わざと隣の桃で鳴く”
の 気持ちが分らない・・・

さて、この月を振り返ると 月初めに人生の二大仕事のうち 2つ目の仕事である息子の結婚披露宴を恙無く済ますことが出来き 片方の肩の荷を下ろしホットさせて貰った。

は漸く落ち着きを取り戻し 音沙汰なしで一安心なり。
しかし、もう片方の肩には次男が控えているので 未だ安堵とは行かない。

もう少し元気で頑張らなくちゃ~と想う 弥生月となった。

人生の二大仕事

2010-03-11 21:24:26 | 雑感

暫くの ご無沙汰でした。

このところ息子の結婚披露宴を控え 雑多に追われてブログも1ヶ月近くお休みをした。

それにも関わらず 日々たくさんのアクセスを頂き有難いことと 厚く御礼申し上げます。

披露宴も無事終え 今夜は久しぶりにマイブログを開いているところである。

さて 今夜は「人生の二大仕事」について書いてみた。

人間 この世に生を受け 死ぬまでにどうしても成さねばならないことが二つ有ると言う。

生前の親父は このことを何時も自分に諭していた。

一つは 「親を送る」こと。 今一つは 「子供たちの結婚披露宴」を行うことだそうな。

一つ目の親を送ることは 自然の摂理であるので既に成し終えた。
二つ目の子供たちの結婚披露宴を行うことであるが、この二つ目はおいそれと自分の思ったとおりにはゆかない。

自分には息子が二人いるが、今までに2人に結婚を勧めるも 他人ごとのように親の話を聞こうとしない。

普通であれば この時期、孫たちに大学・高校受験の合格祝いを弾んでいるところだが、情けないかな未だにその境涯には至らない。

そんな折、昨年のお盆に突然長男の方が年貢の収め時と思ったのか、“親父俺・結婚するぞ!”と言ってくれて今日まで その日を指折り数えて待っていた次第である。

で、結婚披露宴であるが、今までに 親戚・知人の結婚披露宴は数多く出ているが、いざ息子の披露宴となるとはたと戸惑う。

息子達は外国に行って二人で結婚式を挙げてくるので披露宴はいらぬと言う。

しかし、自分としては披露宴をやらないで済ます訳にはゆかない。

親の遺言を反故にすると あの世で親父に合わす顔がない。何とか息子を宥めて めでたく披露宴を済ましてホットしているところである。

これからは 

 ♪一に嫁とり 二に孫見れば 三に黄金の蔵を見る 

と なって欲しいものと念じている。


建国記念の日

2010-02-11 18:20:23 | 雑感
今日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」で、国民の祝日の日である。

戦前は「紀元節」と言っていた。
 
雲にそびゆる高千穂の 高嶺おろしの草も木も
 なびきふしけん大御世を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ~

 (今は昔の「紀元節」より)


戦後の昭和23年にGHQにより廃止され、一時期、祝日の日から外されていた。

ところが昭和41年に至り、その復活を望む多くの国民の声に祝日法が改正され、今日の「建国記念の日」となっている。

勿論“紀元節を復活させたもの”との反対意見も多く出たとのことである。

では、「紀元節」と「建国記念の日」は、同じ2月11日なのに何処がどう違うのだろか 

また、「建国記念日」でなく、何故、「建国記念の日」なのだろうかはたと戸惑う。

思うに、「紀元節」も「建国記念の日」も、神武天皇が東征を成し遂げ初代天皇に即位された日、即ち「建国記念日」なのである。

そして、「建国記念日」でなく「建国記念の日」なのか?は、この2月11日が本当に神武天皇の即位日と確定するには至らない為、史実に基づく建国の日とは関係なく、“建国されたという事象を記念する日である”との考えによるもと理解している。

ただ、 「紀元節」の時代は、王政復古のもとにこの行事自体が、国家主義や、軍国主義の宣伝に利用せざるを得ない時代背景があり、国民の意とは程遠い祝日であったのでは?と、思ったりもしている。

今日の「建国記念の日」は、平和な御世で、「国を愛する心を養う」、とのスローガンの如く、文字通り主権在民の国民の祝日なのである。

なお、「建国記念の日」の制定にあたり、昭和32年から9年間にも及ぶ議論の末、漸く成立した祝日であり、また、「紀元節」と同じ日にしたことについても、当時は紆余曲折の末、政令で定めたと言う経緯もあるのだから、努々万世までも、あの悪しき「紀元節」に戻ってはならないのである。

余談ながら戦前の国民の祝日は、この「紀元節」のほかに「四方節」「天長節」「明治節」があり、“四大節”と称されていた。

    ・ 「四方節」:元旦(皇室行事である四方拝に因む)

    ・ 「天長節」:天皇誕生日(在位中の天皇の誕生日を祝う日)      
     ♪きょうのよき日は おおきみの 生まれたまいし よき日なり~

    ・ 「明治節」:明治天皇誕生日(明治天皇の御聖徳を偲ぶ・・・在位中は「天長節」)   
     
♪アジアの東 日いずるところ  ひじりの君の 現れまして
    ふるき天地(あめつち) とざさる露を  おおみ光に 隈なくはらい
     教えあまねく 道あきたけく  おさめたまわる み代とうと~


平成の今日の日に、“霞にまみれて消え失せにけり~”の「紀元節」を紐解き、当時の日本に あれこれと想いを巡らす一日となった。


立春大凶

2010-02-04 23:20:25 | 雑感

今日は立春、「春が立つ」日なり。

冬の寒さがやわらぎ始め、三寒四温の気候となり春の始まりを告げる日である。

また、旧の節分では一年の最後の日(大晦日)にあたり、その翌日が立春で一年の暦の始まりである。

今朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣が今も残る。
ところが、このお二方は立春大吉ならぬ「立春大凶」となった。

奇しくも今日の日に 片や天下の大横綱朝青龍、此方赤じゅうたんの石川代議士である。

横綱・朝青龍に至っては今回の暴力沙汰までに、協会から厳重注意を5度も受けていると聞き及ぶ。

今回の仕儀は身から出た錆で致し方ない.

解雇とならぬ先に身を引くのが賢明であろう。

一方、石川代議士の方は、起訴と言う事実に我が身をどう処するのか、国会ならずも国民の注視するところである。

一連の流のなかで 大山鳴動・鼠一匹では、拍子抜けの感もしないではないが・・・

何れにしても このお二方には 一年の暦の始まりとしては厳しい年になりそうだ。


今日は節分

2010-02-03 14:48:17 | 雑感
都々逸で綴る節分雑感
 
”立春前日魔滅(まめ)撒きちらし 福を呼び込む邪気払い”


”鬼や福やと賑わう今宵 鰯の頭のいらぬ世に”
 
(え)        (ほう)         (ま)          (き)
は異なもの丁も入れずごとほおばる願寿司” 

”厄の捨て場は歳徳神に 訊いてほうばる恵方巻き”

 (せ)         (つ)     (ぶん)       (え)
中いっぱいたい風が量も多目に釈する”

 (ま)          (め)         (ま)         (き)
ジで惚れられ子も捨てたまごと遊びのい恋”

(おに)     (は)         (そ)            (と)
の嬶がたきをかざしの女(ひと)どなたとい詰める”

(ふく)          (は)         (う)       (ち)
のとっちゃがにかみながら気露見で謝する”

確定申告のこと

2010-01-31 09:33:24 | 雑感
今年も確定申告の頃となる。

当方は、あのお方のような 贈与税の確定申告ではない。

日々細々と 
”やっとこさ 糊口を凌ぐ 雑所得” 
に係る 還付申告である。

我々年金生活者には、
現役サラリーマンのような年末調整がないので
この時期に 納めた税金の過不足を清算するものである。

この申告をしないと、医療費などの所得控除が受けられず、
雑所得 黙っていると お釣りなし”
の仕儀となる。

で、今年も家内の医療費が20数万円に及ぶ。

入院であれば医療保険の給付もあるが、
持病の 高血圧・不整脈・骨粗少症の外来診療・投薬では
補填がない。

しかし、入院せずに済んだ代償と思えば 喜ぶべきであろう。

よって、支払ったこの20数万円に対し、
源泉徴収された所得税のうち 六千円余が還付となる。

あのお方は、当方のようなミミッチイ話ではなく、

貰ったお小遣いの追徴課税で6億余を納入し、
この後、2億余が還付されると漏れ聞く。

全く庶民感覚とはかけ離れた
”鶴は千年 亀は万年 鳩天然”
と、何方か仰っていたが  ガッテンしきりなり。

長月末日

2009-09-30 18:06:50 | 雑感

 の浮世に夜は僅か路は如何なる和やら”

九月も駆け足で過ぎようとしている。
今月もいろんな出来事があった。

国政レベルでは、自民党の長かった独裁政権が終焉を迎え、
代わって民主党による新政権が誕生した。

これからは、少しでも暮らし向きがよくなることを願うばかりである。


一方当家でもこの機に、
息子に政権(家計)委譲を申し出ているが、なかなか引き受けてくれない。

もっとも埋蔵金も、
隠し金も使い果たした今となってっは無理からぬことである。

この先は如何相成ることやら、
「小さい秋」も探せぬまま 神無月を迎えることとなる。



(金華山より長良川を臨む)

一足早く織姫と再会

2009-06-07 14:18:57 | 雑感
先日、恒例となった小学校時代のクラス会に出席した。

クラス会は平成16年より毎年行っているもので、今回で6回目となる。
出席者は、織姫8名と彦星6名の面々である。

一年ぶりに顔を会わせた織姫・彦星、

                                   歳の数 増えた~ (ささの葉 サラサラ)
                                   心が ゆれる~  (のきばに ゆれる)
                                   織姫 キラキラ~ (お星さま キラキラ)
                                   彦星 老けた~   (金銀 すなご)

の想いであった。

さて、我々が♪国民学校一年生~になったのは、
敗戦が濃厚となった昭和20年4月のことである。

高のお兄ちゃん達が、

♪燃料片道 テンツルシャン 涙で積んで
 行くは琉球 死での旅  エエー 死での旅~


と 唄っていた頃である。

で、当時のクラス編成は、隣接2~3町で1組を編成し、
入学時から卒業まで同じクラスで学んだ。

我がクラスは、男子27名に女子21名の 一クラス48名であった。
それから60数年後の当日では、総勢で38名(男19・女19)となっていた。

昨年までに既に9名が鬼籍入りし、
今年に入りまた彦星1名が流れ星となり、

これで10名(男子8・女子2))の同級生と別れたことになる。
“明日は我が身”の想いが募るばかりなり。

さて宴会では、級長さんの音頭で乾杯し、
♪花のあの娘(こ)は けがれを知らぬ~の当時に立ち返り、
今年の七夕も♪夜の更けるまで~ 盛り上がった。

そして翌日の昼食後、お互いに元気で来年も再開を約し解散とした。

今回は、毎年開催のこともあり、
例年より参加者が少なかったのが気掛かりであった。

衣替え

2009-06-02 14:50:41 | 雑感

昨日より水無月 衣替えである。

ところが かの御仁

”単衣着るかは私が決める 袷着たままクールビズ”

と 仰っている。

嬶の育てた薔薇でさえ

”育て親似の頑固な薔薇が トゲをたたんで開く今朝”

と言うのに・・・

画像


今年も 暑い夏になりそうだ・・・


この歳で初体験

2009-05-21 15:26:05 | 雑感

と言っても、“七つ八つでいろはを習いはの字忘れていろばかり”のことではなく、「大腸検査」のことである。

以前より、時々右腹部に鈍痛を感じることがあり、その都度腹部エコーで診て貰うもなかなか分からない。よって、以前から医師に進められていた大腸検査を受けることにした。

その大腸検査であるが、痔のため肛門よりの内視鏡挿入の苦痛と、生まれつき♪男度胸は鋼(はがね)の味よ~ とは程遠く、臆病で、文字どおりケツの穴の小さい人間なるが故、ためらってきた。

しかし今般、意を決して検査を受けることとした。以下、その奮戦記である。

まず手始めに医師の勧めで、「S状結腸」フッァイバーに挑戦することにした。

この検査は、直腸と下部結腸に対する検査で、受験準備も朝食を抜くだけで億劫さはない。事前にファイバーの肛門通過が可能?か否か、触診で確認してあるので幾分平常心で受けられた。

医師の説明で、映像に映し出される自分の大腸内壁をはじめて見ることができた。
検査では、悪いところも見当たらず、詳細は次回の大腸検査に託すこととなる。

それから一ヶ月後、本番の「大腸検査」である。

・検査前日の食事ポイントから始まる。
(あさ) トースト・1枚(約160KCal)+ポタージュスープ +目玉焼き 

(ひる) 茹でうどん・1玉(約250KCal)+プリン
(よる) おかゆ・茶碗1杯半(約220KCal)+梅干ペースト(少量)+ヨーグルト
                <夜九時以降絶食>
・検査当日
何時もなら ♪一杯のコーヒから 夢のはじまることもある~ 朝であるが、
八時半に入院手続き(これも初体験)を済ませ、病室へと案内される。

病院衣に着替え、一旦ベットで休息。暫くすると看護士さんがボトルとグラスを持って入ってくる。よく見ると、何時もキープしているボトルとは程遠い、不細工な2リットル入りの薬液ボトルである。これを2時間かけて飲み干せと言う。話には聞いていたが、いざ飲むとなると難儀である。

飲み方にも工程があり、最初の1/4は15分で、残り3/8は45分で、そして後半の1時間で全部空けて欲しいとの事、これが第一関門なり。そして、点滴が始まり飲み始めて1時間、そろそろ燗がつく。

室内便所に通うこと5~6回、無色透明の便滴に変わり、検査可能の状態になる。ここまでくれば後は医師任せ、覚悟を決めて検査室に入る。

担当医は?と見ると、前回の「S状結腸」をして貰った先生だったので安堵し、緊張も幾分弱まり検査がスタート。胃カメラとは違い、ゲブゲブはしないが、ファイバー挿入時に肛門に激痛が走る。

なんとか痛みと不快感を耐え、直腸からS状結腸、下行結腸、横結腸、上行結腸の全てをファイバーで観て貰うも、ポリープも見当たらず、ピンク色の綺麗な腸壁に太鼓判を押して貰う。

この間約30分余りなり。検査後は、病室までベットで運んで貰い、約3時間の休息を経て無罪放免となる。

もしポリープがあれば即切除で、病院での一晩泊となり、♪覚悟を決めたわが身でも~であったが、甲種合格を貰い、やれやれの想いである。

途端に祝杯とゆきたいところだが、当夜は酒とタバコは厳禁とのことで、ぐっと堪えた一日となった。

以上が初心で遅咲きの初体験記である。