遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

- 第3章 -

2007年03月25日 | Weblog

3章 手術前


618号室の患者さんは比較的軽い心臓病の方達の集まりでバルーン治療の方、
ステントと呼ばれる治療で冠状動脈の狭窄部分に金属メッシュの筒を入れる方
などが入院していた。部屋にはベッドが8個あり1人の占める場所は少し窮屈
であった。



 患者さんの会話はバルーンやステント治療それに、政治、青少年の事件まで
と広範囲に展開されていた。会話は大体において窓際で行われ、毎日、特定の
患者さんの声が部屋に響いていたと思う。

 私自身は、点滴からは解放され、一応自由な身に置かれていたが行動範囲は
まだ洗面所に1人歩 行することだけに限定され、いつ発作が起こるかわからな
い状況下にある為、ほとんどがベッドで安静にしていたのである。





一般病棟で私は、携帯心電図計を身体に付け、ナースステーションに設置され
たモニターで24時間心臓の監視を受けていた。それに血管拡張剤の服用及び
血液をサラサラにし、血小板の固まらない薬の服用などにより血圧値が上限値
(100~90台の範囲)、下限値(60台の範囲)にまで降下しており、脈
拍は60~80台にコントロールされていた。


体力の低下も著しく、目の前が暗く感じる日が多くなっている。食事は毎回全
部食べる事にしていたから体力を維持できると思っていた。しかし、ベッドで
ほとんど寝たきりの生活をすると想像以上に体力が低下してきたのである。





真中先生とそのグループの先生方の回診は朝食時に行われた。


「おはようございます。いかがですか?」


と、例の直立不動の姿勢から身体を約15~20度前方に傾けて挨拶され
る姿は退院当日まで変わらなかった。私が、


「心臓は無風状態、気分は晴れです」


と答えると、


「何も無いことが何よりです。スプレーは必ずしてくださいね」


と言われるのが常であった。しばらくの間、618号室にいた私は、その
後、617号室に移動した。


真中先生のグループの中に田中薫先生がおられて、何時もグループの後ろ
のほうで笑顔を送ってくださり右手を小さく振って私に挨拶をいつもして
くれていた。田中先生は真中先生が学会の出席でフランスに行っておられ
た約10日間、私の主治医を勤めていただいた先生である。





 田中先生は活動的で元気がよく、病棟中を走り回るように勤務されてい
た。先生はいつも笑顔を絶やさず患者に接しておられた。手術が終わって
病棟に帰ってきた時、ナースステーションにおられて、私に付き添って戻
ってきた看護婦さんに、


「どうだった。完全成功?」


と尋ねられ、


「よかったよかった」


と我が事のように喜んで下さった先生である。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





手術前に行われる検査は心臓バイパス手術の場合についてほとんど同じ
ものと考えられるが、私が手術前に受けた検査について触れてみたい。




① 絆創膏テスト 腕に6種類ぐらいの絆創膏を48時間貼りかゆみ
  等その患者の皮膚に与える影響のもっとも少ない種類を調べる。
② 抗生物質の皮内テスト 手術を受ける人は抗生物質を注射する為、
  アレルギー反応を調べる。
③ 腎臓機能検査
   イ、24時間蓄尿する。
   ロ、ドライ食事を前日の夜とり、水分を制限後就寝前にトイレ
     に行き、起床時全尿を採取し、1時間後採尿、更に1時間
     後採尿する。
④ 検便 手術までの間に1回行った。
⑤ 水分、尿量のチェック 飲んだ水の量と排尿の量を調べる(午後
  12時より翌日の午後12時までの1日間)

⑥ 首の頚動脈のエコー検査 首の横にエコーのセンサーを当ててけい
  動脈の内径と外形の厚さを測り血管のつまり具合を調べる。

⑦ 心電図 土曜日、日曜日を除く毎日。
⑧ 胸部レントゲン撮影 手術前複数回、手術後ほぼ毎日。
⑨ 血液検査 静脈より血液を(1本3~4cc位)3~4本採集。主な
  検査の種類は、コレステロール値、中性脂肪、心筋細胞からの成分
の血液中での有無、血糖値、尿酸値など必要分。 
⑩ 胃カメラ 手術前1回。 
⑪ 腹部レントゲン撮影 輪切り状にレントゲン撮影をする。
⑫ 胸部レントゲン撮影 心臓の辺りを輪切り状に撮影する。
⑬ 輸血の為の血液採集 手術前1回。
⑭ 心臓エコー検査 複数回。
⑮ カテーテル検査 入院後早い時期に1回(心臓処置の診断用)
  カテーテル検査 手術後1回(手術後の心臓バイパスの確認用)。 
⑯ 心臓核医学検査 放射性同位元素を用いた検査で心筋の状態を
モニターに表示して心筋梗塞の場所、大きさなどを画面から読み
取る。別名RI検査とも呼ばれる。
⑰ 止血時間検査 手術前2回、耳から血を採取してその血が固ま
る時間を測定する。正常値では2分から5分ぐらいとの事私は、
手術までに2回行う。最初の値は9分10秒、2回目の値が固まる
までの時間は1分30秒であった。


以上は私が記憶している検査の種類である。この他にトレッドミル
等の検査を受けておられる患者さんもあり、検査の種類は患者さん
により全く同じではないようだ。しかし、大筋において、心臓バイ
パス手術患者の検査項目はこのようなものであろう。

手術前の検査は、手術を担当する医師にとっても患者個人にとって
も非常に重要なデータである。 
このデータにより医師は手術を受ける患者の弱点を知る事ができ、
それに対する対処方法を検討できる時間も十分に持てるからである。


不幸にして意識不明で緊急入院をしなければならない場合、これら
のデータ不足から、予定手術に比べて危険度は大きくなると考えら
れる。


私の場合、いつ意識不明になるか判らないほど危険な状況であった
にもかかわらず手術日を事前に設定して、十分に検査を行った上で
の計画的な手術が出来たのは幸運であった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




集中治療室から一般病棟に移り更に618号室から617号室へ
と部屋の移動はあったが、体力維持の為の、合併症の無い人のス
テージ表にそってステージ3からステージ7までは訓練が続いた。


ステージ7にある入浴のメニューに進んだ時、私は何か悪い予
感がしたのである。その日、リハビリ担当の看護婦さんに次の
ように伝えている。


「風呂は午後に入っていい?あまり入浴したくないのだけれ
ど・・・」


と。しかし、結果的には、担当の方に薬剤注入用の静脈につな
がれた管をサランラップで防水し、ゴムの手袋でガードをして
防水用の準備をしてもらった後にシャワーを使い、風呂の湯船
に身体を沈めたのであった。


6月12日朝4時、体全体のだるさに目が覚めた。同7時、朝
の看護婦さんの検温時に、


 「今朝4時に目が覚めて、身体全体がだるかった」


と訴えたのであるがその日、私は理由のわからない高熱を出す
ことになってしまった。体温も38度から最終的には40度に
なってしまった。

12日夕方、看護婦さんに、


 「解熱をしてもらえないですか?」


と尋ねた。先生からは、


「ご本人の希望に任せてください。ただ僕としてはもう少し様子
をみたい」


との回答が看護婦さんを通して私に伝えられた。そこで私は、


 「わかりました。もう少しがんばります」


と看護婦さんに答えたと記憶している。


夕方の8時を過ぎていただろうか、ナースコールのボタンを押す。


「もう限度です。1日中高熱が続いています。これ以上我慢する
と体力が消耗します。

解熱をしてください」               

とベッドに駆けつけてくれた看護婦さんにお願いし解熱剤を服用
した。


その後、眠ったのだろう、13日の真夜中だと思う。胸の辺りが
押さえられたような鈍痛がした。食道にそって熱く痛い感じがした。
入院前の発作と同じ状態に目が覚めたのである。


これは普通ではないと感じた私はすぐナースコールのボタンを押
した。
この時、当直の看護婦さんが‘りーさん’と福岡出身の看護婦さ
んであった。彼女たちはテキパキと動いて先ず心電図をとり、当
直の医師を呼んだ。‘りーさん’はこれ以来、何故か私が発作を起
すたび、私の当番看護婦さんをしていた。


後日、彼女は笑ってこう言ったものである。


「私は、不幸を呼ぶ女?・・・」


と。とんでもない。あなたのテキパキとした対応が私を助けた
のだよ。


当直の女医さんは、看護婦さんに指示しながら、あらかじめ、
私の右腕の静脈に確保されている管から液剤を何度か注入し、
その後、


 「発作はおさまりましたか?」


と尋ねられた。しかし、発作は軽減されなかった。静脈から
薬剤が投与されるたび、血管に冷たさを感じた。先生はしば
らくの間、私の発作の処置をしておられたが、


 「だいぶ改善しました」


と心電図で確認後、当直医待機室へ戻って行かれた。


‘りーさん’は、


 「もう大丈夫、何かあったらすぐ呼んでね」


といって同僚の看護婦さんと共に戻って行った。


私自身はその時、発作がまだ続いていたが、いつの間に
か眠ってしまった。そして、夜が明けて辺りが明るくなる
と目が覚めた。

しかし、発作は続いていたのである。ナースコールのボ
タンを押して看護婦さんを呼ぼうとするのであるが、何故
かそれが出来なかった。
 
 意識はあるしかし、行動が取れない。しばらく天井を見
たまま、呆然としていたら、胸の苦しみ、食道付近の熱い
痛さが突然に嘘のように消えていった。この時、私は心筋
梗塞をおこしていたのである。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


朝7時を過ぎ、回診の時が来た。真中先生は1人で私のベ
ッドに来られた。


「どうですか?」


と先ず尋ねられたと思う。


「発作が先ほどとれました」


と、私は答えた。



先生は、更に続けて、


「集中治療室に今日戻ります」




 こうして、私は再び5階の集中治療室に戻る事になった。
 この日は6月13日の朝であった。




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