遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

日記(平成10年8月5日)

2007年04月12日 | Weblog
平成10年8月5日 (水曜日)
   
 朝から太陽が出て気持ちの良い1日になりそうだ。
  また、昨日救急車で患者さんが運ばれた。

  私のベッド左側の患者さんは遠慮深い人である。
  入院の時の状況を思い出して、自分の足を、

「臭くって、臭くって、肉が腐るとあんなに、臭
 いものかネ」

といっていた。夜も眠れないようだが、夜中もじっ
と静かに我慢しているようだ。朝、看護婦さんに、

「昨夜、足が痛かったが辛抱できないほどでなか
 ったので呼ばなかった」

といっていた。昔気質の人である。今日も、Y医大
で、足の切開をするのだといっていた。

「もう嫌だな、メスを入れられると痛いんだよな」

 看護婦さん曰く、

「痛いのは、神経がある証拠よ、痛い方がいいんだ
 よ」

壊疽の場合、切開をして、菌を空気に触れさせな
い事にはいけないらしい。だから、次から、次へと
切開し、足の上の方まで切断していかなければなら
ないのだ。見舞いにこられた方が、

「足の指1本無くても力が入らないから、お医者さ
 んに頼んで1本でもいいから残してもらう
ようにした方がいいよ」

と何度もいっていた。でも、実際はそんな簡単なも
のではない。静かに、長い時間をかけて忍び寄った
糖尿病は、神経障害それに、壊疽という合併症を引
き起こし、足が腐ってしまった今、足を切って、足
を腐らせている菌を絶滅させる対症療法しか医師の
ほどこす医療技術はないのである。

 医療関係者つまり、医師や看護婦さんは、最初は
患者に、

「これとこれは駄目ですよ」

と教えるのであるが、患者が彼らの目を盗んで甘い
物を食べたり、飲んだりする。これを見つけて、注
意していた医師達は、だんだん注意しなくなってく
る。一種の諦めである。最初は、隠れて食べていた
患者も、段々とエスカレートして堂々と食べるよう
になる。当然、あんな面倒な運動療法なんてしない。

 インスリンを注射する事により、血糖値が降下する。
 血糖値が下がったことを良いことにして更に食べる。
 結果として血糖値が上昇する。インスリンの量を増
やす。この追いかけっこを繰り返しながら静かに、糖
尿病は悪い方向に向かっていくのである。一応、血糖
値がインスリン注射によって安定すれば、主治医から
退院を許可される。大体、糖尿病患者でよほど重症の
合併症が無い限り、白内障などの手術を含めて1、2
週間ぐらいの治療で退院して行く。

 医師達の目から開放された糖尿病患者は思う存分飲
み、食べそして、インスリンを自己注射して、自分で
は血糖値コントロールを上手にやっていると錯覚しな
がら5年、10年と過ごすのである。

 人によってはこの状態が7年ぐらい続くだろうか、
普通は、糖尿病の初期の頃は、医師の指導により運動
療法と食餌療法が行われるだろうから、発病してから
およそ10年から15年は経過しているかも知れない。

 その後、何らかの異常を感じるようになる。

 そして再度入院し、医師に病気の悪化を告げられる
事になる。患者は「そんな筈が無い、インスリンを指
導どおり注射していた。通院もきっちりとしていた」
と。患者にとっては寝耳に水という事になるのだ。こ
のとき、糖尿病の怖さがほんの少しわかり始めると同
時に、糖尿病に対する諦めの気持ちが出てくる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 これは、ある患者さんの述懐である。

「どれだけ努力をして糖尿病のコントロールをして
もどうにもならない。俺は、一生懸命コントロー
ルをやってきたじゃないかなのに、ぜんぜん良く
ならないんだ」

 この呟きが糖尿病患者の本当の叫びではないだ
ろうか。医師が、

「言う事を守らないから、こんな事になるんだ」

と患者に対していう言葉を何度も聞いた。

 しかし、患者は何故叱られているのかさえもわか
らなく、足の指3本を含めた半分近くがえぐり取ら
れて無くなっている現実だけが残るのである。医師
と患者の食い違いは初診の時から生じているのかも
知れない。糖尿病が現実のものとして患者の身体に
現れ始めるのは、年齢的にも50歳代に入るか、4
0歳代の後半で働き盛りの時である。この事は、自
分の人生環境を変えるという大変な時期である。

 即ち、入院生活が1ヶ月以上になり、休職、退職
を考えなければならない時となるのである。

 隣のベッドの患者さんも、見舞いの人と話していた。
見舞い客曰く、

「足が無くなったら、もう働けないな」

 患者さんが答える。

「その時は、会社を辞めるさ、ただ、この歳で娘に
世話になるのは嫌だな、そうなったら死ぬよ」

 会社を辞められるだけの蓄えがあればよい。長い
入院生活で恐らく貯えも底をつくだろう。家
族の疲れも限界にきている。頻繁にきてくれた見舞
い客も足が遠のく。そして、場合によっては、ベッ
ドに両手、両足を縛りつけられながら大声で1日、
2日間、わめき散らして意識の無いまま死んで行く
場合もあるのだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 食事を済ませ歯を磨きに行こうとしたとき、中
年の女性に呼びとめられた。糖尿病患者第一号で
妊娠、出産をされたらしい。また、娘さんも子供
さんを出産されてこれまた、糖尿病患者第一号の
子供さんが生んだ子供ということになりNHKか
ら珍しいからと取材を受けたと話された。

 当時、オウム事件が発生し放映はそちらの方が
ニュース性があるということでオウム一色になっ
たが、その後5分ほど放映されたとの事であった。

 幸いにして彼女は還暦を過ぎたとおっしゃって
いたが、合併症が出ていないということであった。

 若い頃、糖尿病になったから真性糖尿病即ち、
インスリン依存型である。当時はインスリンの種
類が一種類で速効型しかなかった時代であったと
いう。最近になって目の治療を行ったとの事であ
った。

 45年の間、糖尿病という病歴の中で最近まで、
合併症が出ていない事はすばらしい事であり幸運
であったといわなければならない。

「食生活が生きるための楽しみの一つであるなら、
病人に糖尿病食をたべさせるのはどうかと思う」

と話された。病院の糖尿病食に不満を述べられたの
だと思う。糖尿病食といえども、もう少し患者が楽
しんで食べられるよう配慮すべきではないかとも言
われた。案外、食べる物は自由にやって来られたの
だろう。

 糖尿病経歴30年の私より更に長い糖尿病生活を
している方もおられるのだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 部屋の隅のベッドのご老人が大声で何かわけの判
らない言葉を発した。突然に大声で何かを発するの
で慣れるまで大変であった。彼は、仕事をしてテレ
ビを見て、普通のように喋って。

 ぜんぜん精神にも異常が見受けられない。突然大
声で2~3回わめく事と、テレビの音量が大きい事、
後はご自分の目の手術をしたということ、水晶体に
レンズを入れたため10人に1人は硝子体が敗れる
ということを眼科医から聞いた事が気になり、自分
もその1人ではないかと心配している事(硝子体が
敗れる確立は各眼科医によってその意見が異なるら
しい)ある先生は、1、000人に1人ぐらいでは
ないかという)。ぐらいであろうか。

 例によって、看護婦さんの甲高い声が私の鼓膜を
震わせた。

「検温の時間です」

 隣の患者さんが点滴を4時間かけて注入してる。
もう本人は相当にイライラしている様子だ。

「看護婦さん!」

と小さな声で呼ぶので、ナースコールのボタンを押
せないのかと見にいってみると、点滴が遅いのでい
らいらしているとの事。「看護婦さんを呼んでもだ
めですよ。看護婦さんはあなたの主治医の言う言葉
しか守りませんよ」と納得させた。

 窓際の患者さんが氷を欲しがったので、買いにい
って来た。

「氷を食べる前に看護婦さんに食べて良いかどうか
尋ねてください。私は、あなたの病気を悪くする手
助けはしたくないから」

といったが、本人が大丈夫というので買いに言った
のである。糖尿病で氷が悪いと聞いた事はないから
いいだろうという気持ちもあった。「冷たいコーヒ
を飲みたい」というお隣の患者さんの気持ちに負け
たのだ。本当はコーヒも良くないが、砂糖や、ミル
クを入れなければ、カロリーもあがらないだろう。

診療日記

 今日は看護婦さんがいつもの時間よりも早く採血
に来た。6時30分である。決められた時間は7時
15分だから相当に早い。時間通りに処置する人、
時間にルーズな人。看護婦さんも各人各様である。

 まあ、朝の空腹時であるから昨夜からすでに10
時間はたっているし血糖値測定には問題ない。

昨日夜から薬を止めた。血糖値が今朝、80(mg/dl)
であった。今朝はそう快に目が覚めた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 嫌気性菌、生まれて始めて聞く言葉である。壊
疽の隣の患者さんに主治医が言った言葉であった。

採血のために病室に入ってきた看護婦さんに尋
ねたのだ。

「看護婦さん、ケンキセイキンは漢字でどう書く
 の?」

看護婦さん曰く、

「嫌う空気の菌だと思うが、調べといてあげる」

 この菌は、字のごとく、空気を嫌う。従って、こ
の菌が入ると切開して空気を入れ、繁殖を防がなけ
ればならないのだそうだ。糖尿病で壊疽になった時
の足の切断はこの為に行われるのだろうか。

これで足を切り開いて患部に空気をあてる理由が
理解できた。菌は、空気を嫌って徐々に肉体に浸
透していくらしい。

 最悪の場合は患部の切断だ。ほおって置くと足が
腐る。あの有名な役者、今は亡くなられたエノケン
さんが舞台出演中のため、治療を断り、手当が遅れ
て足を切断したという話は有名である。

私は、運動の為にハイキング用リックサックと定価
1、000円を切ったちゃちな折り畳み椅子を買って
きた。いつもは開けている仕切り用カーテンを閉めて
ごそごそしていた時であった。

カーテン越しに、

「血糖値が120(mg/dl)にさがったよ」
「この分じゃもっと下がるゾ、もっと運動しなさい」

主治医の声がした。カーテンを開けると、私の大き
なバックをみて、

「バックに水をつめてね」

と指示された。その後、約10キロの重さのバック
を背負って病院からJRのX駅まで運動に出たので
ある。

 私は主治医の、「この分じゃもっと下がるゾ」の
言葉を受けて、200(mg/dl)以下になればいい。

と先生にいうと、

「下がるよ、絶対さがるって」

と言われた。「その言葉を信じて私は、また明日か
ら10キロ(Kg)の重さのリユックを背負ってX駅
周辺をうろつく事になるだろう。

 少し恥ずかしいけれど、『私は糖尿病患者です。
 運動中です。もし意識不明になりましたら、
リユックの中の缶コーヒを飲ませ、至急以下の場所へ
連絡してください』というメモをリックサックの名
前を付けるところにはり付けて、退院の日まで運動
をし続けると思う。人との相性は大切である。この
病院に送ってくれたS先生が私の性質を正確に把握し
ていた。

 わずか1ヶ月1回の通院で、これだけしっかりと
私の性格を捉えているとは思っても見なかった。相
性の合いそうなk先生を主治医にしているところな
んか凄く憎い。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

 自分の意見をはっきりと先生に伝えられる患者で
あればお医者さんの方もしっかりと受け止めてくれ
る名医が多い事に喜びを感じる最近である。それに、
医者は患者の気持ちをしっかりと受けとめる度量が
必要であるし、そういう先生も現実におられること
が、とても嬉しかった。私も30年近い糖尿病生活
の中で、幾人ものお医者さんとインスリン注射投与
の事でぶっかった。

 それは、先生側の問答無用の言葉があった事も事
実である。先生側は患者のことを考えた上での発言
であったろうと思いたいが、年月を経た今でも残念
ながらそう思えないのである。最近は、患者の言葉
に耳を傾けて真剣に聞いてくれるお医者さんが多く
なったの有り難い。

治療日誌

血糖降下剤名は「ダオニール」と言う名前である
事が本日判明。薬名を知る機会は何度もあったが、
不思議と薬に無とん着であった。血糖値コントロー
ルばかりに気を取られていたように思う。

血糖値(病院測定)

6時30分   80(mg/dl)
11時15分 122(mg/dl)
17時15分    87(mg/dl)
22時00分 175(mg/dl)

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

            第5章へつづく

                 

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