遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

日記(第2回目)第2章おわりまで

2007年04月09日 | Weblog
第2回目

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平成10年7月23日 (木曜日)  

 今朝0時30分頃は雷雨が激しかった。闇夜の稲
光と轟く雷鳴。雷に起こされて、仕方なくトイレへ
行った。
 その後、いつの間にか眠ってしまった。今朝は快
晴でそう快な気分だ。お隣の新患さんと窓際のベッ
ドの先輩は朝が早い。少し迷惑だけど相部屋だから
仕方がない。それに、私と違って毎日ベッドにいる
だけだから疲かれないのだろう。

  新患さんは、体格がよいからか、昨日も暑い暑
いの連発であった。自分はそんなに感じないが、大
きな声で連発されると、 部屋にエアコンがあるだ
けに辛い気持ちになる。

 エアアコンの風が、直接私のベッドに吹込むので
5分もしないうちに身体が冷え切ってしまうのであ
る。

 それに元来私は、冷房が嫌いなのである。暑い暑
いと連発される時、私は部屋をそっと出て行く事に
している。一呼吸をおいて、部屋に戻って来たら、
何時ものようにエアコンが運転されていた。


 久しぶりに夢をみた。若いとき、たびたび、空を
飛ぶ夢をみたが、不思議と鳥のように手を上下にバ
タバタすると空中に体が浮くのである。

 ただし、小鳥のようにスムーズにはいかない。何
かに追われて、危険を感じ、絶体絶命のとき、死に
もの狂いで両手をバタバタするのである。

 すると、空中に飛び上がり、後はスイスイと飛び
回れる。そんな夢の中で、

 「君に外国へ行ってもらおう」

と会議で決定された。

 「正夢であればいいのにな...」

と、しばらく夢の余韻を楽しんだ。実は、入院を決
意した時、海外で暮らすことは今後なくなるだろう
と覚悟をしたのである。

 「入院しなければならない人間が海外で仕事が出
  来るわけがない」

と判断されると思ったからだ。

 心の中では、海外赴任をしたい気持ちは変わらな
いが、そんな気持ちが、夢にでてきたのであろう。

 糖尿病の状態はすこぶる良好。今朝は、自己測定
で、血糖値94(mg/dl)を記録した。

 「もう外国へでれんな」

と入院願いを出した時、職場でいわれた。

 「すでにあきらめています。入院すると決めたときに」

と答えたがその時、私の心は決まったはずであった。
 しかし、まだ未練があるようだ。「これだけ自己
管理ができるのだから外国行きも問題ないんじゃな
い?」という気持ちがもたげてきたのである。正常
になりつつある血糖値をみて、MクリニックのS先生、
入院先の主治医、それに看護婦さんや補助さん、ベ
ッドを片づけてくれるおばさんや掃除してくれるお
じさん達のお陰を忘れかけている自分に気が付いた。

 糖尿病患者に静かに近づいてくる恐ろしい病気...。
糖尿性網膜症、壊疽。糖尿病性神経障害(これは体
の隅々まで張り巡らされた神経の道路が切断された
と考えればいい)(体をコントロールするためには
脳からの司令が必要となるがこの司令を送る道路に
相当する神経細胞は体の隅々まで張り巡らされてる)。
 
 これに障害が起こると、痛いという感覚もなくな
ってしまうそうだ。足がジンジンしたり、冷えたり
そして痛む症状が現れ始め、それが重くなると麻痺
をしてしまうとのことである。私が、入院した当時、
先生が、脚気の検査と同じ検査をした。ゴム付きの
棒で叩くと、ぴょこん、ぴょこんと足が上がる。

 この検査を受けた時、何故、脚気の検査をするの
か不思議であった。その理由を今、理解した。

 神経の検査をしていたのだ。抹消神経の検査だっ
たのだ。神経障害だけが、糖尿病の合併症ではない。
 心臓は心筋梗塞、腎臓は糖尿病性腎症などがある。

 自分が今、糖尿病のコントロール不良で危険信号
となっているのは、心臓と目である。心臓が、「心
筋梗塞の疑いがある」と診断されたのは、平成8年
8月、南太平洋の島から一時帰国した時であった。

 心臓の変化は、兄、久三の余命が約3ヶ月だとい
う報を日本で留守宅を守る妻から受けた時から始ま
った。
 私は、糖尿病持ちである事を自覚しているし周囲
の人々にも周知しているから、外国でも(ただし、
技術援助国の仲間などには知らせていない。心配と、
誤解それに間違った偏見をもたれないように考えて
そうしていた。)

 職場と住まいの間の移動は運動療法を兼ねて、自
家用車を手に入れるまでの3ヶ月間はバスと歩きで
あった。

 歩いて通う時は、片道1時間10分かかった。こ
の国の習慣か、バスは朝の通勤時間は頻繁に運行さ
れるが、帰りの時間は5時30分を過ぎると極端に
少なくなるし、日中はほとんど運行されない。

 そんな事情であるからおいおい歩くことになる。
 私は、結構おどけ者で仕事場の仲間にダーバンの
巻き方を教わり、頭に巻いて、衣装は民族衣装をま
とい通勤したものだった。バスターミナルは多くの
バスが入っているため、どのバスに乗ればよいのか
わからずキョロ、キョロしているとバスの運転手が
手まねで、「これに乗れ!」と教えてくれた。

 そんな風に、楽しく毎日を過ごしていた。このよ
うな性格が、私の糖尿病合併症を遅らせるのに役だ
ったのかも知れない。

 海外で単身の1年間、食事は中国人のレストラン
(小さな店)で、夕方の食事は自分の好みに調理し
てもらい、土曜日は3食その店で食べ、日曜日は土
曜日夕方に次の日の食材をそのレストランの奥さん
に揃えてもらっておく。という生活が続いた。

 これは、私にとっては、食事制限が実行できるし、
そのお店にとっては固定客が付くという双方にとっ
てとても都合のいいものであったが当然、相手に損
をさせない様に気を配ることが長続きの秘訣であり、
その点は十分に注意を払ったつもりである。

 それに通算6年間という長い海外生活をしていて、
糖尿病患者である私が、それを悪化させなかったの
には一つの理由がある。

 もし持病が悪化し帰国する事になった場合の関係
者にかける迷惑を考えた時、どうしても規則正しい
生活になるのである。ましてや病死し氷詰めで送還
される自分の姿を思い浮かべれば、自然と自分の生
活習慣に気を配るものである。


話は変わるが、血圧の薬とか、血糖降下剤を服用
していると、男性の機能が低下すると、本に書いて
あったので、回診時、先生に尋ねてみた。以下のよ
うな内容である。

 「先生、血圧の薬とか、口径血糖降下剤を使うと、
  男性の機能が落ちるという事が書いてあるので
  すが、勃起はしなくなるのですか?...」

「薬で弱くなる事もあるが、薬より糖尿病で勃起力
 が落ちたのではないか、うまく血糖値をコントロ
 ールしておれば、勃起をする。60歳の患者さん
 から連絡があったが朝立ちするといっていたよ。
 血糖値のコントロールがよければ回復するよ」

 ストレスも糖尿病に悪いのではないかと思う。ちょ
うど、心臓がおかしくなった時、兄、久三が幾ばく
も無い寿命だと連絡を受けてから、約1週間、夜、
部屋で大声をだして泣き明かした。(単身である
から、遠慮するなにもなかったためか)

 私が、薬を飲み始めたのは、この後であったと思
う。元来、薬嫌いの私は、インスリン注射ばかりで
なく、口径血糖降下剤も拒否しつづけていたのであ
るが、病気で死ぬ事があったら、皆さんに迷惑をか
ける。薬も飲んでなくて病死したら、申し訳ないと
いう気持ちが、わたしに薬を飲ませる決心をさせた
のである。 

 30年近く、薬を拒否し続けた私にとっては、本
当にあっけない幕切れだった。もう一つ、あれほど
に止められなかった「たばこ」を何故止められたの
か自分も判らないが簡単にやめてしまった。この
「たばこ」の件で自慢できる事がある。これは、先
生に、「たばこを止めなさい」。と言われる前に止
めた事である。

 従って、先生が、「たばこを吸っていますか?」

と尋ねられた時、「たばこは止めました」。こう答
える時、すごく快感であったものだ。

診療日誌

 今日は、主治医に、「糖尿病のことは全然わかっ
ていない。もっと勉強しなさい」と言われた。

 「蛋白はウイルスだ。だから、脳は蛋白を使わな
  い。蛋白を使うと頭はウイルスで侵される。脳
  が使うのは糖だ」

 「 糖はグリコーゲンとして貯え、それを必要に応
  じて使う」

最後に一言、

 「本を買ってきて勉強しなさいよ」

と言い残して部屋を出ていかれた。一瞬、頭に来た。

 「だって、そういう事は、先生が患者に教える事
  でしょ」

 患者は、その患者のレベルに合った説明を先生か
ら聞くべきだし、先生は、患者の知識の程度を知っ
て、糖尿病を説明する義務があると思う。当病院の
主治医は、その事を実行してくれている。少し皮肉
まじりに...。

 患者は、お医者さんにかかっているという安心感
から、コントロールが悪くなっても「大丈夫だろう」
と考える。

 将来、大変なことになることにも気が付かずむち
ゃをしてしまうのである。

 話の成り行きから、新宿にある大きな書店に糖尿
病の本を買いに行くはめになった。


血糖値(自己測定)

7時15分 94(mg/dl)

    
    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


平成10年7月24日 (金曜日)

 昨日から我が相部屋、211号室は満員御礼となる。
 1名の患者さんは、白内障の手術で入院との事。
 もう1名は、なぜか眠り続けている。
 
 「血糖値が400(mg/dl )だから、インスリンで
  直ぐに値を落して1週間ぐらいで帰りましょうね」

と院長先生が話しておられた。おふたりとも糖尿病
患者には違いない。
 最初の患者さんは発病以来7年が過ぎているとの
事であるから、合併症が現われるのが少し早い気が
する。
 むちゃな事をしたのだろうか。手術をする患者さ
んは、朝食前に何やらボリボリと食べていたようだ。

例によって、看護婦さんが手術前の患者に言う言
葉、

 「お風呂に入って身体を清潔にしておいてください」

こうして、本日の入院生活は始まった。

手術といっても見かけは簡単なものである。看護
婦さんが来て、今から手術しますから下に降りてき
てください。患者は、自分の足を使って手術室に出
向くのである。手術前と、手術後で異なることは、
目に包帯が巻かれている事と3時間ばかり患者のベ
ッドの周りにあるカーテンが閉じられ、眠るよう指
示される事だけである。目の手術を受けた患者さん
の言う言葉は決まって、

 「ゾリゾリという音がするんだよね、手術中に」

 そして、繰り返し入院している患者は、その夜か
ら間食が始まる。初めて糖尿病と診断された患者は、
忠実に運動療法や食事療法をやっている。

 初心を忘れないようにしたいものである。入院か
ら退院までの期間は、大体1週間から10日間ぐら
いである。(糖尿病による眼の手術の場合)

 当時、私の糖尿病を見つけてくれた病院にどのよ
うな理由で行ったのか覚えていない。

 その医院は、本名川(確かそういう名前の大きな
川だった。そこには大きな鯉がたくさん泳いでいた)
の橋を渡りきったところの右下にあった。職場が関
係する病院で治療を受け始めた私は。食餌療法だけ
でがんばろうという事になり、病院の看護婦さん達
には十分大事にされて通院治療を行った。

 看護婦さんは、そのほとんどの人が患者に親切で
ある。ほとんどと書いたのはその後、糖尿病で幾多
の病院にお世話になったが、先生にボロボロに叱ら
れると、看護婦さんからも決まって同じような対応
を受けた経験からそう書いたのである。

考えてみると看護婦さんは医師に逆らった行動を
とる事は職業柄できないのであろう。その頃は、病
気と医師と看護婦さんとの三つ巴で気が変になりそ
うであった。

 人前で叱られたことが幾度もあったし、その度に
病院を換えた記憶もある。(不思議とそんな時は、
私の身体を気遣ってしかってくれているとは感じな
かった)この時のデータ総てを持ち合わせていない
が、空腹時で120(mg/dl)ぐらいだったと思う。

 今、鮮明に思い出すのは、血糖値負荷試験という
検査である。最近は、ブドウ糖を飲む事は無く、通
常食で血糖値検査をするが、当時は、やたらとブド
ウ糖負荷試験の回数が多かったと思う。

 検査は、透明の瓶(約75(mg))にブドウ糖液
がはいっおり、飲む前に血糖値を測る。次に液を飲
んで30分後、1時間後、2時間後と血糖値を測る
のである。

 時間的には、3時間ぐらい検査時間が必要だった
と記憶している。また、木材でできた3から4段ぐ
らいの階段を、登り下りして、(負荷をかけるとい
う)その後、採血をした。現在もこの方法は行われ
ていると思うが、私は、最近は負荷試験をやってい
ない。

 私は、船舶無線通信士をしていた。船員は外国の
港で官憲の求めに応じて船員手帳を提示する義務が
ある。

 そのような理由で、船員手帳を持っているが、そ
の手帳の健康診断のページには、当時乗船した船舶
の船会社の健康診断欄に次のような記入欄があった。

 「...血糖値正常につきよろしい」

 無知というものは、悲しいものである。糖尿病を
知っていたら、あるいは、担当医が糖尿病の疑いを
予知して教えてくれていたら、糖尿病患者にならな
くてすんだかも知れない。乗船前でありかつ、血糖
値が正常であったのだから、健康診断担当医を責め
る事はできないだろう。

 このような経過をへて、27歳のその時、正真正
銘の糖尿病患者になった。

診療日誌

7時15分 115(mg/dl)


    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
平成 10年7月25日 (土曜日)  

 昨日又、便秘になってしまった。体の方はまだ環
境の変化になじめないようだ。今日、女房と長男が
見舞いに来る。朝は晴れていたのに今、大雨。
 
 女房は入院後初めて見舞いに来るのである。実は、
「絶対に病院に来ないように」と約束して家をでて
きたのだが、来るとなると何故か心がさわぐ。

 長男が私に病院で読む本を持って来てくれるのも
嬉しい。昼過ぎに病院に着くように来るとの事だ。

それまでに日記を書いておこう。

治療日誌

 用便したくなった。いつもながらが苦しい、血圧
が上がって倒れそうだ。「そんなにして排便しなく
ても」

と思われるかも知れないが、放置すると便が体内で
固まり排便は更に難しくなるのである。30分ほど
がんばって少しでた。

 話しは変わるが、べテラン看護婦さんであったが、
痛くないように針を刺そうとしてくれたものだから
針が血管まで届かずかえって痛かった。

「思い切りブスッと刺せばかえって良かったかも」

との述懐。この痛さは新米さんの時の痛さに勝るも
のである。頼むよベテランさん。

自己採血
7時15分 135(mg/dl)
7時15分 144(mg/dl)



   第2章終わり      
        第3章へつづく

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