遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

日記(8月6日~最終章まで)その2(最終章)

2007年04月14日 | Weblog
平成10年8月10日 (月曜日)    
 
 すっかり自分は忘れていた。例の事件をである。
 しかし、今朝いつもとは違った態度で朝一番に
我が主治医は私の前に現れた。叱られた。仕方が
無い。

身から出た錆と言うもの。もっとも主治医とし
ては、私を預かっているのだから仕方が無いのだ
ろう。世の中、計算通りにいかないものだ。

 家族には邪険にされるし、担当看護婦さんには
叱られるしその上今朝は、主治医にお灸を据えら
れる。採血の日でありおっくうであったが、看護
婦さんは例によって、「お通じとお小水の昨日の
回数を教えてください」。と自分の仕事を済ませ、
何事も無かったようにさっさと別のベッドに行っ
てしまった。後から尋ねたところ、「明日、ター
ゲス7回法とMTTをやる」との事であった。明
日は、1日に8回、採血をするというのである。

 絵を描き始めたのであるが、それなりに反省し
ながらもイヤーな気分なので、描くのを止めよう
かと考えていたら、隣のベッドで私の主治医が隣
のKさんに、

「よかったね、足を切らなくてもいいよ」

と言っている。今描いている絵をKさんにお祝い
のつもりであげよう。決して上手ではないが、私
の気持ちである。(ホームページの絵がそうであ
る)糖尿病患者は、良い話を聞いてもお祝いに酒
を飲めるわけでなし、甘いものを食べられるわけ
でもない。せめてもと赤飯炊いても腹いっぱい食
べられない。何と言う情けない病気なのだろう。

 だから下手な私の絵でもプレゼントしようと気
を入れて描き上げたのである。

 忘れていた心臓が私に呼びかけ始めた。

「俺、ここにあるよ」

と、呼んでいる。きっと病院逃走事件に動揺した
のだろう。血糖値も200(mg/dl)を超えた。

  血糖値と環境の変化というのは密接な関係が
あるようだ。
しかし、心臓検査で、

「今、直ぐに心臓がどうこう言う事ではない。心
 臓の事については、忘れてもいいよ」

という私の心臓のエコー検査をした先生の言葉を
思い出した。



平成10年8月11日 (月曜日)
   
 今日は、ターゲス7回法と畜尿、それにMTTとい
う検査を1日かかりで行う。どのような検査か判ら
ないがともかく一時間おきくらいに採血をする。

全体で、7回の採血。採尿は朝起きたらすぐす
るということらしい。4時に目が覚めたので直ぐ
に蓄尿をする。今日は運動ができないようだ。

治療日誌

退院前の検査のため、血糖値の自己測定はやらない。


運動量 検査の為なし

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年8月12日 (火曜日)
   
 今日は、最高の日だ。検査は昨日全部終わり、
今日から2日間の私の仕事は蓄尿だけである。
注射から開放されたのだ。昨日は歩いていな
いので血糖値が上がっていると思う。しかし、
結果は10時過ぎでないと判明しない。時間が
きたらナースステーションに尋ねに行こう。

今までは自分の行動をメモにしてテーブルの
上に残して運動に行っていたが、例の事件があ
ってからは、運動に出る前、帰ってからはいち
いちナースステーションに連絡をするように変
えた。

 面倒ではあるが、管理する側からみればそれ
が当然だろうし、管理される側からみても義務
であろうと考えたからだ。

 多少照れくさいが、

「運動に行ってきます」

そして、

「帰りました」

非常に簡単な短い言葉である。

 こうして何時ものように、JRのX駅の側にあるデ
パートまで運動をかねて飲料水を買いに行った。

 私は面白い性格で、本やコンピュータの周辺機
器等、部品を買うのにかけるお金はなんとも感じ
ないのであるが1本、240円の烏龍茶がもった
いなくて買えないのである。そこで安売りを買う。

 烏龍茶が198円で安売りをしていれば買い、
水が198円なら水を買うと毎日わずかのお金を
ケチって1日、2リットルの飲み物の補給をする
のである。私が2リットルのお茶を毎日飲み始め
てから、211号室の患者さんは、ベッドの側の
小さなテーブル(と言ってもテレビの台がテーブ
ルを兼ねている)の上にペットボトルを置くよう
になってきた。全員が糖尿病患者であるから他人
のやっていることで良いと思えることは皆がする
のであろう。

 入院1ヶ月中に購入した雑誌代は、およそ1万
8千円。198円のお水、お茶ならたくさん買え
る金額である。いつも運動するデパートの建物は
階段の幅が広く、運動に最適である。確か、6階
建てであるから階段を一往復すれば適度な運動量
となる。ただ、一気に上れるのは1階から3~4
階ぐらいまで、そこで息が苦しくなるし、足が動
かなくなる。そんな時はその階で途中下車し、売
り場をひとまわりして又、階段を昇る。私は、絵
の用具や、雑誌などをついつい買ってしまうので
ある。

 また、バッグを買ったり、キャンプ用具を買っ
たりと運動をしながら結構に楽しめる場所であった。

 運動療法を仕事のようにしていると、いろいろ
とバリエーションを付けないと続けるのは難しい
のでJRのX駅付近と、W駅付近の本屋さんには毎回
行っている。


診療日誌

今日、採血はないので自己採血をする。

血糖値

7時00分 89( mg/d)
  11時00分 205(mg/dl)
 17時00分 98(mg/dl)

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

平成10年8月13日 (木曜日)
   

 10時から11時頃まで運動に行ってきた。
 例によって、本屋さんに引っかかって30
分ぐらいロスをする。帰ってくるとまた、新
しい人が入院していた。

今日、211号室のベッドはまた、満員御
礼となった。ちょうど1ヶ月、明日は退院の
日となった。私は結構時間をつぶすのがうま
いので退屈をしなかった。この日記を付ける
事も時間つぶしのひとつであったのだ。

 もっともパソコンがなければうまく時間を
つぶせないという不器用さはあるが...。

 これで、入院日誌を終える事になる。今回
の緊急入院をS先生に言い渡されてもまだ、

「俺は、大丈夫、糖尿病で倒れない」

と思い込んでいたのも事実であった。入院して
も今回のデータのような良好な結果は期待して
いなかったし「程々に血糖値を下げるか」。

 ぐらいのつもりであったことは述べたが、食
事制限と運動療法を守って10日目ぐらいから、
空腹時の血糖値が下がり出したのには驚いた。

 その後、食後5時間の血糖値が下がり出し、
さらに食後、4時間に変化が現れた。このよう
に、確かな手応えを体験して、コントロールが
実行できると信じ始めたのであった。しかしま
だ2時間後の血糖値は正常値の2倍はあるので、
今後の課題となると思う。糖尿病は対症療法し
かできない。

 この重要な現実を糖尿病患者自身が認識でき
ないでいるとすれば非常に不幸な事である。怖
さを知っているが、「まさか、自分が...」と考
えている人の多いことも事実である。

我々、糖尿病患者は、

「贅沢したからだ、糖尿病は贅沢病だよ」

と健康な人に簡単に言われるし、糖尿病患者を
見舞いにくる健康な人が甘いものを土産に病院
を訪れる。

「1つぐらい、いいよ。食え食え」

と持ってきた甘いものを薦めている見舞い客も
いた。こんな状態を病院の1室で見ている私は
非常に悲しくなる。「俺たち、糖尿病患者は甘
いもの食いたいんだよ我慢しているんだよ」。

 とその人たちに叫びたい気持ちでいっぱいで
あった。 明日、平成10年8月14日、お盆に
私は帰宅する。

女房は、

「盆に帰ってくるのは、死んだ人だけだよ」

と嫌ったので、先週の金曜日にいったん帰宅をした。
  大事に至らなかったのは、一重にS先生と、主治
医ならびに、病院関係者の皆様のお陰である。

 それに私についている幸の神と、ほんの少しの
私の努力、家族の私に対する思いやりも忘れては
ならない。

「よし、これでもしかしたら、おやじの年齢72歳
 までは生きられる可能性が出てきたぞ」

と、思いを膨らませて、明日の退院を待つ。

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年8月14日 (金曜日)


 今日は退院の日である。とうとうその日が来た。
家族が11時過に病院へ来た。長男、次男と女房
が1ヶ月間お世話になった我が211号室へ入っ
てきた。

 昼食までまだ少しある。妻は荷物を片付けて、次
男と女房と私は、ベッドに座って食事時間まで待っ
た。本当はすぐに帰宅したい気持ちもあったが、大
体において退院する人たちは昼食を食べてから帰る。

 これは会計がそのくらいの時間までかかるからで
ある。JRと私鉄を乗り継いで、1ヶ月ぶりに社宅に
帰ったのは日中の一番暑い時であった。家に帰ると
何故か無性に疲れが出た。

  恐らく張っていた気持ちが解けたからだろう。
  夕方まで眠ってしまった。目が覚めると、これか
ら始まるストレスと仕事による食事の不規則で以前
の状態に逆戻りするのではないかと考え込んが、仕
事していれば、当然これから逃げることはできない。

糖尿病患者が合併症を併発せず、良好な血糖値コ
ントロールをするには、自分で管理ができなければ
ならないが、それにも増して、周囲の人々の理解が
必要であろう。

自分と自分の大切な人を守るためにも糖尿病と
戦って行かなければならない。それぞれがそれぞ
れの方法でがんばれば、普通の生活ができるのだ
から。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

「もう、約束の72歳じゃ、これ以上生きると妻が
体を休める時が無くなる。2人の子供たちも私に
似合わず良く頑張っているわい。そんじゃ妻よ、
ゆ っくりと余生を楽しみな」

 「... お先に!」

と布団に入って眠るがごとき人生を全うしたい。


最新の画像もっと見る