遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

日記(平成10年8月2日~4日まで)

2007年04月10日 | Weblog
平成10年8月2日 (日曜日)
   
 日曜日、久しぶりに船橋で女房が待っている宿
舎に帰りたかったが、血糖値に変化がでたためと、
主治医が糖尿病の降下剤を半分にして経過を見た
いということになったため、来週まで外泊できな
くなってしまった。

 血糖値コントロールが非常にうまくいっている。
  しかし、起床時とてもだるい。いわゆる、倦怠
感がある。
体重も4キロぐらい痩せたようだ。昨日の血糖値
自己測定の結果から、まだ食後2時間の値が普通の
人の約2倍半はある。

3時間後の測定で2倍あるというのは、高い血糖
値である。入院時に比べれば約半分以下には下がっ
ているのだが...。

 今朝7時の血糖値自己測定が96(mg/dl)であっ
たから、昨日より少し高くなった、薬を半分に減ら
したことが原因かもしれない。しかし、値としては
正常値の範囲に入っている。今後、どのようにして
食後2時間、3時間の血糖値を降下させるかが課題
となった。

主治医は、

「もう少し時間が経過すれば自然と落ちる。尿に
排出される糖の値が段々と少なくなっているから」

と言ってくれているのであるが...。

「お熱をはかってください」

 看護婦さんの甲高い声が部屋に響いた。隣人の体
温測定の時間である。今日は日曜であり運動は止め
ようかと考えたが、せっかく血糖値も下がり始めて
いることであり、少し歩いてくるか...。 とほんの
軽い気持ちで病院をでた。

「日曜日は閉まっている店が多いものだ」

と考えながら歩いていたら、無意識の内にJRのX駅前
の例のデパートの前に来てしまった。毎日運動にこ
こまでくるから、習慣がついてしまっているのだ。

デパートの2階に上がるための横の階段から登っ
てみると、警備の方が窓の向こう側に立っていた。
腕時計をみると10時10分前になっていた。
そのまま、横断橋を渡って駅の向こう側に出た。

そこは、東京特有の狭い路地にたくさんの小店
がひしめき合っている。
私は、こういう景色が不思議と好きなのである。
方向を定めながらどこまでもどこまでも歩いて
いったのである。東京の町は、真っ直ぐ歩いて、
右に折れる。また真っ直ぐ歩いて、右折する。
と4角く歩けば大体において最初の地点に戻って
来られる。

そのように小道が作られているのではないかと
錯覚するほど路地が多い。

そんな、気楽なつもりで路地を歩いたのだが、
どこで、どう間違えてしまったのか、私鉄のS駅
に出てしまったのである。

これは、帰る道を失ってしまったという困難な
現実に直面した事を意味する。(少し大袈裟か)
一般に、駅の近くには交番があるのが常識でるか
ら、こういう場合は道を歩いている人に尋ねるよ
りおまわりさんに尋ねるのが一番である。

私自身以前、C管区警察局警備課... という部
署で働らいていたこともあり、おまわりさんには、
異常なほど親近感を持っている。だから簡単に交
番に入ってしまうのである。
もっとも、おまわりさんは、県警に所属する人
達であるから私の属した警察とは少し、組織のち
がう警察ではあるが。

ともかく、X駅はどちらの方向か教えていただい
て歩き出した。おまわりさん曰く、

「歩くと言っても少し遠いですよ」

 私は、おまわりさんに、糖尿病で入院しており
運動が日課であること、道に迷ったことを告げた。

途中で、K鉄道のX駅行きのバス2台に追い越され
た。バスの進行方向と同じ方向を歩いている事を
確認して安心をした。

しばらくして、大きな交差点を右折した。道路は
大きくきれいであった。この道は、JRのW駅前の大
通りであった。

即ちX駅をすでに通り越していたのである。今度
は道を行く人にX駅の方向を尋ねて歩いて帰るつも
りであったが、駅前には大体、大きな本屋さんが
在るものである。

そこでは、合計4千2百14円の本を買ってし
まった。本屋さんで時間をつぶしてしまったの
で、昼食までの残り時間がなくなり、JRのW駅か
ら各駅停車に乗りX駅に戻った。昼食時間に遅れ
ると迷惑をかけるので、早足で病院に戻る。

病院到着時間は、12時01分である。かろう
じて滑り込みセーフと言うところか。すでに昼
ご飯は、病院スタッフのF女史が運んで来てくれ
ていた。

「ありがとう、Fさん」

こうして、今日の運動は終わった。

診療日誌

血糖値

7時00分 96(m/dl)
12時00分 131(m/dl)
17時15分 76(m/dl)



平成10年8月3日 (月曜日)
   
 入院してからは、テレビを見ないので世の中の
出来事がわからない。(もっとも、普段から、テ
レビを見ない方だが)もう梅雨が明けたのだろう
か。

入院から今日で、3週間が過ぎた。運動療法、食
餌療法をしっかりと守った。今回の入院が先回の病
状より悪くならなかったのは、神の救いかもしれな
い。危ない時、危ないときに助けられているようだ。

私が入院した時すでに入院しておられた患者さん
が昨日また、救急車で運ばれて来た。低血糖になっ
たらしい。意識が無くなり、ある駅の階段から転
げ落ちたとのことだった。

退院の日、

「ぜったい戻って来ないで下さい」

と言ったのに。先輩の再入院に心が痛む。

 糖尿病患者は甘いものを欲しがる。ついつい甘い
物を食べてしまう。また、ある程度の年令になると、
手軽なアンパンが欲しくなるようである。

ケーキが欲しいという年配の人はあまり見かけな
い。意識不明で救急車で運ばれてきた部屋の先輩は
意識を回復し、211号室で点滴を受けながら、

「アンパンを食べさせよ」

と奥さんらしき女性を困らせていた。とうとうその
女性は要求に負けて近くの店に買いに行った。ガサ
ガサとビニール袋の音をさせながら、夜中にアンパ
ンを食べつづけた患者さん。悲しいけれど、糖尿病
患者は病状が悪くなるほど、糖分を欲しがるのであ
る。自分自身糖尿病であり、アンパンが食べたい気
持ちは十分に判るし、

「もう死んでもいい、アンパンが食いたい」

と騒げば、だまってスーパーに走り込み買って与え
てしまうのも仕方の無い事かも知れない。糖尿病も
ある程度軽いうちは、甘い物を食べないで我慢がで
きる。運動療法も実行するのである。そこには確か
に、血糖値が降下するという目に見えた結果が出る
からであろう。

しかし、目の手術、腎臓機能の低下など、糖尿病
の病状が進行し、病気との付き合いにうんざりしは
じめると、食うもの食って死んでもいい、という一
種の諦めが出てくるのである。

どうせ直らないものなら、好き勝手をしようと考
えるのは、しごく当然のことであろう。そのよう
な行為が、結局は、糖尿病をさらに悪化させる結
果となり、足の切断、腎臓透析、失明へと自分の
手で進めていくことになるのがわかるのは重傷の
合併症を発病したときであろう。

主治医が言った言葉、

「糖尿病は直る。ただ、医者はその手伝いをする
だけで、直すの患者だ」

 この言葉は糖尿病患者がいつも頭に入れておか
なければならない重みを持っていると思う。

「糖尿病は直らない、しかし、コントロールを良
くすることにより全く健康な人と同じ生活がで
きる。だからがんばりなさい」

と先生は言いたかったのであろうと私は理解した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

歯を磨きにいこうとしたら、先輩患者さんに声を
かけられた。

「いつ、退院するんだ」

一息おいて、私は答えた。

「来週あたりではないかと思う」

先輩曰く、

「俺、失敗しちゃった。甘いものを食べても低血
糖を起こすんだ」

私が答える、

「コントロールが非常に悪くなっていると思う。血
糖値の管理ができていないのですよ。自分の管理
は自分でしなければ」

さらに私は続けた、

「それに、主治医に自分の体の状態を詳しく報告す
ること。これは、治療に一番大切なことですよ」

「甘いものを食べているのでしょう?」、「しっか
りとコントロールができるようにならなければ」

同じ糖尿病の仲間として、伝えたい事を話した。

 3度目の緊急入院であったようだ。それに「食べ
ている時も低血糖を示すから甘い物を食べて血糖
値をあげているんだ」

とも話された。

 我々、糖尿病患者が糖尿病に対する正確な知識
を得る事は、個人の問題として大切な事であるし、
自分の問題として対処しなければならない。

また、医療関係者は我々、無知である糖尿病患者
に対して、時間を割いてでも的確な指示と病気に対
する知識を与えていただけるようお願いしたい。長
年病院に通いながらもこのような悲劇が現実の問題
として、毎日のように繰り返されている事が悲しい。

主治医と連携を取って同じ失敗を4度も繰り返さ
ないように願うばかりである。一生に一度同じ部屋
で同じ釜の飯を食べて、同じ糖尿病患者であり私に
とっても他人事ではないのである。

 ひととき、その先輩患者さんとお話をして、それ
からまた私の時間が戻ってきた。

診療日誌

血糖値

7時00分  77(mg/dl)
11時15分 224(mg/dl)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年8月4日 (火曜日)
   
 昨日は、糖尿病患者で凄い人が入院して来た。そ
の時私は、例によって、病院から先日道に迷って行
ってしまったW駅まで散歩をすることにしたのであっ
た。W駅の側にある本屋さんで時間をつぶし、我が2
11号へ帰って来た時病室の雰囲気がいつもと違う
のである。看護婦さん達や病院のスタッフの皆さんは、
何かスプレーをかけたり、向こうの方では、

「くさい、くさい」

と大騒ぎをしていた。

「何か事件が起きたのですか?」

と尋ねた。

「足が腐っている人が入院して来たの、くさくって、
くさくって」

糖尿病で壊疽が始まり足が腐り始めたのだろう。
救急車でT医大病院から運ばれてきたらしい。

娘さんが病院に来た。何か話しておられる。時々
もれる言葉に、

「俺、足を切らなければならんかもな」

娘さんの小さな声、

「まだ、わからないじゃない」

 私は、こういう状況がたまらなく辛いのである。
胸が痛くなってきた。夕方は、普段は散歩しな
いのであるが、仕方なく、例のJRのX駅まで出かけ
た。駅の近くの例の店の1階のちょうど真ん中ご
ろにあるお寿司売り場では、3箱900円の時間
サービスのたたき売りが行われていた。

「食べたいな...」

と思いながらいつものように、寿司が並べられて
いる台の周りを一周して、何も買わずに6階まで
階段を登る。エスカレータは使わない。階段は私
の運動場である。夜の8時前には病院に戻ったが、
先ほどのショックからか運動をしていない静止状
態でも心臓が変である。

この患者さんも昨日は足が痛くて、あるいは不
安を感じて眠れなかったのではないか。

 足先の切断の痛みから今夜は騒ぐのではないか
と思っていたが、静かな夜が明けた。足が腐って
いるので痛みを感じないのか、それとも、よほど
我慢強い人なのであろう。今朝も、尿瓶をあてが
われているのに、自分でトイレに捨てに行っていた。

我慢の強い、封建的な性格の持ち主かも知れない。

最近の私は、朝の空腹時の血糖値が80(mg/dl)
を割るようになった。主治医に報告すると、

「糖尿病口径薬を夜は止めよう、朝だけにしよう」

つまり薬の量が少なくなったのである。糖尿病薬は
1日1回、朝だけ1/2錠となった。

診療日誌

 食後の血糖値が200(mg/dl)以下に保ちグリコ
ヘモグロビンを7(%)以下に保てば、合併症が表れ
ない。と調べた内容を確認する質問を主治医にした。

「200(mg/dl)は食後何時間後の値であるか?」

との質問に対して、

「200という値は、最大公約数的な値であり、15
0(mg/dl)以下がよい」

(測定時間については触れられなかったが、恐らく、
食後1時間と考えて良いと思う)また、ヘモグロビ
ンの値については、平均値が出るので、生活の起伏
が激しい場合即ち、良好状態と不良状態の振幅が大
きいのは良くない。つまり、平均して良好な生活習
慣をつけないとグリコヘモグロビンも正確な判断は
期待できない。という事であった。

血糖値(自己測定)

7時00分 74(mg/dl)
11時00分 208(mg/dl)
17時15分   90(mg/dl)


☆☆:平成19年4月現在の、空腹時の血糖値が
130mg/dl位の値を推移しているので、入院時の
空腹時の値は正常値である事が多くなっている。

    平成10年8月5日へ続く

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