遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

日記(8月6日~最終日まで)その1

2007年04月14日 | Weblog
平成10年8月6日 (木曜日)
   
 昨夜、10時の採血時は超ベテランの看護婦さん
であった。しかしである。

「あら、届かなかったわ!」

 すこしも騒がず注射針を少しもどして、方向を
変えて再度針を差し込むところなどは、いつかの
大阪弁の看護婦さんと同じだ。すごい早業である。

さすがに、

「痛い!」

と言う時間も与えてくれなかった。針が血管に届
かなくってグリグリまさぐり、考えあぐねている
あの新米の看護婦さんが懐かしく思えた。もっと
も痛さの違いには相当な差があるが...。

今、私の右腕には刺しそこなった注射針の跡が
2~3ミリの長さで、小豆色の細長い線として
くっきりと残っている。今日、主治医が回診に
来られた。

「うん、どうかな?」

私が答える。

「今朝80(mg/dl)です。もう完全に80台に
 落ち着きました」

「運動が効いているネ」

と言われた。

「今日は1日中、運動していいですか?」

「いいよ」

と返事が返る。

「昼ご飯は外で食べます」

と言うと、

「駄目だよ、ここのご飯をたべなければ」

と、返事が返ってきた。

「1日中、歩いていると病院へ昼には戻って来  
 れません」

と切り返すと、

「だ―め」

と何か諭すように言われた。

仕方が無いので、

「わかりました」

と返事をする。

 ほんのチョピリ外食を期待して持ち出した1日
がかりの運動は、このように無残に主治医に打ち
砕かれてしまった。さすが主治医、私の考えてい
る事を十分お見通しであったのだろう。

今回のゲームは負け。しかし、「信じてもらえな
いのかなあ」と、少し寂しい気持ちでもあった。

 9時から(昨日は10キロのバックが重過ぎた
ので、5キロに減らして)、病院からJRのW駅ま
で運動に出かける。片道約1時間、正確には、
50分ぐらいで行ける。

 W駅前のベンチで休んで帰ってきた。X駅の近く
で病院の看護婦さんと出会った。やさしいしゃべ
り方をする看護婦さんで、少しぽってりとした体
格の人である、主任さんらしい。自転車を降りて、
びっくりしたように、

「どうしたの?」

とあのやさしい声と、しぐさで尋ねてくれた。

「W駅まで...」

「そう」

 それだけの会話である。しかし私の心は凄く和ん
だ。ありがとう主任さん。食後、直ぐなら、歩くに
まだ元気がある。でも1時間も5キロの荷物をかつ
いで歩いていると、食事制限をしている身にはつら
い。歩く姿は、蛇行歩行である。機械的に足を前に
送ろうとするのであるが、進むのは気持ちだけ、な
かなか前進しない。向かい風でも吹こうものなら、
1歩、2歩後戻りである。この姿は以前の散歩の時
と変わっていない。運動を続けてから今までの間に
変化が現れた。血糖値が下がると目が霞んで、暗く
なったが、最近は長い時間歩いても目の霞みが少な
くなってきた。血糖値の変化に身体が順応してきた
ものだろう。

 血糖値が高かった時期は身体がそれに慣れていた
のである。血糖値が正常である日が多くなったので、
身体が違和感を感じなくなったのだろう。

 今日は大事件を起こしてしまった。自分は、単
なる悪戯のつもりであったのだが...。

 事の起こりは、外泊予定日が検査日に当たった
ことである。

つまり、主治医にお願いして、先週から外泊の準
備をしていた。先生いわく、「土曜、日曜は検査
がないから来週の土曜日、日曜日に帰ったら」と
いうことで大方の外泊日は決定していた。

 しかし、実は外泊日の日曜日は心臓のエコー検
査の日であったのだ。この日もいわく付きの日で、
最初の検査の予定日は7月の25日の土曜日であ
ったと記憶している。

 当日の午前、突然に看護婦さんが私に、

「今日の午後エコーの検査がありますから」

と伝えに来た。(毎回そうであるが、突然に言う
のである)私は元来、見舞客にきていただくのは
あまり好きでない性格であり、出来るだけ遠くの
場所にある病院に入院先をお願いした。

女房に対しても、

「入院中は病院に来るな」

と堅く言ってある。しかし、ナップザックのファ
スナーが壊れたり、どうしても女房の力を借りな
ければならない事態が生じた。その為もあって妻
が土曜日に長男と一緒に病院へ来ることになって
いたのである。
 そのような事情も知ってか知らずか、ただ事務
的に検査を当日に伝えられた私は不満があった。

入院患者で総ては病院にお任せします。という
約束はしているが、だからと言って、検査の当
日の朝伝える事はないだろう。まして、土曜日、
日曜日は検査がないと主治医が言っていたし、
常識として患者の都合も聴いてもらいたい。毎回、

「今日の午後、検査をします」

では困る。昨日連絡してくれていたら、昨日のう
ちに電話で面会日を変更できるではないか。

もう家族はこちらに向かっているのだ。と思った
ら、急に怒りが吹き出した。その結果、看護婦さ
んに逆らってしまった。

「今日は、家族が面会に来ます。楽しみにしてい
 たのです。家族と一緒に外出することを」

そうしたら、

「なぜ、外出するのか」

と詰問された。

「土曜日であるし、検査がないと考えていた。急
に検査といわれてももう家族がこちらに向かって
いる。外出できるのか出来ないのかハッキリして
くれ」

といつになく私の声はうわずっていたと思う。
 看護婦さんは、命令に従わない私への苛立ちと。
それに、患者である私の、

「モルモットじゃない」

人間としての意志が在るのだという腹立ちが一瞬
火花を散らした。結局最後は先生に尋ねてみると
いうことで落着した。そのような経過から、8月
9日の日曜日に検査日が変更されたのである。

冷静に考えると、予定があれば私が病院側に都合
を聞くべきだったと思う。しかし、当日に周知す
る病院側の対応が度重なっていたのでイライラし
ていたのだと思う。その後も検査などの予定を前
もって知らせてくれたことはなかった。そんな事
があった後、「魔がさす」というか年甲斐もなく、
子供のようないたずら心がでたのである。それが
大きな問題となってしまった。

ちょうど金曜日は主治医は医大の方に1日行かれ
るとのことがわかった。金曜日は採血の日ではあ
るがまあ、先生も留守にされるし、いいだろうと
看護婦さんが言ってくれたので、採血から逃げら
れるとの嬉しさも伴って外泊予定の土、日曜日を
1日シフトして金曜日から外出願いをだした。

そこまでは全く問題がなかった。しかし、一瞬、
次の考えが頭をよぎった。

「金曜日は午前9時30分から外出願いを出し
ている。しかし木曜日は畜尿だけで採血も何
もない。畜尿は午前零時にデーターをとる。
いつもの2、500CCに近い尿をすでに畜尿
しているし、それなら、今日すべき患者とし
ての仕事はすべて終わっている。明日朝9時
過ぎに外出するのも、今夜の夕食後外出する
のも同じことだ。病院にいても単に、ベッド
で一夜を明かすだけである」いわゆる、私独
自の合理性がでたのである。今までの入院生
活が患者として、模範的であった事も災いした。

いつもいいかげんなことをしていればこんなに
大きくはならなかったかも知れない。それに、事
情を把握している看護婦さんも交代してしまった。

悪い事が重なる時は重なるものである。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 置き手紙には、

「畜尿も終わったし、体の調子もよい。日曜日の
朝10時30分頃には帰って検査を受ける」

「ごめんなさい。今から出発する。主治医の先生
には知らせなくていいですよ」

「私を探さないで下さい」

と書き置きをして出発した。病室の出口で当直の
もう1人の看護婦さんに見つかってしまったのも
運の尽きであったろう。こうして、予定していた
時間より早く無断外出が発覚してしまったのであ
る。

 車中の人となった私は、当直看護婦さんの追求
の電話に女房が平謝りをしている事すら知らず、
3時間余りの夜行列車の旅を楽しんでいた。車中
は、通勤客の汗の臭いがして、無性に懐かしい。

わずか3週間余りの俗世間からの隔離なのに。普
通私は、家族に心配をかけないために自分の行動
を逐次連絡している。が今回は突然ドアの前に立っ
て驚かせてやろうという気持ちと、雨が降っているし、
10キロ以上の荷物を担いでいるなどで早く家にた
どり着きたい気持ちから電話を入れなかったのである。

 私が夜汽車の中で感傷に浸れたのはせめてもの神
様からの贈り物だったのかもしれない。もし、電話
をかけようものなら、電話口で女房に説教され、家
に帰る気持ちは吹っ飛んでいただろう。

何も知らない私はただひたすら重い荷物をかつい
て一生懸命に家路を急いだ。早く家族に会えること
を楽しみに...。家に着いたのは夜の10時を過ぎ
ていた。妻がにっこりと笑って出迎えてくれるはず
だった。

しかし、玄関のベルを鳴らすと、いつもの返事が
なく、ソーとドアが開いて長男がノソットした声で、

「どうしたの?」

とただそれだけ。家の中に入ると追い討ちをかけ
るように女房が、

「いったいどうしたの、今看護婦さんに散々しか
られた。何があったの?」

つづけて、

「私を探さないでください。と手紙に書いてあった
らしいけど、どうしたの!」

 散々な結末となってしまった。

「冗談は時と場所を選べ」

と、神さまが笑っておられる。間抜けな私の失敗で
ある。


診療日誌

血糖値(自己測定)

7時00分  80(mg/dl)
11時00分 122(mg/dl)
17時00分  87(mg/dl)
22時00分 175(mg/dl)

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

平成10年8月7日 (金曜日)
   
 昨夜は久しぶりに4方をカーテンで仕切られた
畳一枚にも満たない空間から開放された。
やはり家族と一緒に居るのは良いものだ。なか
なか寝付かれなかったのは興奮していたせいだろ
う。

 それでも女房から、看護婦さんに電話で叱られ
たことを聞きながらいつの間にか眠ってしまった。

 今朝は晴天で暑い。やはり気だるい気分はあま
り変わっていない。空腹時の血糖値が93(mg/dl)
でありこの値は正常値の範囲にある。このだるさ
はどこから来ているのかわからないが正常の血糖
値を身体はまだうけつけないのだろう。決して夏
バテはしていない。しかし起床後、少しすると元
の状態に戻る。

 日中の暑いさなか、1時間ばかり散歩した。11
時の血糖値は202(mg/dl)といつもより下がっ
ている。運動や外泊期間中での食事はうまくいっ
ているようだ。「かつお」の刺し身や、トロの寿
司など、パックで買って行く人を見つめて羨まし
かったが、今日は、「かつお」の刺し身を自分で
買って食べることができるのだ。北習志野にある
Sストアに妻と行き、「かつお」の片身を買った。

 本当は3~4切れしか食べられないのだろうけ
ど、少し刺し身の厚さを薄くして量を多く見せて
いるのは女房の思いやりであろう。

 昼、晩続けて「かつお」の刺し身を食べた。幸
せを感じた瞬間である。夕方の散歩は、車で、パ
ソコンとその周辺機器などを販売している店に行
った。

夏だから夜8時ぐらいまでは営業しているのだ
ろうと思っていたら7時半に閉店であった。

 道路が混んでいたため、店についたのは7時1
5分、もう店員さんが入り口を閉める準備をして
いた。プリンターのインクが無くなっていたので
どうしても購入しなければならない。

 急いで3階まで階段を駆け上がった。胸の鼓動
がけたたましく騒ぐ。しかし、階段を駆け足で登
れるまで心臓が良くなっているのだ。目的のイン
クを買い閉店の店内放送があったとき、スキャナ
が目に入った。欲しかったものが1万3千円で売
っていた。

 目玉商品だったのだろう。通路に山積みしての
販売であった。病院の近くにパソコンショップが
あるが、そこと同じ値段であった。製品は2世代
前ぐらいのものであるが、本の白黒コピー程度の
ものであれば十分使えると判断し、購入すること
にした。

(カラースキャナであるが、白黒印刷にすればこ
のぐらいの値段でも十分に使えると考えた)

 大体、私は流行を追わない性質である。しかし、
今回の購入したコンピュータにはお金をかけた。

 これは、帰国するとき、

「外国で一生懸命稼いだのだから、退職金代わり
 に100万円くれないか、コンピュータを買う
 から」

と以前に妻に了解を得ていたのである。今また、
思いがけない衝動買いをしてしまった。

 これで、我が部屋もさらに狭くなる。

診療日誌

血糖値(自己測定)

7時00分 96(mg/dl)
  11時00分 143(mg/dl)
  17時00分 82(mg/dl)
22時00分 201(mg/dl)

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  

平成10年8月8日(土曜日)

 なぜか、今日は日記を書いていない。

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

平成10年8月9日 (日曜日)
   
 昨夜は、コンピュータのソフトをインストール
(コンピュータのハードデスクという大きな記憶
容量を持つ入れ物に買ってきたソフトや周辺機器
を動かせるためのソフトを入れて、コンピュータ
でそれらのソフトや、周辺機器を使えるようにす
ること)に時間がかかり遂に今朝の2時までかか
ってしまった。

もう寝なければ7時には起きられないと感じ、
パソコンだけ動かしたまま、自分は布団に入った。

 うつらうつらと眠ったのだろか朝6時に目が覚
めた。女房の作った朝ご飯をたべて7時10分過
ぎにハイキング用バックにノートパソコンと本を
入れ家を後にした。駅の階段は運動のためすべて
を歩くようにした。エスカレーターを使ったのは、
総武線フォームから中央線フォームまでの間だけ
であった。

 今日は血糖値の降下が原因で目の前が暗くなる
事はなかった。
これは、電車の乗り継ぎで連続に歩く時間が少な
く、疲れる頃に電車の座席に座って休息をとること
ができたため低血糖に至らずに済んだのだろう。

 家での食事コントロールもうまくいったようだ。
90(mg/dl)台と101(mg/dl)が最高値である
からこの範囲でのコントロールができれば問題はな
い。

 少しではあるが環境の変化で気分転換ができたと
思う。パソコンにスキャナは接続する暇が無かった
けれど。それなりに楽しい外泊であった。病院の関
係者には先刻のトラブルで迷惑をかけたが、家族と
共に過ごせる時間がその分長く取れたのも嬉しかっ
た。

 入院中に、こまめに記録したデータの整理ができ
たのも非常に嬉しい。さあ今日から金曜日の退院ま
で、俗世間から隔離された生活に入ろう。

治療日誌

約束通りいよいよ検査だ。 検査が済むまで水も飲
めない。検査は、午前中との事であるが何時ごろだ
ろう。

 金曜日の夜から日曜日の朝までのわずかな間に2
11号室の住人は大分入れ替わってしまった。それ
にベッドも満席になっているようである。

血糖値(自己測定)

7時00分 101(mg/dl)
11時00分 173(mg/dl)





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