遥かなる旅路(心臓バイパス手術手記)+(糖尿病日記)

実名で語る心臓バイパス手術手記+匿名で公開する糖尿病日記

- 第6章 -

2007年03月25日 | Weblog


6章 手術後



 6月30日、私は一般病棟の617号室に戻った。予定通り6月
22日にバイパス手術を受けた清水さんは手術後約1週間を経過し
てすでに元気になられていた。

私といえば、腕には点滴の管が、膀胱には尿を排出する為の管がそ
して、お腹からは2本の硬いホースがつながれていたのである。

 排尿量は非常に多く定期的に看護婦さんが計尿をして捨てに行く
のであるが、

「すごく出ている」


といって毎回、驚いて捨てていたようだ。1回の量が300とか50
0ぐらいはあったと思う。


「看護婦さん!たくさん出るのは良くないの?」

と尋ねた。

「たくさん出るほどいいのよ。肺に溜まっている水も尿から排出され
るから」

と、せっせと捨ててくれていた。そういう状態であったから、尿管を
外すのも早かったと思う。大部屋に戻って3日目に管を外した。管を
外す時が痛いのである。その状況といえば、管が太もものところでテ
ープによって固定されているのであるが、これが動くと激痛がする。 

動かないように固定してあったテープをはがし、管をスーと抜くの
であるが、その時、尿道が焼けるような痛さを感じた。管を膀胱に入
れる時はもっと痛いらしい。

私は、全身麻酔のときに管を入れているので苦痛は感じなかったが、
抜く時は、僅かな時間であったが激痛がした。

 膀胱から管を抜いた後、看護婦さんに尋ねた。

「長さはどのぐらいですか?」

看護婦さんは、抜いた管の始末をしながら、

「40cmぐらいです」

と答えた。尿道の長さは個人差があるが、入り口から大体40cm
ぐらいで膀胱に到達するのだろう。

膀胱に通す尿管については面白い話がある。経験者によって語られ
る体験談は、カテーテル検査が近づいていた私にとっては辛いもの
であった。しかし、周囲ははやしたてて大笑いをするのである。

 内容はこうである・・・。

「私の時は、検査が終わりベッドで5時間全く足を動かせない状態
であった。

看護婦さんが『水を飲んで早く造影剤を出さなければ良くない』
というから、水をどんどん飲む、そのうちに膀胱がポンポンになっ
てくる。でも尿が出ない。

看護婦さんが先生を呼びにいったかと思うと、先生は何かビニール
袋に入った管のような物を持ってきた。『管を入れます』といった
かと思うと一瞬の間に私の体に管を差し込んだ。飛び上がる痛さが
した。

 焼け火箸を差し込まれた痛さだ。痛かったけど膀胱に溜まった尿
は一瞬の内に空になった。あの痛さは言葉に表わせない。管を見た
瞬間に膀胱に差し込まれたので断る時間もなかった」と。



 聴いている患者は大笑いである。そして、その話題は検査を始め
る前まで繰返された。

 このような無邪気な事を毎日繰返しているものだから、617号
室は病室にもかかわらず笑い声が絶えなかった。看護婦さん達がそ
っと教えてくれたものである。

「617号室はいつも楽しそうで私たち看護婦もこの部屋に入って
くる時とても嬉しい」と。



 私は幸運にも手術後、元気を取り戻し、周囲の患者さんも驚くほ
ど日に日に元気になった。617号室に戻って4日目であったろう
か。心臓血管外科の本田先生が、突然にベッドに現れた。

先生は、

「どうですか?」

と私に尋ねられた。私の返事はいつも決まっていた。

「心臓は無風状態です。気分は晴天です」

 本田先生は例により、口を少しへの字にしたかと思うと、コック
リと2回うなずかれた。いつもの回診はそれで終わり、部屋を出て
いかれるのであるが、今日は、ドレーンの管をジーと眺め、手にと
って管に接続された機器のほうに目をむけられた。

しばらくして、

「外しましょう」

とつぶやかれた声が耳に飛び込んできた。

 ドレーンというのは、私たち電子屋では、FETという半導体の
構造(FET:電界効果トランジスタ)では、ソース、ゲート、ドレー
ンという電極の名前としてよく使っていた。

ドレーンという電極を、『集める』という意味として使っていたか
ら、この管は何かを集める働きをするのだと気付いていた。本田先
生に、

「ドレーンはどんな働きをしているのですか?」

と尋ねた。すると、

「手術後は出血があるので、それを集めてこの管から排出している」

と答えられた。(本田先生が作成された手術の説明文の中にも概要
が書かれている)更に続けて質問した。

「出血はどこかの膜に溜まるのですか?それを排出しているのです
か?」

先生は次のように答えられた。

「手術の後に出血をするがそれが流れ出てくる場所にドレーンを置
く、そして管の近くに来た血をこの機械で吸引している」

と指で床にある機械を指された。

「吸引するという事は、相当に遠くにある血でも吸い上げる事がで
きるのですね?」

と尋ねると、先生は続けて、

「機械の吸引力は強くはありません。流れ出る血が集まる場所にド
レーンの管を置かな

ければ血を捕捉出来ません」

と、私の矢継ぎ早にする質問に丁寧に答えられるのであった。



 ドレーンが腹部から抜かれる状態を、頭を少し上げて観察してい
た。

「息を吸って・・・、軽く吐きましょう」

 それに合わせて先ず1本、管が抜かれた。管を抜く前に先生の手
元がよく見えないのであるが、麻酔をかけて管の周りを何箇所か縫
っておられ、管を抜くと同時に先ほど縫った糸を絞るようにして傷
口をふさいでおられたような気がした。

こうして2本の管が抜かれ、私の身体に残されているのはペースメ
ーカーの単線のリード線が2本だけとなった。(おへその上に置かれ
たガーゼの上にペースメーカーの電源となる電池を接ぐ単線2本がテ
ープで止められている)。

その後、ペースメーカーも使用の必要がなくなり、仁科先生により
取り除かれた。

この時も、

「息を吸って、軽く吐いて」

と吐く息に合わせて取り除かれた。とくに痛みは感じなかった。ペー
スメーカーを何故手術後心臓に埋め込んでくるのだろうか?このこと
についても尋ねてみた。これについては、心臓が自力で動いている場
合は問題がないが、心臓の動きがおかしくなった時、ペースメーカー
の力を借りて心臓の状態を正常に戻す為との事であった。

ペースメーカーの作用は次のように説明されている。「不整脈になっ
た時、この機械で心臓に電気刺激を送り心臓を規則正しく動かす為の
ものである。ペースメーカーの電極を右心室内に挿入する。手術後、
もし心筋梗塞が起きた時、急に心臓のリズムは遅くなるので、そうい
う場合を想定してバイパス手術患者にもペースメーカーが埋め込まれ
るのである」と。

私は自分に埋め込まれていたこの小さい機械をいただこうと考えて
いたのであるが、

消毒後のガーゼと一緒に捨てられてしまいお願いする暇もなかった
のである。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


病院での家族の面会は午後3時からと決められていたので、午後3
時20分頃に家族は私の面会に来ていた。

 妻は私が心配しないように、長男か二男のどちらかといつも一緒に
見舞いに来た。

家から病院までは、片道に1時間30分以上を費やしていたので、私
は彼らが病院を出る時間を遅くとも午後の4時頃と決めていたのであっ
た。

手術後、家族が帰ってしばらくしてから発作がおきた。痛みは強烈で
呼吸困難がともなつた。左横腹、腕の付け根のあたりからおへその横
あたりまで棒を入れたような鈍痛がした。それに伴って、呼吸が浅く
なり普通に吸い込む空気の3分の1の量も吸えない状態が続いた。

この時も40分ぐらい我慢したと思う。その後、ナースコールを押し
た。部屋はあわただしく緊張感に覆われ、同室の患者さんは動ける人
はすべて廊下に出された。

レントゲン技師が来て胸部レントゲンを撮り、心電図の機械はせわし
くガチャガチャと動く。何度も何度も心電図をとり、前の心電図と比
べ波形の変化を読み取っているようだ。結局、心臓が原因の発作では
なく、手術による筋肉の異常な興奮からくる痛みであると先生は説明
した。


「肋間神経痛のような痛さで、よく術後あることだから心配は要りま
せん。痛み止めを少し強いのを使います。
 しばらくゆっくり休んでください」と、私に説明し、看護婦さんに

、「もし、痛みが止まらないようであれば、更に残りの薬を注射して
ください」と告げて部屋を出て

行かれた。



午後6時、何時ものようにご飯を運んできてくれたおばさん(お姉さ
んの時もある)の声に目が覚めたがすぐにうとうとと眠ってしまった。

その後看護婦さんが来て、

「ご飯たべないのですか、後でたべますか?」

との声に眼が覚めた。私は、

「片付けてください」

といったと思う。そしてまた、快い眠りにはいっていった。

声をかけられれば答えるが、ご飯を食べる気力はない。体全体を快い
感じが走りすぐに眠ってしまう。肋間神経痛の痛さに対する処置の後
に処方された睡眠剤は、そのような感じであった。

その時も、私の担当の看護婦さんが‘りーさん’であった。本当に不
思議である。

私が原因不明の高熱で集中治療室に送られることになった前夜の発作
の時も‘りーさん’が当直看護婦さんであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

その後、もういちど、不安に襲われた出来事があった。それは以前に
経験したような強さではなかったが空気をいくら吸っても足らない気
がした時のことである。

酸素不足を感じた私は、‘お嬢’と名づけた看護婦さんに頼んだ。

「空気が薄いのです。酸素量を測ってくれませんか?いえ、今でなく
てもいいのです」

看護婦さんは、

「検温と血圧測定が済んだら持ってきてあげる」

と約束してくれた。それからしばらくして、別の看護婦さんが現れ
た。そして、

「どのような状態ですか?」

と私に尋ねた。私は先ほどと同じ言葉を繰返した。看護婦さんは、

「手術の後は、そのような状態になる事があるのですよ」

と言った。

そうこうしている内に、先ほどの‘お嬢’が現れた。

「山を3つ4つ越えて機械を持ってきてあげる」

と笑顔で答えてくれた。間もなくして、酸素を測定する小さな箱を
抱えて戻ってきた。

先ほどの‘お嬢’は笑いながら、

「3つも4つも山を越えて持って来た」

と言いながらその長方形の箱に接続されている細いパイプの先のセ
ンサーを私の人差し指に粘着テープで巻きつけた。

箱の前面にあるLED(7セグメント発行ダイオード)の表示は9
9の数字を示

していた。看護婦さん曰く、

「酸素量の最高はいくつと思いますか?」

私は95以上の値を示せば体内に吸収された酸素量は正常値である
との知識は先に得ていたが、最大値は知らなかった。黙っていると、

「最高値は100です。あなたは十分に酸素をとっています」

と言って指からセンサーを外したのであった。



私は、先ほどの、

「3つ4つ山越えして機械を借りてきました」

の言葉に合わせて、

「5つ6つの山を越えて看護婦さんにお礼の合掌をします」

といって感謝をしたのであった。手を合わせて感謝する仕草は手
術後、私がいつも誰にでもとった態度であるが、私はこの仕草を
海外派遣専門家として最初の研修旅行にタイ国のコンケンと言う
地方に行った時、その国の人々が、特に女性であったが、挨拶の
時必ずする仕草で、その時覚えたのである。2度と帰ってくる事
が出来ないと覚悟をしたこの世で、こうして手術後の副作用もな
く、元気に過ごしている私が表わせる感謝の気持ちは、手を合わ
せること意外に見つからなかったのである。


一般病棟ではこの種の機械は置いてなく、集中治療室から借り
てくるのである。

自分の領域外にある機器を使うのであるから、山を3つも4つ
も越えた仕事になるのであろう。

その意味から言えば私の要求は彼女らにとつては面倒なことで
あった事と思うのであるが・・・。



私が付けた‘お嬢’と言うあだ名を彼女は知らない。何時だった
か、彼女は私にこう言った。

「わたしには、あだ名が無いの?」

私は答えたものである。

「部屋の皆で相談して決めるから」

しかし、そのままになってしまった。そして、私の退院の方が
早く決まってしまったが、もし、この手記をインターネットで
読んでくれたらきっと自分の事だと思いついてくれると思うの
だが・・・。

そういえば、手を合わせるという仕草については、失敗談が
ある。同室のMr.高橋さんが手術を終えて無事に部屋に戻って
来た。いつも、私が手を合わせてから話をすることを知らない
若い患者さんは、私が、手を合わせてからMr.高橋さんに、

「お疲れ様、無事終わって良かったですね」

とねぎらいの言葉をかけた時、不思議に思ったのだろう。それ
が大きな声の言葉となって私の背中を飛び越えてMr.高橋さんの
耳に届いた。

「仏さんじゃないんだからさ!・・・」

 私は、無意識のうちに、手術の成功とねぎらいの気持ちを表
わしていたつもりであったが、その言葉で、一瞬、部屋には重
苦しい空気が流れてしまったのである。

私の合掌の仕草は何時もの事であり、感謝や喜びを表わして
いる事は同室の誰もがわかっていたことであるが、事情の知ら
ない方には問題のある仕草で、時と場所を考えなければいけな
い。その後は、時と場所を考えなければいけないと何度も自分
にいいきかせたものである。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

同室のMr.高橋さんに触れたが、高橋さんの手術が明日に迫っ
たある日、麻酔科の高尾先生が高橋さんのところに来られた。

「私麻酔を担当する高尾といいます」

と名刺大のネームカードに手をあてがいながら自己紹介され
た。その後、麻酔の事について説明を始められた。



「今夜、安定剤を飲んで、明日朝、少し強い安定剤を更に飲
みます。その後、注射を2本腕にうちます。1本は麻酔がよ
く効くように、もう1本は、麻酔薬によって、身体をコント
ロールしている機能の乱れを防ぐものです。

 注射は少し痛いです。麻酔は手術後3時間ぐらいで覚めま
す。眼が覚めた事を確認できれば、人工呼吸装置を外します。

時々患者さんが手術の最中に目が覚めないかと心配されます
が、全く心配は要りません。すぐ眠っていただきますし、絶
対に手術途中で目を覚ます事はありません。目が覚めた時は
すべてが終わっています。ゆるんでいたり、ガタガタしてい
る歯はありませんか?もし、安定剤を飲みたくなければ飲ま
なくても結構です。前夜眠れなくても麻酔でねむりますから、

何か質問はございますか?」



非常にテキパキとした言葉である。栗色に染めた髪の毛を後
ろで束ね、安心感を与える笑顔をたやさない。

実は、私は高尾先生からこのように詳細に麻酔の説明を受け
ていないのである。

先生が私に言われた言葉は次のようである。先ず1回目の手術
日の前、

「麻酔を担当する高尾です。明日ですねがんばってください」

と。そして変更された2回目の手術日の前日、

「いよいよ明日ですね、がんばりましょうね・・・」

ただ、髪の毛の栗色と、あの優しい安心感のある笑顔は高橋さ
んの時と同じであった。高尾先生が高橋さんに説明された内容と、
以前に他の患者さんに説明されている内容に、ひとつ異なるとこ
ろがある。それは手術前夜に飲む安定剤と当日朝に飲む安定剤を、
飲まなくても飲んでも好きにしなさい。と言う内容を話されたこ
とである。これは私が、当日に服用した安定剤がもとで発作が起
こり手術時間を早めたことに原因があるのかも知れない。

こうして、Mr.高橋さんもストレッチャーの上に横たわりあの痛
い注射の洗礼を受け、公式化された同室の患者さんの挨拶に送ら
れて手術室に向かった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

私も1週間ほど前に同じ状況で手術に向かったのであるが、あ
の痛い注射の担
当が私の場合は‘姫’(姫大王とは別人の看護婦さん)であった。

私は、姫に

「お主が、私に注射をするのか、痛くないように頼むぜ」

というと、姫は予定より少し早められた手術時間を調整するよう
に、私の小さな右腕に注射針を刺したのである。

 それが不思議と痛くなかった。私が同室の患者さんを手術室に
送り出す時に見

た顔は、歯を食いしばって本当に痛そうであったのだが・・・。

誰もがあの注射は痛いと認めているから、本当は痛いのであろう。
しかし、姫は私に痛くないようにまじないをして注射をしてくれ
たと感謝をしている。

(私は、そう考えて喜んでいるのである)

その姫や姫大王はその後、担当が6階の他の部屋となって、私達
の世話をしてくれなくなったが、夜勤明けや手の空いている僅かの
時間をみて私たちの顔を見に来てくれたものであった。


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