はい!
第2回目のやさぐれファッション講座。
テーマは
セットアップ、あるいはスーツ。
でございます。
今回はちょっと丁寧な表現で書かせていただこうじゃないですか。え?あ、はい。前回のカジュアルに関する考察、如何でしたでしょうか。肩肘はらぬ服装との関係というのは実はとても難しいという事です。ある種、服飾にまつわる現状というのはまさしくカオス!ビジネススーツよりもスニーカーの方が高額であったり、なおかつデリケートなコーディネートがもとめられる。そうした中で、セットアップ。まさにジャケットとパンツのコンビ。同素材で一体化のスーツ。これは非常にチョイスが楽なのである、という事を声だかに叫びたい。体を覆う表面のほぼすべてをそのワンチョイスでまかなえるわけだ。なんだか、ファッション感度が良好なものがセットアップを着こなすというような表現を見かけるが、どうだろうか。それだけ主張するファッションであることは確か、であるが、どんな服装であれそれを強い意志で選ぶことは必須である。思春期を越えて尚、親から与えられた服を何の躊躇なく着こなす諸兄はある種、この文脈において、カジュアルファッションの体現者としてふさわしいのかもしれない。しかし彼らは着飾るドレスファッションの感覚を養えるはずもなく、アパレルに踊らされて常に気張っている輩と合わせて結局は、惨憺たる我が国の服飾事情を物語っているわけだが、、、。まあ、長い前フリはこの程度にしておきまして、さあ。セットアップ。私にとっての第一歩はなんといってもジーンズでした。デニム上下。501、70505。です。厳密に言えば505、何だと思うのですが。やはり501以外を選ぶことが出来ませんでした。このセットアップを完成させたのはまさに、ティーンエイジャーの最高の晴れ舞台。中学の修学旅行でした。1994年の5月のことです。それこそ、学年中が色めき立つ、勝負服の祭典。そこに私はデニム上下を選んだわけです。ちなみに380名ほどいた全学年でこのコーディネートは私だけでした。季節感も若干無視してますし、当時今と同様のオーバーサイズがトレンドの中、ジャストサイズのデニムセットアップはある種かなりのカウンターでした。実際、誰にもヒットしませんでした。時代背景をここで補足しますと、私の中学時代にトレンドのポールシフトが起きたのです。あの地殻変動は忘れられない。13歳の1年生、当時の三年生は今日からオレはそのままのヤンキーカルチャー最終章という世界だった。彼らを、私は心からカッコいいと思いましたし自分もああなりたいと普通に考えていました。だが、しかし。その後2年間で横浜南部のローカルでさえヤンキーは過去の遺物となってしまうのである。まるで恐竜の絶滅、あるいは明治時代の文明開化。ヤンキーカルチャーはそのベースにドカタや、祭り装束と言った地域や先人たちの影響が根ざしておりコアなものたちには精神性が宿っていた。しかし、それを過去の遺物や嘲笑のマトへと追いやった次なるスタイルはアメリカのストリートを直輸入的な。スケータースタイルでもあり。ワルはドライにそれらをチョイスしていった。1994年、母校の修学旅行ピンナップをチェックすると今と非常にシンクロするスタイルがある。背景としてヤンキーファッションのしかばねを考えるととても過激だなって思えるし、15歳の私にとっては極めて大きなインパクトを与えたことは事実である。その中で、私はリーバイスを選んだ。それはまさに、聖闘士クロスであったのだ。他人の目はほぼ意識していなかった。ただ、自分との闘い?着こなしは日々、悪戦苦闘したものである。自分はどこで満たされていたのだろうか、と思うが私は深い自己満足を得ることが出来た。その後、501はLVCモデルを買ってそちらばかり履くようになったが、ストーンウォッシュ加工で色が揃ったセットアップが最強であると思った。私も様々なアパレルの洗礼を受けてきた。様々なスタイルを試してきた。しかしやはり、セットアップの落ち着く感じが40歳目前の私には愛おしい。LVCヴァレンシア製対戦モデルのセットアップ。これはこのブログを立ち上げた当時の最高の一張羅。現行LVCコーンミルズ製も恐らくもうじき終了していくのだろう。50sモデルのセットアップ。これらはシャツもセットでスリーピースか。コーデュロイにて、念願の70505と505茶色、で揃えることができた。ヤフオクをしばらく徘徊しようやくゲットしたのだがやはりユーズド、色落ちが違う。これは諦めるしかないと言い聞かしている。いやあ、もうこれなんかマジで心地いいインですよ。デニムよりも気を使わない。ウェスタンハットとモカシンなんかでもうラフの極致。私にとってのカジュアル。ようやく手にしたカジュアルなニュアンス。はい。で、スーツ。いやあ、長いっすねえ。まあ、スーツ。オレにとってあ、すみません!ここからちょっと文章崩します。やさぐれてなんぼだよなぁ。こんなブログな!まあ、スーツのデビューは学ランだな。中学生で学ラン着れたのはよかった。あれなんかも毎日毎日来て、着こなすわけですよ。ユニフォームですから、まああまり意識すらしないものです。あるいは思春期なので、制服は権力側の象徴でもあり、着崩すという反逆精神を駆り立てるものでもあるんですね。まあ、非常にスリリングな年代に自分を拘束する社会が設定した衣服、学ラン。スーツ。高校はグレーのスーツだったよ。レジメンタルタイ。ローファー。1年生当時はチーマーカルチャー全盛でオレの学校蒲田だったんで、ちょっと腰パン気味がいいかなって思った時期もありましたが、交換留学生としてアメリカ滞在した後はきちんとそのデザインを着こなす方がいいと思うようになりました。俺たちにとっての修学旅行見たいのが向こうではプロムってダンスパーティー?だと思うんですが、それに出たのが影響してるのかな。あるいは日曜の礼拝。そこでのドレスコードにはシビれたな。カッコいいって思った。最初に買ったスーツは大学入学用のミツミネのネイヴィースーツ。これは自分で選んでないので淡い思い出しかないのですが、シューズはブルーブルー横浜で買ったサーヴィスシューズはキメてたな。それは日本人の多くがそうであるように成人式にも着る設定でした。でも、20歳当時僕はやさぐれていたんでスーツ着なかったし成人式も出てないんだよな。マルジェラのコート。チヴィディーニのジャケット。ブランド忘れたパンツ。シルヴァノマッツァのシューズ。で港で佇んでいたなあ。ジャケパンスタイル?就職決まって、さあヤルゾってことで、バーニーズニューヨークでイージーオーダー。これは濃いグレー。恩師リトルベアー師によるコーディネート。2001年でのオールデンチョイスは早かったですね。カバンは銀座のエストネーションってとこのマネージャーと一緒にヌメ革でオーダーメイドしたり。ローレックスでバンドはカミーユフォルネでクロコダイルを合わせたり。なんか前時代って感じだな。でもさ、食品業界で全然合わなくて、そのファッション。会社の営業車で何度も事故ったり。いやあ、人生なめてましたって!もう、スーツは無印良品へ!!当時ポルトガル製でいいのがあってそれがもう、肩ひじ張らずで最高で。問屋のおじちゃん連中と談笑するにもぴったりでさ。オレ、思ったね。いいスーツは然るべきポジションに行かねえと似合わねーやって。スーツは道具だなあって思う。オレのサラリーマン生活は三年弱で会社の合併劇などを経て終わっちまうんだどさ、まあ、その間に色んな大人のカッコいい着こなしを見たよ。それぞれのジャンルだけど、懸命に生きる大人はどれもカッコいいんだよね。アパレルじゃねんだよな。仕事着の世界っつーかな。退職後はプラプラしてて、親の飲食業に入るわけですが、まあそこではジャケットがいらないので、スーツにならないんですね。2007年にアメリカの友人の結婚式に出ることになり。さ、スーツ新調だってなるんですがそん時は、ソフトバンク?のコマーシャルでブラットピットが明るいグレースーツを着こなし最高で、そのニュアンスでってことでやっぱりバーニーズ。当時トンガってましたディオール。エディスリマン時代の最後の方。まあ、満足しましたねえ。シャツとシューズはジルサンダー。ニットタイ。キメキメで、デンヴァーへ向かいましたね。お、おおお長い。その後、空前のトラッドブーム。ブルーブルー横浜でハントブラッチフォードシリーズに大興奮。ビームスプラスで久々に刺激受けてアメリカントラッドにのめり込んだんですが、ビームスでは単体のイメージで。やっぱりハントブラッチフォードでスーツは気分よかった。入り口は紺ブレ、マーティングリーンフィールド製。同素材のセットアップ。ハリスツウィードでのスリーピース。ブラックウォッチのスリーピース。ボタンダウンシャツ。ボウタイ、オールデン。楽しかったですねえ。で、結婚という人生の門出を迎えるわけ。自分の結婚式ではジョンみたく真っ白スーツをレンタル!しました。なんかウェディングって特殊ですし。その後、やけにオール白が良くなっちゃったのはあの日の高揚感からなのか?その後、親友の結婚式。スーツ新調だってことで、バーニーズへ走る。もうね、30越したわけでね。ダークスーツ。シンプルに。ベルベスト。エドワードグリーン。なんも意識せずピュアに。はい。ここまでが僕の思うセットアップ、あるいはスーツという話。
話題沸騰!
このシリーズ。
早くも第三弾!
テーマは、
アクセサリーです。
乞うご期待!
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