人種分け
2005-06-11 | 思想
PROLOGUE
新しいムーブメント、それは内面から起こる。
私たちの内面を変えていき流れを生み出す。
'50年代スタートのビート文化。
ビートの嵐が吹き荒れたおかげで、既存を壊す
動きは非常に力強い。今の政治体制、文化は
すでに破壊されている。
それを加齢臭ただようポンコツ達がなんとか
カモフラージュしている。
無い未来を信じて。猿達ががんばっている。
只、そろそろ壊すだけではダメなんじゃないかと
私は同世代に言いたい。
壊すのに皆が目を輝かせていたのは'60年代後半
がピークであろう。日本でも。
長髪でミリタリー・ルックのグループ・サウンズ
がどれほど過激だったか。それは当時の激怒する
大人の存在なしにはあり得ない。戦中派。
殺人経験のある人間にニュー・センスで挑む。
だからかっこいい。
今の子供は攻撃できるような大人がいないことが
不幸である。いるのはヘタレ・ビジネス・マン。
あぶく銭を撫でて遊ぶ変態野郎ども。いや野郎とも
呼べない。ただのゴミだ。あとはそこに行けない
しがないピープル。
これまでセンスの発信源はアメリカだった。
それはアメリカの時代だったから。
しかし、現在はもう文化面で引っ張っていけて
ないのだからもう忘れよう。
そこにはノスタルジアしかない。
今私たちを覆っているのは壊し尽くした空虚感だ。
もう壊すものは無いのに未だに激しくやっている
人たちは基本的にオッサンと変わらない。
今私たちは非常にまっさらな所にいる。
フリー。でも無気力、みたいな。
残念ながら喜びの開放感ではない。
だから流れを生み出さなくてはいけない。
人種分け
福沢諭吉いわく
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
正しい。
人間を人種に区切り、その上下で差別等
していては優秀な人間を埋没させることになる。
ただ、上下の差別がいけないのであって
人間を特色によって分けるのは必要なことである。
新しい世の中にはこれが必要である。
そこで、勝手ではあるが人種を5段階で造ってみた。
1、ヒップ・スター
2、クラフト・マン
3、凡人
4、アホ
5、ゴミ
では、解説していこう。
まずはヒップ・スター。
彼等こそセンスの担手である。
破壊者であり創造者でもある。
人を率いることができる。
だが、弱点としてはかなりひらめきで
動いている感がありもろい。
タイミングが合わなければ不発で終わる
危険性大。現代、ほぼ全てと行っていい
ヒップ・スター達がその芽をつまれ
腐ってしまっている。
2番目。クラフト・マン、日本男児に比較的
多い人種。大きなセンス等は関係なく
自分の技術を高めることに全てを捧げる。
職人や秋葉原の住人達はここにくる。
時代の波にも飲まれにくく、強い。
只、最近もの造りの現場から情報を発信
しようという動きがあるが、これは意味
が無い。彼等は基本的に内を向いており
人間関係というよりは情報交換で集まっている
だけである。センスを生み出すことはできない。
インター・ネットの出現はヒップ・スターと
クラフト・マンが組んで生まれた奇跡だった。
生み出された後の加工やアレンジは彼等の
得意技である。
3番目の凡人。
彼等が社会を構成している。割合も一番多い。
多少、他人種によっている部分の人間もいるが
その追求度が甘ければ凡人。
最近の風潮としてここに収まっては行けないと
凡人はダサイとせかすようになっている。
が、そのアドバイスは危険である。それは
言葉を変えれば満足するな、と言っているのだ。
人を焦らせ、不安にし、そこにつけこんで商売
しようとしているだけである。
凡人の美学、ルーティンの美学を打ち出さなく
てはいけない。友人から聞いた話であるが
明治の日本に来たヨーロッパ人に
「何が一番美しかったですか」と聞いた所
「船を漕ぐ船頭さんです」との答えだった。
なにも考えず、無心で船を漕ぐ人。
無駄の無い筋肉と動きは自然と同化し
まさに感動的であったらしい。
慎ましい幸せ。それは普遍の価値がある。
4、アホ。ずれている人。
只、一歩違えばヒップスターになり得る存在。
ろくでなしや、ならず者といったところ。
だが、こういった人たちはかっこいい。
ライフ・スタイルに筋が通っている。
自分の楽しみ方を会得しており人生を
楽しんでいる。
そして、5のゴミ。
既存の体制で優位なところを目指す輩。
もしくは既に着いているゲスども。
ゴミ発生のプロセスを見てみよう。
幼少期、教育ママのサクセス・ライフ
プログラムをいい子にこなす。
それは何も考えていないからできること。
塾に通い脳みそをほぐされ効率の良い
思考を手に入れる。
洗脳されており楽観主義者となっている。
やがて思春期、性欲がもたげてくる。
「うっせー、ばばー」
とならずに無難に通過。影でキチンと
欲望は満たしている。サクセス・ライフ
プログラムを守ることが最重要だからだ。
あとはポン、ポンとゴミの出来上がり。
追求するものも特に無く、スイスイと
世渡り。金はいつでも身近にあるので
偽りのセンスで人々を誘惑。
以上が5つの人種の内容である。
ノーマルな考えで、世の中の流れは
まずヒップ・スターが造る。それは
革命とも言う。そしてその世界が徐々に
完成へと向かう中で、支配者層が確率。
やがてその中身にゴミが増えてくる。
ヒップ・スターの子でもゴミになる。
世襲を繰り返せばやがてゴミが増えるのは
当然。完全支配体制の元では次世代の
ヒップ・スターは迫害され
アホと同等の社会の底辺に
落とされる。そこでセンスが練り上げられ
再び革命となって爆発する。
この例は主にヨーロッパの社会の話であるが
近代国家となった今の日本にも通用するはずだ。
これ以上ゴミが動かす世界を続けてはいけない。
現在の教育では皆同じ人間として扱う。
これは間違っている。それぞれ自分にフィットする
ライフ・スタイルがあるべき。
こうすれば成功するというのは大人の幻想。
ゴミと化した人間を社会に放出するのは罪である。
義務教育過程では何かと協調性を説く。
ヒップ・スターの鋭いセンスはここで傷つけられる。
「なんとか生き延びてくれ」と願う。
人々の頭の中で5つの人種分けが行なわれ、自分の
ポジションが明確になれば気持ちは安定する。
全部イッショコタのカオスを抜ける人種分け。
私は自分をアホと設定している。
私の意見はズレている。しかし、その後の
ヒップ・スター達に繋がるかもしれない。
そう思いたい。
新しいムーブメント、それは内面から起こる。
私たちの内面を変えていき流れを生み出す。
'50年代スタートのビート文化。
ビートの嵐が吹き荒れたおかげで、既存を壊す
動きは非常に力強い。今の政治体制、文化は
すでに破壊されている。
それを加齢臭ただようポンコツ達がなんとか
カモフラージュしている。
無い未来を信じて。猿達ががんばっている。
只、そろそろ壊すだけではダメなんじゃないかと
私は同世代に言いたい。
壊すのに皆が目を輝かせていたのは'60年代後半
がピークであろう。日本でも。
長髪でミリタリー・ルックのグループ・サウンズ
がどれほど過激だったか。それは当時の激怒する
大人の存在なしにはあり得ない。戦中派。
殺人経験のある人間にニュー・センスで挑む。
だからかっこいい。
今の子供は攻撃できるような大人がいないことが
不幸である。いるのはヘタレ・ビジネス・マン。
あぶく銭を撫でて遊ぶ変態野郎ども。いや野郎とも
呼べない。ただのゴミだ。あとはそこに行けない
しがないピープル。
これまでセンスの発信源はアメリカだった。
それはアメリカの時代だったから。
しかし、現在はもう文化面で引っ張っていけて
ないのだからもう忘れよう。
そこにはノスタルジアしかない。
今私たちを覆っているのは壊し尽くした空虚感だ。
もう壊すものは無いのに未だに激しくやっている
人たちは基本的にオッサンと変わらない。
今私たちは非常にまっさらな所にいる。
フリー。でも無気力、みたいな。
残念ながら喜びの開放感ではない。
だから流れを生み出さなくてはいけない。
人種分け
福沢諭吉いわく
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
正しい。
人間を人種に区切り、その上下で差別等
していては優秀な人間を埋没させることになる。
ただ、上下の差別がいけないのであって
人間を特色によって分けるのは必要なことである。
新しい世の中にはこれが必要である。
そこで、勝手ではあるが人種を5段階で造ってみた。
1、ヒップ・スター
2、クラフト・マン
3、凡人
4、アホ
5、ゴミ
では、解説していこう。
まずはヒップ・スター。
彼等こそセンスの担手である。
破壊者であり創造者でもある。
人を率いることができる。
だが、弱点としてはかなりひらめきで
動いている感がありもろい。
タイミングが合わなければ不発で終わる
危険性大。現代、ほぼ全てと行っていい
ヒップ・スター達がその芽をつまれ
腐ってしまっている。
2番目。クラフト・マン、日本男児に比較的
多い人種。大きなセンス等は関係なく
自分の技術を高めることに全てを捧げる。
職人や秋葉原の住人達はここにくる。
時代の波にも飲まれにくく、強い。
只、最近もの造りの現場から情報を発信
しようという動きがあるが、これは意味
が無い。彼等は基本的に内を向いており
人間関係というよりは情報交換で集まっている
だけである。センスを生み出すことはできない。
インター・ネットの出現はヒップ・スターと
クラフト・マンが組んで生まれた奇跡だった。
生み出された後の加工やアレンジは彼等の
得意技である。
3番目の凡人。
彼等が社会を構成している。割合も一番多い。
多少、他人種によっている部分の人間もいるが
その追求度が甘ければ凡人。
最近の風潮としてここに収まっては行けないと
凡人はダサイとせかすようになっている。
が、そのアドバイスは危険である。それは
言葉を変えれば満足するな、と言っているのだ。
人を焦らせ、不安にし、そこにつけこんで商売
しようとしているだけである。
凡人の美学、ルーティンの美学を打ち出さなく
てはいけない。友人から聞いた話であるが
明治の日本に来たヨーロッパ人に
「何が一番美しかったですか」と聞いた所
「船を漕ぐ船頭さんです」との答えだった。
なにも考えず、無心で船を漕ぐ人。
無駄の無い筋肉と動きは自然と同化し
まさに感動的であったらしい。
慎ましい幸せ。それは普遍の価値がある。
4、アホ。ずれている人。
只、一歩違えばヒップスターになり得る存在。
ろくでなしや、ならず者といったところ。
だが、こういった人たちはかっこいい。
ライフ・スタイルに筋が通っている。
自分の楽しみ方を会得しており人生を
楽しんでいる。
そして、5のゴミ。
既存の体制で優位なところを目指す輩。
もしくは既に着いているゲスども。
ゴミ発生のプロセスを見てみよう。
幼少期、教育ママのサクセス・ライフ
プログラムをいい子にこなす。
それは何も考えていないからできること。
塾に通い脳みそをほぐされ効率の良い
思考を手に入れる。
洗脳されており楽観主義者となっている。
やがて思春期、性欲がもたげてくる。
「うっせー、ばばー」
とならずに無難に通過。影でキチンと
欲望は満たしている。サクセス・ライフ
プログラムを守ることが最重要だからだ。
あとはポン、ポンとゴミの出来上がり。
追求するものも特に無く、スイスイと
世渡り。金はいつでも身近にあるので
偽りのセンスで人々を誘惑。
以上が5つの人種の内容である。
ノーマルな考えで、世の中の流れは
まずヒップ・スターが造る。それは
革命とも言う。そしてその世界が徐々に
完成へと向かう中で、支配者層が確率。
やがてその中身にゴミが増えてくる。
ヒップ・スターの子でもゴミになる。
世襲を繰り返せばやがてゴミが増えるのは
当然。完全支配体制の元では次世代の
ヒップ・スターは迫害され
アホと同等の社会の底辺に
落とされる。そこでセンスが練り上げられ
再び革命となって爆発する。
この例は主にヨーロッパの社会の話であるが
近代国家となった今の日本にも通用するはずだ。
これ以上ゴミが動かす世界を続けてはいけない。
現在の教育では皆同じ人間として扱う。
これは間違っている。それぞれ自分にフィットする
ライフ・スタイルがあるべき。
こうすれば成功するというのは大人の幻想。
ゴミと化した人間を社会に放出するのは罪である。
義務教育過程では何かと協調性を説く。
ヒップ・スターの鋭いセンスはここで傷つけられる。
「なんとか生き延びてくれ」と願う。
人々の頭の中で5つの人種分けが行なわれ、自分の
ポジションが明確になれば気持ちは安定する。
全部イッショコタのカオスを抜ける人種分け。
私は自分をアホと設定している。
私の意見はズレている。しかし、その後の
ヒップ・スター達に繋がるかもしれない。
そう思いたい。
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