京都から戻って、風呂入ってまた出かける。
八戸ノ里にてチーム・ちぃちゃんの卒業設計打上げ。
正直なとこ最強の面子。
その昔、chie、yae、ukiki(当時の三強。いや、今もやで。。)と環状線に乗ってて顔が常に緩んでて「何でずっと半笑いなん?」と言われたのを思い出す。
昨夜も終始、半笑いだったんじゃないでしょうか。。。
スーパー楽しかった。打ち上げれてよかった。
ごちそうさまでした。卒業おめでとう。
なぜちぃちゃんなのか。
出身ゼミも違う。当時のチーム・yoshi-kのエンジェルでもない。
かと言って下心ってわけでもない。
なぜちぃちゃんだったのか。
それにはとても大きな理由があります。
コードネームは「ちぃちゃんへの恩返し大作戦」。
一年ほど前からこっち数か月、僕はとても不安定な状態にありました。
同期たちがよーいドンで社会人としてのスタートを切り、とても焦っていました。
症状も後退したまま、気持ちが焦るばかりで、悪循環に陥っていきました。
院を修了しても研究室パラサイトを継続していました。
大掃除に参加して、とてもいい資料を見つけたので、近大に寄贈しようと思いました。
(過去ログ「
図面寄贈」に詳しい。)
過去ログでは書きませんでしたが、最初に約束していた日にドタキャンしたのは、ただの体調不良ではありません。
あの頃は常に息苦しく居心地が悪く最悪な気分でした。
そんな状態でとうとう電車に乗って京都市内から出られませんでした。
前日から連絡を取っていた後輩に、体調が悪くて行けません、と伝えました。
約束をしては守ることができず、自分の無力さに涙が止まらず、物に当たるなんてことが多くなっていました。
京都から出られない。実家にも帰れない。どこにも行けない。
もうどうしようもない。そんな風に思い、トボトボと歩いていました。
メーリングリストにて情報を仕入れたのか、すぐにちぃちゃんからメールが入りました。
ちぃちゃんはすべてを理解して、たった一言だけのメールを送ってくれました。
たった一言に、すべてが凝縮されていて、救われました。
そのメールは僕が大切に築いてきたつながりを気付かせてくれました。
ちぃちゃんとの間にも、他の仲間とも、僕はちゃんとつながりを大切に作ってきたということに気付きました。
そしたら今はこんなでも生きていていいんだと、心と体がふっと軽くなりました。
あの時、ちぃちゃんに受けた恩はとても大きい。だからチャンスがあれば返したいと思っていました。
滅多なことでは人を頼らない彼女に手伝ってほしいと言われ、できるかぎりのことをしようと思いました。
それがちぃちゃんの卒業設計のサポートをした理由の全てです。
今回少し手伝ったくらいじゃまだまだ全然返しきれてないけど。。
長くなったけど誰かへの言い訳ってわけでもなく、しいて言うならちぃちゃんの名誉のため。