いよいよ2010年も終わります。私も還暦を過ぎました。私自身はこれからも、よりよい演奏が出来ることを願い精進を続けていきますが、なかなか後継者が出てこないことが心に残ります。
折に触れて、大切と思われることは、このブログに記していきます。
いずれこれらをまとめて、さらに統計だったものにしていくと「いい演奏とは?」というものが見えてくると思います。
そうこうしてるうちに、後を継ぐ方が出てくるの期待しています。
ということで今回は0拍、余拍~についてです。
曲の一番最初は基本的に強起か弱起のどちらかで始まります。強拍(1拍目)から始まるか弱拍(ここでは1拍目以外の音)から始まるかという事です。
中には拍節リズムによらない曲もあり(小節をもたない曲等)、その場合は例外です。
そしてとくに1拍目から始まる場合注意していただきたいのが、0拍とか余拍とか言う概念です。指揮法ではこれらを予備拍と言っています。
曲は、何となく始まる事はありません。色々なシチュエーションがあります。
堂々と始まったり、そっとささやくように始まったり、霧の中からふわっと出てきたり、します。
その雰囲気作りのために、あるのが、0拍とか余拍です。
その曲の1拍めを引き出すのにふさわしい見えない拍から1拍目に向かいます。
1拍目はリズムを分かりやすくするため強拍といいますが、指揮用語で下拍と言ってます。演奏理論からこの下拍(下に向かう拍)という言い方の方が適切です。他には押す拍、という言い方や、こぶしを握ったり離したりの運動に例えて、握る拍と言ったり、呼吸法から言うと、吐く拍という事になります。
という事で1拍目の音を出すとき、あるシチュエーションを感じ、息を吸いながら(体もおこし気味)1拍目に向かいそしてその結果ふさわしい音を出す(息を吐いたり、起こしていた体を沈めたり)となるわけです。
弱起の曲(アウフタクト)の場合はその弱拍の音を出しながら1拍目に向かうので、強起、弱起どちらも、音があるか無いかの違いで、やることは同じです。
勿論、弱拍から始まる場合でもさらにその弱拍を引き出す余拍も多少は必要です。
余拍は曲のお終いの音を出した後にも感じられます。(余情という人もいます)
この余拍は時には拍手によってかき消される時も、ままありますが。
折に触れて、大切と思われることは、このブログに記していきます。
いずれこれらをまとめて、さらに統計だったものにしていくと「いい演奏とは?」というものが見えてくると思います。
そうこうしてるうちに、後を継ぐ方が出てくるの期待しています。
ということで今回は0拍、余拍~についてです。
曲の一番最初は基本的に強起か弱起のどちらかで始まります。強拍(1拍目)から始まるか弱拍(ここでは1拍目以外の音)から始まるかという事です。
中には拍節リズムによらない曲もあり(小節をもたない曲等)、その場合は例外です。
そしてとくに1拍目から始まる場合注意していただきたいのが、0拍とか余拍とか言う概念です。指揮法ではこれらを予備拍と言っています。
曲は、何となく始まる事はありません。色々なシチュエーションがあります。
堂々と始まったり、そっとささやくように始まったり、霧の中からふわっと出てきたり、します。
その雰囲気作りのために、あるのが、0拍とか余拍です。
その曲の1拍めを引き出すのにふさわしい見えない拍から1拍目に向かいます。
1拍目はリズムを分かりやすくするため強拍といいますが、指揮用語で下拍と言ってます。演奏理論からこの下拍(下に向かう拍)という言い方の方が適切です。他には押す拍、という言い方や、こぶしを握ったり離したりの運動に例えて、握る拍と言ったり、呼吸法から言うと、吐く拍という事になります。
という事で1拍目の音を出すとき、あるシチュエーションを感じ、息を吸いながら(体もおこし気味)1拍目に向かいそしてその結果ふさわしい音を出す(息を吐いたり、起こしていた体を沈めたり)となるわけです。
弱起の曲(アウフタクト)の場合はその弱拍の音を出しながら1拍目に向かうので、強起、弱起どちらも、音があるか無いかの違いで、やることは同じです。
勿論、弱拍から始まる場合でもさらにその弱拍を引き出す余拍も多少は必要です。
余拍は曲のお終いの音を出した後にも感じられます。(余情という人もいます)
この余拍は時には拍手によってかき消される時も、ままありますが。
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