そんな訳で私の20代は、様々な体験や書物では得られない知識、多くの音楽家との出会い等が乾いた砂に水を吸収するがごとく私の体内に入り込んだ年代でした。
僕は30代に入って念願の尺八を習う事になりました。ギターやピアノなどは僕を教えてくれそうな人はいませんでした。クラッシックの方は一人でもどうにかなったのですが、他のジャンル(特に邦楽や、ジャズ)については雰囲気は分かるにしても実際の所は全く駄目でした。
その頃僕が憧れていた楽器が中国の二胡と日本の尺八でした。後年、二胡はやるのですが、この時はお付き合いしていたギター専門店のオーナーに尺八の先生を紹介して戴き、尺八を勉強する事が出来ました。
僕は小学生の頃から映画が好きで良く見に行きました。信じられないでしょうが小学校生はその頃、映画館の入場料が10円でした。僕は二日か三日に1度10円お小使いが貰えたので、ほぼ毎週位に映画館に行きました。良く見た東映の時代劇では、虚無僧が登場して尺八を吹いているシーンが出てくるのです。今思えば《鹿の遠音》とか《虚空》と言った名曲でしたが、その頃はそう言った曲を聴いてワクワクしました。
やがて黒澤映画を見る頃には尺八の奏法の一つに《ムラ息》と言うのがあるんですが、それがふんだんに出て来ました。あのブオーっという空気をつんざく様な尺八特有の音の出し方です。これに痺れました。
やがて武満徹の「ノベンバーステップス」を聴いた時は震えました。横山勝也さんの尺八でした。僕はこれまでにクラシックの楽器は色々手掛けましたが、その中ではギターが一番好きです。そして次に好きなのが尺八でした。
こうして念願が叶い、月に2回ほど我が家からは2時間電車に乗って、その先生の家へ行く事になりました。もともと管楽器は何でもやっていたので指も音の出し方にも違和感なくスムースに学ぶ事が出来ました。ただ西洋音楽と違って先程の“ムラ息”の様にフルートでは雑音として嫌われる音の出し方を、邦楽では突き詰めて行って心を表現する奏法として捉えること等は、古いと言うより斬新さを感じさせました。又、小節の無い自由リズムを駆使する尺八には吹禅という言葉がある様に、楽器の演奏そのものに悟りを求める精神が根底にある所などに関しては、僕にはこれこそ音楽だと合点が行く思いをしました。
尺八を学んでいた何年かの間には、お琴や、三味線、吟詠の先生方とも合わせる等、いい経験になりました。それに恥ずかしいのですがギターを習ってくれる人は少なかったので、ああこれで尺八の生徒を取れば生活はどうにかなるな、なんて考えていました。まあ実際に何人かの人を教えることになりましたが尺八を学んだ経験はギターの演奏には大いに役に立ちました。リズムや呼吸との関係についても以前より深く追求する様になりました。又作曲の方でも日本音階を用いる曲が増えて来ました。
作曲のほうは40才を過ぎてから依頼する人も増えたせいか、沢山作る様になりましたが、この時の経験がとっても役に立ちました。
続きは後ほどにします。とりあえずお休みなさい。
僕は30代に入って念願の尺八を習う事になりました。ギターやピアノなどは僕を教えてくれそうな人はいませんでした。クラッシックの方は一人でもどうにかなったのですが、他のジャンル(特に邦楽や、ジャズ)については雰囲気は分かるにしても実際の所は全く駄目でした。
その頃僕が憧れていた楽器が中国の二胡と日本の尺八でした。後年、二胡はやるのですが、この時はお付き合いしていたギター専門店のオーナーに尺八の先生を紹介して戴き、尺八を勉強する事が出来ました。
僕は小学生の頃から映画が好きで良く見に行きました。信じられないでしょうが小学校生はその頃、映画館の入場料が10円でした。僕は二日か三日に1度10円お小使いが貰えたので、ほぼ毎週位に映画館に行きました。良く見た東映の時代劇では、虚無僧が登場して尺八を吹いているシーンが出てくるのです。今思えば《鹿の遠音》とか《虚空》と言った名曲でしたが、その頃はそう言った曲を聴いてワクワクしました。
やがて黒澤映画を見る頃には尺八の奏法の一つに《ムラ息》と言うのがあるんですが、それがふんだんに出て来ました。あのブオーっという空気をつんざく様な尺八特有の音の出し方です。これに痺れました。
やがて武満徹の「ノベンバーステップス」を聴いた時は震えました。横山勝也さんの尺八でした。僕はこれまでにクラシックの楽器は色々手掛けましたが、その中ではギターが一番好きです。そして次に好きなのが尺八でした。
こうして念願が叶い、月に2回ほど我が家からは2時間電車に乗って、その先生の家へ行く事になりました。もともと管楽器は何でもやっていたので指も音の出し方にも違和感なくスムースに学ぶ事が出来ました。ただ西洋音楽と違って先程の“ムラ息”の様にフルートでは雑音として嫌われる音の出し方を、邦楽では突き詰めて行って心を表現する奏法として捉えること等は、古いと言うより斬新さを感じさせました。又、小節の無い自由リズムを駆使する尺八には吹禅という言葉がある様に、楽器の演奏そのものに悟りを求める精神が根底にある所などに関しては、僕にはこれこそ音楽だと合点が行く思いをしました。
尺八を学んでいた何年かの間には、お琴や、三味線、吟詠の先生方とも合わせる等、いい経験になりました。それに恥ずかしいのですがギターを習ってくれる人は少なかったので、ああこれで尺八の生徒を取れば生活はどうにかなるな、なんて考えていました。まあ実際に何人かの人を教えることになりましたが尺八を学んだ経験はギターの演奏には大いに役に立ちました。リズムや呼吸との関係についても以前より深く追求する様になりました。又作曲の方でも日本音階を用いる曲が増えて来ました。
作曲のほうは40才を過ぎてから依頼する人も増えたせいか、沢山作る様になりましたが、この時の経験がとっても役に立ちました。
続きは後ほどにします。とりあえずお休みなさい。