西村 洋の音楽とギター

音楽の持つ繊細、深遠、愛、ギターはこれらを表現しうる力を持っています。でもどうやって?

この所思う事等(9)

2014-05-06 23:26:22 | Weblog
さて僕は、60を目前にして忙しい生活を止めギター三昧の生活に戻した。

まあ、たまたま二人の子供が大学に入る時期だったので収入の面からは忙しい生活も返って良かったと思っている。
息子二人は音楽と体育という普通以上にお金のかかる大学だったものだから音楽で生計を立ている以上それなりの事はしてやれたかな、親としての責任をどうにか果たせたかなと思っている。

ともかくこれまで忙しさにかまけて、毎年やろうとしていたリサイタルを中断した事が何度か有ったので、これを軌道に戻して必ず毎年やる事にした。

初心に戻してギターの持ち方から自分の演奏を振り返ってみた。その結果これまでの自分の方向性に間違いがない部分はいいとして、長い間、拍を取り違えて覚えていた部分に気が付いたり、ほんのちょっとした指使いの変更で苦労していた所が何でも無く弾けるようになったり、どうしても指が届かないとぼやいていた場所が、姿勢を変えてみるとすっと届くようになったり、色々と気が付く所が多かった。そんな新たな発見の連続の中で、僕はついに60歳を迎える事になった。

この年齢は20代の頃から僕が目標にしていた年齢であった。尊敬するセゴビア先生の演奏は、この年を境に飛躍的に素晴らしい演奏になったからだ。勿論それまでも最高の演奏をしていたが、さらに何度聴いてもうーんと唸り声が出るほどいい演奏になったのである。

僕も60になればあの様な演奏になるのかな。ああ早く60にならないかな。ずっとそんな風に思って勉強をしていたのだ。
さて現に僕は60を超えた。はてさて演奏はどうなったのだろうか。

結論から言えば夢半ばという事です。とてもセゴビア先生の足もとにも行ってないです。僕の頭というか心の中では、僕が究極と思っているギターは弾かない、音は出さない、指は動かさないという命題には近づきつつあると言う事です。多分、いやもう後がないけれど、70位にはいい演奏がしたい。そう思っています。

さてだいぶ時間がかかってしまったけれど《この所思う事等》はこの辺で終わりにします。次からは音の出し方とか左手の押さえ方や移動について等に触れて行こうかと思っています。