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霊界通信2の6、女性の本当の魅力、小桜姫のメッセージ

2020年10月01日 | 情報
小桜姫のメッセージ、通常の私達には思い至らない霊としての視点があり、意外性もあります。ですが、内容的には、腑に落ちる部分が多いのではないでしょうか。高天原が、バックアップされているだけの事はあると思います。掲載を続けさせて頂きます。カッコ()内は補注です。一部、編集してあります。

(ここから)

6.地獄最期の日

さて、ここからは「地獄最期の日」という演題で、少々、お話ししようと思います。

ご存じの様に、あらゆる世界中の宗教には、一致する共通項があります。その共通項の中で、生きている人が、地獄に堕ちないようにする、或いは、地獄に堕ちた人々が、いかにしたら救われるのか、といった方法論があると思います。

そこで、小桜は、第一の問題として、生きている人は、どうすれば地獄に堕ちなくて済むのか。第二の問題として、どうすれば、現在、地獄に居る人々を救い出せるのか、を、考えてみたいと思います。

まず、第一の問題から取り掛かりましょう。生きている人間は、どうしたら地獄に堕ちずに済むか。

簡単に言えば、勿論、神の心を、心として生きれば、絶対に地獄など行きません。しかし、生身の人間にとって、神様の様な心を持って生きるのは難しいですから、少し条件を緩めて、高級霊の生き方を手本として生きるべきだ、と申しておきましょう。つまり、手近な例が、偉人の生涯を手本として生きている、という事です。

偉人の生涯の特徴を、私は、出来るだけ、挙げてみたいと思います。

まず、一番目は、自分に厳しい、という事です。この、自分に厳しいという事は、一つの面として、努力、精進、という事であるし、他の面を取れば、謙虚さ、という事であろうと思います。

二番目は、他人への思いやり、優しさ、であろうと思います。これが、他の人への愛であり、慈悲であり、親切であり、配慮です。この、他人への思いやりの欠けた人は、どれだけ大きな事業を成し遂げたとしても、所詮、自分だけが可愛い、自己保存欲の強い人間であり、偉人の範疇(はんちゅう)には入りません。ですから、この二番目の要点を、別の言葉で言うと、無私、という事だと思います。

第三番目を申し上げます。それは、清らかさ、です。その人の言葉に触れると、或いは、その人の行動に接すると、何かしら、ハッとさせられる様な、清らかさです。言葉を換えれば、人々の心の琴線に触れる様な、何か、人の心の中に潜んだ、聖なる物を共鳴させる、何か、です。物質に対する無欲さ、と言ってもいいし、執着心が少なく、行雲流水(こううんりゅうすい)の如き生き方をしている、と言っても良いでしょう。聖なる内流を持っている人、という事です。

第四番目は、心の広さです。偉人に共通しているのは、心の広さです。あらゆるものを包容するが如き、青空の如き、広さ、大きさです。どんなに、精進、努力をしたとしても、その結果、他人を寄せ付けない様な、心の狭さを身に着けた様な人は、決して、偉人とは言えません。

第五番目は、内省(ないせい)という事です。偉人は、常々、自らの心を内省し、さらなる発展を、心に期しています。この内省の中には、いわゆる、反省や瞑想も含みますし、広義の内省には、神と心を一体にする、という意味での、祈りも含まれています。しかし、この場合の祈りは、多勢で集団で祈るのではなく、人知れず、静かに祈る、という事です。つまり、偉人の条件の五番目は、人知れず、神と相対座する時間を、意図的に持っている人、という意味です。

私は、以上で、偉人の条件として(1)自分に厳しいこと (2)他人への優しさ (3)清らかさ (4)心の広さ (5)内省する習慣、の五つを挙げました。これが全てでは、ありませんが、神に近き人の、共通した性質だと思います。少なくとも、地上に生きている人間は、この五つの徳目を、身に付けるべく、努力して生きれば、決して、地獄などへ堕(お)ちる事はありません。

さて、第二の問題として、現在、地獄に堕ちている人々を、どうしたら救えるか、という問題に入ります。

一口で言うならば、この地上界が、神の国、ユートピアになれば、地獄は、自然に消滅してしまいます。

その理由は、一つには、この地上から、あの世へと旅立つ人々が、地獄に行く事がなくなる為、地獄の人口は、決して供給されない、という事、つまり、減りはしても増えない、という事です。いまひとつの理由は、地獄の住人達のエネルギー源は、この地上界の悪想念である為、この地上界を、ユートピアにする事によって、悪のエネルギーの供給を止めてしまえば、彼らは、活動を停止してしまうからです。

つまり、この地上を、神の光に満ちた楽園とする事によって、地獄は、なくなって行くのです。ですから、仏壇や神棚を祭って拝む事よりも、この地上で生きている、残された家族が、楽しく豊かで、調和された生活を送っていれば、自然と、地獄霊達も、心が調和され、天上界へと旅立って行くのです。この方法が、一番確実で、間違いのない方法です。

第二の方法は、祈りの方法です。天上界の高級霊達も、日々、地獄霊救済の為に努力して居りますが、地上からの祈りの力を送ってやることによって、彼らも勇気付けられ、パワーが増して行くのです。生きている人が、神理を悟れば悟るほど、この祈りの力も強くなり、悪霊達に、神理を知らしめる力となるのです。

以上で、第一の問題と、第二の問題について語りましたが、こういう事が、あなた方の努力によって良い方向へと進めば、地獄最後の日は、もう、そこまで来ています。


7.天使の役割

さて、ここまでは、地獄をなくす方法論について語りました。そこで、ここからは「天使の役割」という事について、お話ししましょう。あなた方の霊言集の中で、天台智覬(ちぎ)さんが、地獄を病院に譬(たと)え、地獄霊は患者、天使を医者や看護婦に見立てていました。

大体、この比喩は、的を射ています。ただ、惜しむらくは、天使達の、積極的役割に触れていない点です。

確かに、天使達は、地獄霊救済の為の、医師や看護婦で、あるかも知れませんが、それは、病人が出て来た場合の、受身的役割だと思うのです。けれども、実際は、その様な、受身的役割をしている天使の数は少数で、寧ろ、大多数の天使達は、積極的に、神の国実現の為に努力している、と言って間違いないと思います。

その努力の、現われの一つが、地上に、次々と降誕している、光の天使達の存在であり、他の一つが、各次元において、光の天使が駐留して、多くの霊達を導いている光景でありましょう。

先日の、イエス様の言葉にあった通り、キリストの使命は、肉体イエスが十字架にかかった時に終わったのではなく、さらにその時から、より一層強力なキリストの使命が、発揮され始めたのだ、という事です。

いかなる光の大指導霊が、この地上に降誕しようとも、やはり、肉体を持てば、盲目に近くなり、その人の、本来の使命の一〇パーセントも発揮出来ないまま、終わってしまう事が、ままあるのです。それゆえ、あの世に還って、自由自在の身になって、地上に在った時の失敗を埋めるべく、大車輪の活躍をされる人も、多いのです。

昔から、よく話される事で、時代が人を創るのか、人が時代を創るのか、といった問題があるはずです。結論から先に言うと、やはり、人が時代を創っている様です。と言うのも、時代の節目、節目には、天上界の計画によって、様々な光の天使が、地上に生まれているからです。そうした人達が、束(たば)になって出て、新しい時代、というものが出来るのです。それは、古代ギリシャに哲学が栄えた時もそうですし、古代中国に、孔子、孟子などが生まれて、百家争鳴(ひゃっかそうめい)と言われた時も、そう、また釈迦の時代も、イエスの時代も、そうです。

時代時代の転換期には、偉大な光の天使達が、群れをなして出現して、時代の気運を、創り出しているのです。そうして、そういった新しい時代の到来は、千年二千年に一回ですから、その間に、正法の灯を絶やさず、守り伝える為に、中継ぎの、光の天使達が、何百年か置きに出現しているのです。

現代という時代も、イエス出現、以来の、ここ二千年間で、最大の、時代の転換期であり、後世に於いて「霊的奇蹟と科学の時代」と称(よ)ばれる様に、なりましょう。現に、あなた方の時代にも、諸如来、諸菩薩が、相競って地上に生まれているのですから、それが、一体、肉を持った身で、誰であるかは、あなた方には、分かりかねる、かも知れませんが、私達から見ると、あの「南総里見八犬伝」の八犬士の様に、天上から散らばって地上に降りた天使達は、やがて、あなた方の許へと、間違いなく集(つど)って来るのです。ここ数年の内に、あなた方の集まりの中に、間違いなく、散りばめられた光の玉、天使達が引き寄せられて来るでしょう。

あなた方も、今後、一つの宗派を創るのではなく、相集って、一つの時代を創造して行くのだ、という気持でもって、神理伝道に励んでください。

8.大黒天の役割

ここからは「大黒天の役割」という事で、お話をしようと思います。

皆様方は、よく、正月などに、七福神の乗った宝船の絵を、ご覧になった事が、おありでしょう。あれを、単なる伝承とか昔話、作り話として、一笑に付すのは簡単ですが、真実は、そうではありません。福の神というのは現実にいるのです。

あなた方、地上世界を見渡しても、あちこちに、繁栄している会社があり、衰退していく会社があり、また、どんどん豊かになって行く人があり、どんどん貧乏になって行く人も居ります。それも、多少の貧富の差、位なら、偶然で片づけられるでしょうが、あまりにも目覚ましい発展や成功を遂げる企業や人を見ると、そこに、目に見えない力が働いているのではないか、と、想像されることと思います。

実際、実在界には、神から供給される無限の富を、コントロールする役割をしている、光の天使達が居るのです。その人達の事を、福の神と言います。古くは、日本では、大国主之命(おおくにぬしのみこと)という方が、いらっしゃいました。

では、なぜ、福の神の存在が、有るのでしょうか。それは、神の世界計画の中で、「繁栄」という事も、一つの、重要な鍵となっている、からです。各時代の、文化興隆の諸都市を考えてみると、いつの時代にも、経済的に、目まぐるしい繁栄があったはず、なのです。それは、神理伝道の為の、舞台装置、音響効果として、無限の富の供給が為されている、からなのです。これが、一般的な場合です。

もう一つ、特殊な場合があります。それは、光の大指導霊が、地上に降誕した場合です。イエス様は、富と神とに、共に仕えることは出来ない、と言われたそうですが、それは、現実に、イエス様の教えを聞かれた方々が、貧しかった、ので、時の圧政者達への批判を込めて言われた事、であって、実際に、貧乏でなければ、神に仕えることが出来ない訳では、ありません。けれども、光の大指導霊達は、神理伝道に熱心なあまり、どうしても、世俗的な、現実的な経済生活への配慮が、おろそかに、なって行くのです。

この為、神は、特別な役割を持った、福の神、を創りました。これが、いわゆる「大黒天(だいこくてん)」と言われる人々です。「大黒様」と言われる人は、特定の人、ではなく、そうした使命を持った、一群の人々が居る、という事、なのです。

日蓮様にしても、そうです。政治的、経済的に、日蓮様を庇護した武士が居ります。釈迦の時代にも、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)を、寄進した人、が居ります。

いつの時代にも、神理伝道の際には、光の指導霊達が、経済的な事にのみ、腐心(ふしん)しなくても、よい様に、大黒天が、助けてくれるのです。

恐らく、あなた方の時代にも、今後、続々と、神理伝道の為の、経済的協力者が、出て来るでしょう。ともすれば、法の研究、実践のみが、尊い事の様に、思われがち、ですが、こうした方々の、縁の下の力持ち、としての使命の重大さ、をも、あなたは、十分に認めてあげる必要がある、と思うのです。

近くは、日本に、光の指導霊として、高橋信次という、偉大な方が、出られましたが、この方は、あまりにも、自主独立の気性の、はっきりした方で、ご自分の経済的自立は、自分で賄わねばならない、という信条の方でした。その為に、ご自分の経済的基盤を固めるのに時間が掛かり過ぎ、肝心の、法を伝える時間が、非常に少なくなってしまい、天上界からも、大変、惜(お)しまれています。自らが悟る為の環境として、貧しい生活環境を選んで、お生まれになったのですが、その反作用として、経済的自立に力を注ぎ過ぎた、と言えるかも知れません。

あなたに、おかれましても、他人の協力に身を任せる事を、潔(いさぎよ)し、と、していないあまり、ご自身が、経済基盤確立に奔走されると、法の中身が薄くなり、後世に悔いを残す事と、なってしまいます。

やはり、第一番の目標は、この時代に、出来る限り、多くの人々に、神理を伝える事ですから、その他の事は、大黒天達の力を信頼して、任せることです。出来るだけ、効率のよい人生を生きる事を、お祈り申し上げます。

1.女性の幸せ

さて、ここからは「女性の幸せ」という題で、お話したいと思います。

小桜も、神界に来てから、既に、四、五百年は、経ったでしょうか。どうやら、生きていた時の、女性としての嗜み(たしなみ)も、忘れ始め、厳しい修行の結果、やや、男性的な、ものの考え方が、身に付いて来たようです。

そこで、もう一度、心を新たにして、女性の幸せについて、考えてみたいと思います。

皆様、ご存じの様に、宗教的な方面では、どうしても、女性は、主役になりません。どちらかと言うと、歴史の中では、悟りの妨げであったり、神理伝道の邪魔物であったりした様です。そして、歴代の宗教家の考えでは、特に、釈迦仏教の考え方では、女性というものは、物質的な事に、心魅(ひ)かれ易く、また、業(ごう)が深い為に、女人成仏は、殆んど、例外的な事の様に、考えられていたようです。

確かに、実在界(霊界)に還(かえ)って来ても、女性の霊で、太陽界(九次元)や、如来界(八次元)の方は、ほぼ、皆無です。僅かに、如来界と同一視されている様な、女神様が、二、三名居られる、だけの様です。女性で、菩薩界(七次元)の方も、いらっしゃいますが、菩薩界人口の一割にも満たない、と言われています。こうして見ると、女性というものは、悟りに、ほど遠く「女性の幸せ」とは、やはり、この世的な生き方、にしか、ないものではないか、と思われる向きも、多かろうと思います。

確かに、毎日、鏡台に向かい、アイシャドウを塗り、パタパタお化粧をして、ネックレスをぶら下げ、鼻の穴を膨らませて「私きれいかしら」と言っている、現代女性の多くは、世の男性方から「お美しいですね」という、お世辞の一言を、勝ち取る事を、最大の幸せとしている、のでは、ないでしょうか。やはり、女性は、どうしても、女性として生まれついてより、この方、「幸せ」の感じ方が、他人の判断、他人の意見によって左右される事が多いようです。

その根本の理由は、女性は、やはり、弱いからだ、と思います。女性は、他人の評価を、松葉杖にしないと生きて行けない方が、多いのです。言葉を換えれば「自分一人で切り拓く幸せ」「主観的物差しによる幸せ」が、なかなか、納得され難い、のだと思います。

しかし、小桜は、女性にも、この世だけに通じる幸せ、ではなくて、あの世にも通じる幸せ、の物差しを持って頂きたい、と思います。

そして、小桜の考える、あの世でも通用する女性の幸せ、とは、次の五ヵ条では、なかろうか、と思うのです。

一、心の清らかさが、女性にとっての、最大の幸せです。

二、他人に、十分に奉仕できた人生であることが、女性にとっての二番目の幸せです。

三、慎しみ深く生きたことが、女性にとっての三番目の幸せです。

四、できるだけ、広く、穏やかな心を築き得たことが、女性の四番目の幸せです。

五、明るく、肯定的に生きられることが、五番目の幸せです。


以上、五ヵ条を挙げましたが、世の女性の皆さんは、この五ヵ条を、紙に書いて、目に付く所に貼(は)って、毎朝、読み上げて欲しいものです。

一、心の清らかさ……自分の心は濁っていないか、さわやかであるか。二、他人への奉仕……自分の愛する人、縁のある人々へ尽くしているか。三、慎しみ深さ……自分は自己顕示欲の塊になっていないか、女性の慎ましさという美徳を忘れていないか。四、広く穏やかな心……自分は狭い物の見方をしていないか、何かにこだわっていないか、自分は感情の起伏が激しくはないか。五、明るく、肯定的に……自分は、じめじめした考えを、していないか、愚痴ったりしていないか。前向きに物事を考えているか。

この五つの事が叶えられた状態こそ、女性にとって最高に幸せな人生、であろうし、そして、その幸せは、三次元のみではなく、四次元以降の、あの世にも続く、幸せなのです。

ここで、小桜が、本人の心掛けによって感じ得る幸せ、自分一人で切り拓く幸せ、を挙げた事に、ご注意下さい。「女性の幸せとは」という問いに対して、平凡な女性の多くは「いい男性に巡(めぐ)り合うこと」とか「よい子供に恵まれること」とか「経済的に安定していること」とか「美人だと思われること」など、他人の物差しで、幸せを計ってしまうのです。どうか、(自分自身で持つ)心の幸せこそが、本当の幸せである事を、お忘れなく。

2.魅力的な女性

引き続き、ここからも、女性について話したいと思います。ここでは、主として「魅力的な女性」という事で、考えてみたいと思います。

本題に入る前に、断っておかねばならない事が、一つあります。それは「魅力的な女性」という題名自体が「女性は魅力的でなければならない」という命題を含んでいるからです。

では、なぜ、女性は、魅力的でなければならない、の、でしょうか。なぜ女性は、魅力的でありたい、と、願うのでしょうか。そして、魅力的である、という事は、本当に、素晴らしい事、なのでしょうか。

やはり、この問題を考える為には、神様が、なぜ、男性と女性を、この地上に、お出しになったか、という事に遡(さかのぼ)って、考えてみなければならないようです。

神様が、この地上に、女性をお出しになった時、神様は、やはり、補助者としての役割を、女性に期待しておられたようです。そして、男性には、神様が創られた世界の、歴史の中で、主人公となる使命を、お与えになったようです。

そして、男性の為の、良き補助者、になる為に、神様は、女性に、二つの注文を付けたようです。その一つが「献身的であれ」という事ですし、他の一つが「魅力的であれ」という事だったようです。

一番目の「献身的であれ」という注文は、男性の補助者、としての役割を、十分に果たして貰う為です。二番目の「魅力的であれ」という注文は、経済的に、なかなか自立し得ない、女性の弱い立場に、同情されて、女性が男性の庇護(ひご)を、十分に受けられる様に、との、親心から、発された注文だったようです。

さて、以上の様な事を、前提にして、現代の、あなた方の時代(の中)で「魅力的な女性」について考えてみます。

現代女性の間の、意識では、どうやら「魅力的な女性」というのは、大体、二つのタイプに、分かれる様です。その一つが、異性である男性に、チヤホヤされる様な、人目を引く女性です。いま一つが、仕事の面で、同性の目も、異性の目も、引き付ける様な、才能の持主です。どちらにも、共通するのは、先程、私が、お話した様に、他人の目を規準にして、魅力的かどうか、が分かれる所、のようです。

そして、特に、現代の傾向を、よくよく見てみると「魅力的な女性」という定義からは、主婦族が、外れてしまうようです。主婦というのは、釣り上げられた魚、みたいで、活(いき)が良くない、という事、なのでしょうか。その結果、現代では「魅力的な女性」とは、男性に、チヤホヤされながらも、結婚せず、人も羨む様な、キャリアウーマンになったり、独自の才能で、経済的に自立している女性、の事を言うようです。

しかし、小桜の目から見ると、こうした女性の大部分は、話し相手もなく、孤独で、寂しい人生を送っているようです。そして、その孤独を慰める為にも、精一杯、羽振りの良い所を見せて、結婚前の、同性の心を、揺さ振っているようです。「ただの主婦になるなんて、人生、もう終わりよ。」「できるだけ、やりかいのある人生を、生きなきゃ。」「女だって、才能を生かせば、男以上のことがやれるのよ。」……云々、こういった声で、適齢期の女性達を迷わしているのが、世にいう「魅力的な女性」の大部分です。

ここで、私は、古くから有る問題、女性の社会進出、という事に、触れなければならないようです。

現代では、どうやら、女性の魂の歴史の中で、革命が進んでいるようです。と言うのも、世の中が変わり、社会が進歩しても、男性の魂は、増々、豊富な経験を積んで、魂が向上するのに、女性の魂は、主婦業ばかり、やっていたのでは、一向に進歩しないから、魂の進化を求める女性達が、社会進出を望み始めた、からです。

しかし、その結果は、かなり、惨たん、たるもので、反乱を起こしている女性の魂――つまり、本来、女性に予定されている役割の、殼を脱ぎ捨てよう、としている魂――の内、(死後、霊界に戻った時に)元いた霊層より、向上しているのは、二割程度で、大半の方々は、元いた霊層より、低い所か、地獄界に行っているようです。

私は、世の女性達に、申し上げたいのですが、あなた方は、地上界に残した実績、によって評価されるのではないのですよ。やはり、いかに、愛深い人生を生きたか、によって、神様には、評価されるのですよ。自分の勝手な生き方を押し通す事によって、「愛」の少ない女性、になっては、いませんか。

仕事は、二の次です。やはり、根本は心です。いくら、女性で総理大臣になっても、高収入のファッション・デザイナーになっても、愛のない、砂漠の様な人生を歩んだ女性は、やはり、地獄で苦しむことになるのです。

「魅力的な女性とは何か」この問いに対し、小桜は、自信を持って、いま、お答えすることが出来ます。「愛に溢(あふ)れた女性である。」と。

野に咲く草花でさえ、道を急ぐ人々の心に「やすらぎ」という名の、愛を、与えているでは、ありませんか。

ましてや、人間として、女性として、この世に生を受けた身で、あるならば、野に咲く草花以上に、世の人々に、愛を与える義務が、あるはずです。

女性の方々は、ともすれば、愛される事は当然だ、愛される事は権利なんだ、と、考えがちなんですが、それは、違っています。女性と言わず、人間は、愛される権利ではなく、愛する義務を、負っているのです。

ですから、自己実現として「魅力的な女性になること」を願うのは、素晴らしい事ですが、その目的が「より多くの人々に、愛される為」であるなら、落第で、「より多くの人々に愛を与える為」なら及第です。愛に満ち溢れた女性こそ、本当に素晴らしい、魅力的な女性である事を、小桜は、再度、繰り返します。美しくなる事や、職業を持つ事や、世間の注目を集める事が、決して、魅力的な事ではないのです。

無尽蔵の、愛の泉を、心の奥に持つ女性、こそ、真に、神様の花嫁、と言われる様な聖女であり、女性の幸せの極致、とも言えるのです。


3.女性のこの世での役割

さて、ここでは「女性の、この世での役割」について話しましょう。前の、二つのお話の中でも、女性の、この世での役割については、かなり触れたつもりです。ですが、ここは敢えて、この地上に居る、心ある女性の為に、本当の役割、生き方を、話してみたい、と思います。

女性の、この世の役割、とは何か、を知る為には、女性の特長について、考えてみる必要があります。

女性は、体力的にも、知力的にも、一般的には、男性に劣るようです。理性の面でも、やや劣る事も、否定出来ません。女性の、男性に勝(まさ)る点と言えば、感性の面、直感力、美意識、奉仕的性格、潤滑油的な面、辛抱強さ、粘り強さ、現実的配慮、金銭感覚、同情心、優しさ、といった諸点、だと思います。反面から言えば、神様は、男性だけの社会だと、ギスギスしたものに、なり易い為、女性を、この世に派遣した、とも言えます。

神様の、大切に思っておられる徳目の内で、男性の魂が、真、善、正義を体現している、とするならば、女性の魂は、愛、美、優しさ、を、体現している、と言えます。もちろん、自分に欠けている面を補うべきだ、という考えには、賛成を惜しみませんが、やはり、神様が、長所を与えて下さっている以上、その長所を、どこまでも伸ばして行くのが、考えの筋だと思います。

どうやら、小桜の、基本的な考え方が、お分かりになって来た様ですわね。やはり、私は、女性の、この世での役割も、心の問題を、主として、考えて行きたい、と思っているのです。


つまり、小桜の考えでは、女性は、この世で、次の三つの徳目、を、最大限に発揮すべきである、という役割を担っているのです。

一、女性は、神様が、この世を潤す為に派遣された〈愛の使者〉であり、一人ひとりが、〈愛の泉〉として、この干からびた地上を、旅行く人々を、潤(うるお)さなければならない。

二、女性は、神様が、この世を装飾する為に派遣された〈美の使者〉であり、この地上を、少しでも、美しい環境に変えて行く為の〈美の体現者〉と、ならねばならない。

三、女性は、神様が、この地上を旅行く人々の、魂を憩わせる為に派遣された〈優しき天使〉であり、人々の心の傷を癒す〈看護婦〉で、なければならない。


以上に、簡単に述べました様に、私は、女性は、どの様な環境、地位、職業にあろうとも〈愛の泉〉であり〈美の使者〉であり〈優しき天使〉である必要がある、と思います。

ここまで、お読みになって、もう、お気付きか、とは思いますが、愛と美と優しさは、この地上を、天国、ユートピアとする為の、ソフトな面での役割だ、という事なのです。

これに対し、男性の方々が、地上をユートピアにする為に、神理を広め、悪と闘い、神の国の地ならし、建築、というハードな(面での)役割を担っているのです。

結論めいて言えば、結局、女性の、この世での役割も、ユートピア建設の、一端を担う事であり、その為に、女性らしさ、女性にとって、もっともっと武器になるもの、を手にとって、戦う、という事なのです。

〈愛〉と〈美〉と〈優しさ〉の天使、それが、天職としての、女性の役割なのです。

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