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霊界通信2の3、思いの力と魂の兄弟、小桜姫のメッセージ

2020年09月24日 | 情報
小桜姫のメッセージ、如何でしょうか。内容からも分かる様に、これは小桜姫個人のものというより、日本の神霊界から伝えようとされているものだという事で、こうした霊界の情報は、地上で、一般の人々が知ることは、今の時代までなかった事です。それは、その事を事実として受け入れることが出来る、ある程度の数の人々が、地上に居るからこそ出来る事でしょう。今回も続けます。例によって、カッコ内は補注です。編集してあります。

(ここから)

ここまでは、主として地獄の事について話して参りました。そこで、地獄からの脱出ともからんで、「霊にとっての悟りとは何か」という事を中心に、お話ししてみたいと思います。

あなた方、人間界の人々は、ともすれば、毎日が苦し過ぎる事の連続か、楽し過ぎる事の連続かで、じっくり落ち着いて、神様の事を、また、自分が、なぜ生きているのか、を、よく考えようとしません。

人間の、本当の生命の九〇パーセントが、こちらの霊界で過ごされる、のであって、地上界の生活は、人間にとって、(束の間の)夢の様な日々、にしか過ぎないのです。

(地上の)琵琶湖の風景が、いくら美しく、いくら太陽の光が、キラキラと波間に輝いていても、いくら白砂青松が目に沁みても、私達の世界にある、竜宮界の美しさには、かないません。

竜宮界にある、湖の美しさは、喩え様もありません。金色の波が打ち寄せる浜辺は、まさしく、奇跡に近い美しさです。浜辺の砂も、一個一個が、様々な色に輝く宝石なのです。その浜辺に、これも、また、美しくも気高い天人達が、腰をかけて話をしたり、手に手をとって散歩したりしています。

湖には、魚もおりますが、彼らの一匹一匹が、人間の言葉を解します。彼らは、口をあけて言葉を発する訳ではありませんが、いわゆるテレパシーによって、人間にも語りかけます。彼らは、時折、波打ち際まで泳ぎ寄って、天人達に、水の中の素晴らしさを賛美するのです。

天人達も天人達で、もし湖の中を探検したくば、それこそ、浦島太郎そのもので、亀なり、大きな魚なりに跨って、水の中を楽しむ事も出来るのです。勿論、霊ですから、溺れて死ぬ事もありません。

あの、浦島太郎伝説も、この竜宮界での話です。今から、二千年近くも前の事、日本に生まれた或る霊能者が、幽体離脱の形でこの竜宮界に来て、様々な事を経験したのです。彼は、人間界に舞い戻って、その時の様子を、こと細かに人々に話したのですが、人々には、それが霊界の話であると理解する事が出来ず、さりとて、あまりにも、話の内容が細々(こまごま)として、辻棲(つじつま)が合っているので、一概に否定するわけにもいかず、結局あの様な、人間界と竜宮界が一緒になった様な話と、なってしまったのです。

ここで、竜宮界について、簡単に説明しておきましょう。

日本の神々の世界にも、陰の世界と陽の世界があります。言葉を換えれば、静の世界と動の世界、と言ってもよいと思います。

人間は、死んで、地獄に堕ちない者は、いわゆる幽界とか精霊界と呼ばれる、四次元世界に入って行きます。そこで、さらに心の修行を積んだ者が、一段高い、五次元霊界という、善良な人々の世界に入って行きます。人間霊として満足出来る人々は、ここまでしか来ませんが、宗教的な魂というか、神様の方向へ向けて、努力・精進を続ける魂は、六次元神界に入って行きます。

この、六次元世界に、陰と陽、静と動の世界、があります。陽、或いは、動の世界の住人は、いわば六次元の表側に住み、各界層の霊人達の向上と、地上界の発展の為に尽くしています。陰、或いは、静の世界は、どちらかというと、自分達の住んでいる完結した世界、に、満足した神霊が、集まって来ています。

そこで「静」を代表するのが、いわゆる「山」と「海」ですので、ここでは、山岳に関係ある方々や、川や海などの水に関係する霊達が多いのが特徴といえます。山岳に関係する霊達が「仙人界」や「天狗界」と呼ばれている世界です。一方、水に関係している霊達が「竜宮界」を造っています。

しかし、これら、静的世界の中にも、元気者達が居て、「仙人界」や「竜宮界」の両方で仕事をしながら、地上界へ影響を与えている者が居ります。これが「竜神」といわれる神霊です。「竜神」と呼ばれる神霊は、知識的に神様の世界を説いたりするのは苦手ですが、その霊的なパワーが非常に強いので、地上、及び、霊界の修行者達を守ったり、地上界の天候を司(つかさど)ったり、様々な奇跡を起こしたりしています。

中には、随分、いたずら者もいて、自分の霊力を試す為に、地上に風水害を起こしてみたり、季節外れのドカ雪を降らせて、力自慢して、生きている人々に迷惑をかけている者もおりますが、大抵の場合は、彼らは善良で、上級神霊達が計画した、地球の歴史の中で必要な、気候の変化などを司っています。


ここまでの話を読まれて、小桜も、この静的世界に入っている霊の一人、だと、お思いになったかも知れません。なるほど、確かに、竜宮界には知り合いも多いし、私の指導をして下さる竜神のお爺さんもいらっしゃるので、こちらの世界に心魅かれる事も多いのですが、小桜としては、現世の人々を救う、いわば、動的な世界にも興味があり、どっちつかず、といった所です。

一つには、以前に、浅野和三郎さんらのお力で「小桜姫物語」を出して頂いたご縁で、浅野さんら、とも、こちらの世界で親交がありまして、浅野さんらが、しきりに、人助けの大切さ、霊的知識の普及の大切さ、を、小桜に教えて下さるので、小桜も、非力ながら何とか頑張らねば、と思うことも多いのです。また、浅野さんの奥様、この方は、多慶子夫人といって、生前、縁あって、小桜が守護霊をさせて頂いて居りましたが、この方も、いま、小桜の近くに居られて、「小桜姫、一緒に頑張りましょうね。」と言われるので、小桜も、浅知恵ながら、どうにかしなくては、と思っているのです。

でも、小桜の心の一方には、竜宮界の甘美な美しさに心魅かれる面があって、ああ、この世界に入って神様の仲間入りさえすれば、小桜には、永遠の平和と幸福が約束されるのだ、と思ったりするのです。

あなた方、地上界の方々から見れば、滑稽(こっけい)な事かも知れませんが、私達の世界にも、こういった、言わば、進路選択の迷い、みたいなものは多いのです。でも、こちらの世界に来て、永くなると、だんだんに、地上界の人々に、霊界通信をしよう、とか、地上界を改良しようか、という人々は少なくなって、よっぽどの、おせっかいか、よほど使命感の強い人々に限られております。

小桜姫も、人扶(だす)けを、幾らか、やらさせて頂いた功績で、光の天使の末席を穢(けが)させて頂いておりますが、それにしても、こちらの霊の世界に来て、地上界の人々に通信を送る様な仕事は、友達の霊達に聴いても、百人が九十九人、止(や)めておいた方がよい、と言います。

と言うのも、彼らにとっては、地上界は、もう遠い昔の事でもあるし、地上界には地上界の考えなり生き方があるのだから、それを、敢えて私達がちょっかいを出さなくても良いのではないか。また、ちょっかいを出しても報われる事は皆無に近く、その間の時間、私達の魂の進歩には少しも貢献しない、と言うのが彼らの意見なのです。

確かに、地上界には、私達の意見に耳を傾ける者は少なく、通信を送っても、送られた者自身が困惑したり、或いは、世間から気狂い扱いされ、私達にとっても、大変悲しい結果になることが多いのです。

直接に通信を送れ、しかも、私達の事をあれこれ詮索されず、私達の意見に率直に耳を傾けて下さる方が居る、という事は、とても私達にとっては幸運だったと思います。それでも、小桜の通信の内容が不十分な為に、今後ご迷惑をお掛けするのではないかと思うと、小桜は、そちらの世界の言葉を使わせて頂くとするなら「夜も眠れない」様な状況です。まして、日蓮様、空海様の様な高僧を初めとし、天照大神様、天之御中主之神様などが、既にご降臨しておられ、いまさら、小桜如きが、と言う自嘲的な面もあって、小桜の小さな胸は潰れそうです。

(中略)

けれども、浅野さん方が、私共とご神縁のあった方なのだから、私の通信も出して下さるから頑張れ、とおっしゃるので、小桜も、ありったけの力を振り絞っております。どうにか、ご迷惑を掛けない様な内容を、お伝えしなくては。

ああ、ついつい、おしゃべりが長くなってしまいました。小桜が話そうとしていた事は、『霊にとっての悟りとは何か』という事でしたね。あと少し、話したいと思います。

さて、私は、先ほど来「悟り」という言葉を使っていますが、この言葉は、別の言葉で言えば、「段階的使命感」と言うことも出来ると思います。つまり「悟り」というものは、結局、霊としての人間が、本来の自分、本来あるべき姿の自分に気付き、それを立脚点として、自分の為すべき事を決意する事だからです。

つまり、如来様は如来様としての、ご自分の神性を開顕され、その神性に基づいた使命の遂行を決意される事が「悟り」でありましょうし、或いは、地獄霊でありましたなら、悪を捨て善を選ぼうと決意する事が「悟り」でもあるし、「霊界人」であるなら、神のご計画の一端を担おう、と決意した所に、「神界」入りする為の、悟りがあると言えましょう。この様に「悟り」も、通り一遍のものではなく、その人その人の進歩に応じた悟りが、あるわけです。

ですから、小桜姫には小桜姫の悟りがあります。つまり、地上に居られる方々に、神霊界の様相を伝えようと決意した時に、小桜は小桜なりに、一つの悟りを得た訳です。

ここからは、「念の力」という事に関して、お話ししたいと思います。地上界では「念」と言っても、「超念力」とか、いわゆる異常な力の事を、主として意味しておりますが、こちらの世界では、そうではありません。

「念」とは、今様に言うなら、方向性を持ったエネルギー波動、と呼ぶ事も可能ですが、こちらの世界、つまり、物質のない私達の世界では、「念(おも)うこと」は、即ち「行なうこと」なのです。つまり「念の力」と言うのは、あなたの世界では「行動力」と言っているのと同じなのです。善い念を持つ事は、善い行ないをする事と、全く同価値なのです。

なぜだか、お分かりですか。それは、私達の世界では、念(おも)った事は、すぐさま現象化する、から、なのです。ここが、地上界との最大の差です。地上界では、心で念っても、様々な外部的要因や他人の思惑が入って、実現しない事が多いのです。

けれども、こちらの世界では、一〇〇パーセント自己実現が可能、言い換えれば、環境は心の影、即ち、三界(さんがい)は唯心(ゆいしん)の所現(しょげん)という言葉そのものなのです。思った通りになる世界なのです。これが霊的な世界なのです。

他の宗教家達も、光明思想などを説いている中に「運命は、その人の心のままである」という事を言っている人が居ると思いますが、これは、実在界においては、まさしくその通りです。ただ、現象界では、その念った事が実現するまでに、様々のフィルターを通す為に、異なった結果が現われる事もあるのです。

実在界では、その人の心のままの世界が現われる、と言うのは、地獄でも天国でも同じです。

地獄界では、女を抱きたいと思えば、いつでも女を抱く事が出来るし、人を殺したいと思えば、いつでも殺せる(ただし、その人にとっては、その様に思えるだけなのですが)、また、戦争をやりたいと思えば、いつの間にやら戦場に駆り出されている、といった現象が、眼前に展開されます。

一方、天上界に於いても、或る人に会いたい、と念えば、すぐ、その人に会えるし、美しい草花を見たい、と念えば、すぐ眼前にお花畑が広がっている、といった具合です。

より厳密に言うなら、その次元にある物、居る人なら、「念の力」によって呼び寄せられない物は何もないのです。ただし、次元を超えた場合に、多少の例外が出るのです。例えば、小桜姫が日蓮聖人にお会いしたい、と願っても、すぐさま日蓮聖人が来て下さる訳ではありません。

日蓮聖人様は、小桜の許に、最近、三回、足をお運びになられましたが、その何れの時も、ご活動に関して、小桜にご相談があられた時だけです。例えば、この度の、小桜よりの自動書記についても、他の霊言シリーズが、かなり好評ではあるが、内容の程度が少々高過ぎるので、一般の方々にも、より分かり易い霊界通信も、一集、出したい、と、ご相談を受けたのです。

もとより、それは、小桜では任に耐えない様な大役ではありますが、日蓮聖人の様な方が、霊界の凡百の人々の生活様式だの、地獄霊の日々の過ごし方など、霊言で語るのも、後世の人々に申し訳ないし、神霊世界の日常茶飯事については、この小桜が、報告をお引き受けする事にしたのです。

そういう事で、話は、ずれましたが、小桜が日蓮聖人に会いたいと念(おも)っても、向う様にその気がなければ、会えないのです。だからこそ、念の力を超えた、祈りの力が必要なのです。

高級神霊との交流は、祈りの力によってのみ、行なう事が可能なのです。単に「念う」だけでは駄目なのです。

また、地獄界についても、そうです。私の守護・指導霊達の許可を得れば、地獄界を自由に見聞する事も出来ますが、平常のままでは出来ません。これは、病院や監獄などを見学するのに許可が要(い)るのに似ています。

これに比べて、前者の、高級霊に会おうと念っても、なかなか会えないのは、有名人に、なかなか、会えないのと同じです。他にも重要な仕事があって忙しいからです。高級神霊に対する、私達の祈りも同様です。

以上に、念は行為であり、同一次元の世界においては、自由自在である事を述べましたが、この自由自在という事の中には、創造の自由も含まれている事を、忘れてはなりません。具体的に申し上げると、粘土を用いて色々な物を造り上げるのと同じなのです。上手下手があるでしょう。

同じ様に、念の力のコントロールの仕方を学ぶ、という事が、霊界における、最大の学習、学問の対象となっているのです。思い通りになる念ならば、それを、どの様な正しい目的に向け、どの様な実現を図るか、という事が、霊人にとっての最大の課題なのです。

例えば、自分の衣装を、思い通りの色彩、デザインに変えるのを得意とする霊人もいますが、自分の衣装には無頓着な霊もいて、そういう霊人は、自分の衣服を思い通りの色彩に染めるのは、上手ではないのです。また、ある霊人は、音楽を創作するのは得意なのですが、念の力で住居を造るのは得意ではありません。また、ある霊人は、霊界ニュースを発行する為に、自己の念力を最大限に発揮して、霊界の隅から隅までの情報を収集する力を得ておりますが、この霊人は、ゲームや勝負事は、からっきし駄目です。

他方、互いに念力を使いあって賭博に専念している霊人もいます。

つまり、ありとあらゆる方向に、念の力は利用出来るのですが、その霊人が、どういった方向に念力を伸ばして行くかが、その霊人の学習でもあり、また、その霊人の、私達の世界での、今後の進路を決めるもの、でもあるのです。こういった点、全くこの地上界と同じだなあ、と思われた事と思います。

念の力においても、個性と目的性が大切だという事です。


2.天上界の構成と魂の兄弟

さて、この通信も、だんだんと佳境に入って来た様です。この小桜姫の通信も、やがて公表される事を前提にしていますので、内容は、小桜のおしゃべりであっても、全体の骨組み、そのものは、小桜が考えているのではなくて、他の、上級霊の方々がお考えになって、私をご指導下さっている通りにしているのです。

ところで、ここからは、「天上界の構成と魂の兄弟」という事を演題にして、おしゃべりをしてみたいと思います。

魂の兄弟があるという事は、様々な霊人の方々から、お聞きになっていると思いますが、なかなか、その考えには、馴染めないでいらっしゃる様に思います。

確かに、この考え方は難しいので、霊人達の中にも、よく知らない人々が多いのです。

この、魂の兄弟については、そもそも、どの様にして魂達が出来たのか、という事から、お話ししなければならない、と思います。

いま、地球系霊団には、一体、何人位の霊達が居るとお思いでしょうか。勿論、人間としての霊に限ります。

こちらの世界にも、総理府の統計局の様な、お役所があって、時々、霊人ロ調査をやっていますので、必要があれば問い合わせれば、すぐ教えてくれます。正解は、約五百二十億人(当時)です。地上に生まれている人が、四十~五十億人位の様ですから、その十倍ちょっと、と言った位でしょうか。

この五百二十億人を分類すると、約三十億人が、現在、地獄で苦しんでいます。約六パーセント位ですね。次に、地獄を除いた、幽界の人口は、約百五十億人位です。約二十九パーセントです。この両者を合わせると、四次元の人口は、約百八十億人、三十五パーセント位になります。

次に、五次元の霊界ですが、ここの人口が、最も多く、約二百六十億人おります。ちょうど五十パーセントですね。ですから、四次元と五次元だけで、約四百四十億人、八十五パーセントの人々が居る訳です。

この次が、六次元神界です。この六次元神界でも上段界の、諸天善神とも言われる、光の天使達の人口は、約二億人で、他の七十数億人が、高級霊と呼ばれる方々です。ですから八十億人近い方々が、この六次元に居られる訳で、その比率は、十五パーセント弱です。

ですから、霊団の構成自体を見れば、約六人に一人が高級霊、という事になります。ただし、これは霊天上界の話であって、地上界の人々の、六人に一人が高級霊、という訳ではありません。幽界の人々の方が、地上に生まれ代って来る回数は多い為、実際に、六次元以上の高級霊は、百人に一人位という事になります。ですから、日本の様に、約一億人の人口が居れば、この内、百万人位の方々が、六次元以上の高級霊で、こういった人々が、日本の国の、政治、経済、学問、科学技術、宗教などの各分野で、活躍している事になります。

さて、七次元の菩薩界になりますと、数はぐっと減って来ます。菩薩の数は、約二万人と言われています。この内、約千人が、常時交代で地上に降りて、各国の各分野で、時代を進化させる為に活躍している、と言われています。現在、日本にも、数十名からの菩薩達が、生まれています。彼らの内の大部分は、経営者であったり、学者であったり、医者であったり、高級官僚であったり、芸術家や文学者であったりしますが、やはり、数で言うと、新しき時代の宗教家たるべく生まれている人達が多い様です。

七次元と八次元の間には、梵天界(ぼんてんかい)と言う所があって、ここでは、如来の卵達が修行に励んでいます。この梵天、バフラマンの数は、約七十名と言われています。天台智覬(ちぎ)様、大国主之命(みこと)様、キリスト教系では、ペテロ様、マタイ様、などが、ここに居られます。

八次元になると、数は、更に少なくなって来ます。約五百名弱と言われる、如来様方が居られる所です。残念ながら、女性の如来様は一人も居りません。全て男性です。どんな方が居られるかは、私が述べる事ではなくて、他の高級霊の方々が、おっしゃる事でしょう。

九次元にいらっしゃるのは、私が日蓮様に教えて頂いた限りでは、約十名位だとの事です。イエス様や、モーゼ様、お釈迦様、エル・ランテイ様、孔子様、マヌ様、ゼウス様、等々、錚々たる人々が居られる様です。この九次元と八次元の境が、七大天使様らのいらっしゃる所だそうです。

こういった高次元の世界については、また別の方にお聴きになれば良いと思いますが、ここで小桜が言っておきたい事は、我が地球霊団には、構成比にして、約六分の一の高級霊が居る、という事なのです。ここまで言えば、もうお気付きになられたと思います。

つまり、一般に、魂の兄弟と言われて、本体と五人の分身、という事が言われていますが、正確に言うと、一人の高級霊を頭として他の五人の霊が一組を作っている、という事なのです。つまり、六次元神界にあたる高級霊が、霊格が高いので本体と呼ばれ、その他の霊と一組となっているのです。ですから、五人の霊人の内、一人が、地上生活を送る場合、この本体が守護神を務め、他の分身の一人が、守護霊を務めるのです。これが、通常の、霊の組織単位なのです。

しかし、この本体分身の理論は、七次元菩薩界以上の方々には、通用しないようです。彼らは、神様に近い高級神霊ですから、自由自在に、応身(おうしん)・分身を創り出してしまうので、その数が、特定出来なくなるのです。

ですから、例外のない規則はない、と言いますが、本体・分身の理論も、結局、普通の霊達の場合なのです。責任者を一人置いて、何人かの転生輪廻の面倒を見させた方が便利だ、と、神様がお考えになったのです。まあ、本体というのが課長さんで、分身が課員、という所でしょうか。勿論、いずれの霊も、創造の初めより縁があった、と言えなくはないですが、魂の創造については難しいので、また、別の機会を持ちたいと思います。

(中略)

さてさて、あなたのお時間を頂戴致すのは、小桜にとっても心苦しい事でございますが、この小桜にとって、今なせる事は、と言えば、あなたのお時間を頂戴して、地上の人々に訴え掛けるだけです。

(中略)

さて、では、ここからのテーマは「知力と霊の進化」という事で、お話ししたいと思います。

まず、根本的な問題として、知力は、霊の進化に役立つか、という問題があると思います。答えはイエスです。

霊としての人間が、永遠の転生輪廻を繰り返している理由は、時代環境に応じた、経験と知識を獲得する為なのです。

では、なぜ様々な経験と知識を得る必要があるのでしょうか。それは、結局、人間が、自分自身を知り、他人を知り、それらの事を通して、神ご自身の事を知る為なのです。神ご自身から分かたれて、人間霊となった理由を、知る為なのです。

神様は、言わば、難しい言葉を使わせて頂くならば、帰納法(きのうほう)と申しますか、個別、具体的な経験、知識を通して、人間に神様の事を学習させようとしておられる、のだと思います。でも、何でまた、そんな、廻りくどい、無駄な事を、と、あなたは、おっしゃるかも知れません。

でも、考えてもご覧なさい。学校の先生は、生徒に教えるという事を通じて、自分も、色々な事を勉強出来るんじゃないですか。

女性は、妻となり母となる事によって、子供を育てるという事を通じて、人間としても、大きく成長して行くのではないですか。

男性にしても、父親としての、子供を養育する経験が、人間的な完成へと、その人を導くものではないのですか。

私が思いますのに、神様と言われる方は、完全無欠な方でいらっしゃると同時に、絶えず向上と発展を希(ねが)われている方、ではないでしょうか。つまり、先生は、先生として完璧であるとしても、子弟の教育をする、という経験を通して、自らも向上しようとする快い向上心が、そこにある様に思うのです。

ですから、小桜の話は、あまり筋道立ってはいませんが、とにかく「知る」という事は、大切な事だという事です。時には間違った知識や偏った知識によって、心を歪める事もありますが、でも、たといそういったものであっても、永い転生輪廻の過程を通してみれば、必ず、どこかで役に立っているのです。


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