中学生のとき、初めてギターをもち、教則本を見ながら初めて弾いたのが『マイ・シャローナ』のリフだった。ごくごく単純な二つの音を、弦をビビらせながら、そして弦に当たる指先の痛みを堪えながら弾いた『マイ・シャローナ』。ギターってもっと難しいものだと思っていたのに、初心者も初心者、そんな自分でもとりあえず同じ音が出たのがすごくうれしかった。リフのあとのCからB♭のコード弾きはとてもとても無理だったけど、それでもあのリフを自分でも出せる、それだけで十分満足だった。なんといっても弾けたのはあの名曲『マイ・シャローナ』だったのだから。
ダグ・ファイガーが亡くなった。肺ガンと脳腫瘍を患い、6年間の闘病生活の末に逝ってしまった。闘病のことはずいぶん前から知っていたけれど、なぜかダグが亡くなることは想像さえできなかった。ダグ本人の音楽にかける強い意志と、これからもずっと彼の歌を聴かせてほしいという自分の気持ち。医師の所見ではもっと早い時期に最期を迎えていたかもしれないダグだったけれど、彼は不屈の精神で音楽とともに命を延ばしてきた。
ダグがギタリストのバートン・アヴェールとともに、たった15分で作ったという『マイ・シャローナ』。この曲はザ・ナックをスターダムにのしあげたが、しかしそれと同時にその後のバンドの足枷ともなったのかもしれない。あまりに強烈なインパクトを与えた名曲であるがゆえに、バンドは「一発屋」のレッテルを貼られてしまい、いまだに「ザ・ナック=マイ・シャローナだけのバンド」と思われている。実はその後の『グッド・ガールズ・ドントGood Girls Don't』も『ベイビー・トークス・ダーティーBaby Talks Dirty』もヒットしているうえに、セカンド・アルバムもゴールド・ディスクを獲得している事実はあまり語られない。そのパブリック・イメージをダグはどう考えていただろうか?
ただ、バンドが『マイ・シャローナ』が独り歩きするなかでも自分たちのペースを崩すことなく活動を続けてきたのは、そんなパブリック・イメージとうまく折り合いをつけてきたダグの姿勢の表れなのだろう。外野の声に惑わされることなく、自分がやりたい音楽をやること。それがダグの純粋な音楽観だったと思うし、それがゆえに『マイ・シャローナ』はバンドを縛り付けるものにはならなかった。この曲をライヴで歌うとき、ダグの歌声はデビュー時と変わらずいつも瑞々しかったのだ。
ザ・ナックはけして『マイ・シャローナ』だけのバンドではないが、彼がポップ・ミュージックに遺したものは『マイ・シャローナ』に凝縮されている。シャープなビート、覚えやすいメロディ、シンプルで明解なメッセージ、そして強烈なインパクトを残すこの曲が体現するものこそがポップ・ミュージックの真髄だ。
ザ・ナックが「一発屋」と位置づけられているかぎり、ダグが遺した功績はこれからも過小評価されてしまうのだろうけれども、でももっともっと評価が高められるべきバンドがザ・ナックであり、ダグ・ファイガーというミュージシャンなのだ。
享年57歳。いままでありがとう、ダグ・・・。
ダグ・ファイガーが亡くなった。肺ガンと脳腫瘍を患い、6年間の闘病生活の末に逝ってしまった。闘病のことはずいぶん前から知っていたけれど、なぜかダグが亡くなることは想像さえできなかった。ダグ本人の音楽にかける強い意志と、これからもずっと彼の歌を聴かせてほしいという自分の気持ち。医師の所見ではもっと早い時期に最期を迎えていたかもしれないダグだったけれど、彼は不屈の精神で音楽とともに命を延ばしてきた。
ダグがギタリストのバートン・アヴェールとともに、たった15分で作ったという『マイ・シャローナ』。この曲はザ・ナックをスターダムにのしあげたが、しかしそれと同時にその後のバンドの足枷ともなったのかもしれない。あまりに強烈なインパクトを与えた名曲であるがゆえに、バンドは「一発屋」のレッテルを貼られてしまい、いまだに「ザ・ナック=マイ・シャローナだけのバンド」と思われている。実はその後の『グッド・ガールズ・ドントGood Girls Don't』も『ベイビー・トークス・ダーティーBaby Talks Dirty』もヒットしているうえに、セカンド・アルバムもゴールド・ディスクを獲得している事実はあまり語られない。そのパブリック・イメージをダグはどう考えていただろうか?
ただ、バンドが『マイ・シャローナ』が独り歩きするなかでも自分たちのペースを崩すことなく活動を続けてきたのは、そんなパブリック・イメージとうまく折り合いをつけてきたダグの姿勢の表れなのだろう。外野の声に惑わされることなく、自分がやりたい音楽をやること。それがダグの純粋な音楽観だったと思うし、それがゆえに『マイ・シャローナ』はバンドを縛り付けるものにはならなかった。この曲をライヴで歌うとき、ダグの歌声はデビュー時と変わらずいつも瑞々しかったのだ。
ザ・ナックはけして『マイ・シャローナ』だけのバンドではないが、彼がポップ・ミュージックに遺したものは『マイ・シャローナ』に凝縮されている。シャープなビート、覚えやすいメロディ、シンプルで明解なメッセージ、そして強烈なインパクトを残すこの曲が体現するものこそがポップ・ミュージックの真髄だ。
ザ・ナックが「一発屋」と位置づけられているかぎり、ダグが遺した功績はこれからも過小評価されてしまうのだろうけれども、でももっともっと評価が高められるべきバンドがザ・ナックであり、ダグ・ファイガーというミュージシャンなのだ。
享年57歳。いままでありがとう、ダグ・・・。