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ヒューマン・リーグ来日

2011-09-25 18:18:31 | Weblog
 ヒューマン・リーグがいつの間にやら再結成してたそうで。復活作『Credo』を聴いてみると、これがまた昔の作風のまんま。ただ、キャッチーでポップな気配は後退し、女声ヴォーカルは相変わらず素人丸出し。メロディは単調に繰り返されるだけで展開に乏しく、また実験性も見られない。初期に特に顕著だったフィル・オーキーの才気もすっかり遠い過去のものとなり、いまあらためてヒューマン・リーグを復活させるオーキーの意図はまるで不透明。いったいフィル・オーキーになにがあったのか?

 『Credo』の内ジャケを見て驚いた。そこにはフロントマンである3人、オーキーとコーラス女子の写真がある。両脇にいる女子2人の顔は、やはり年月の流れを感じさせはするものの、あのお顔だ。しかし、この真ん中にいる男の顔は見たことがない。一瞬、スマッシング・パンプキンズで歌っている人? いや、ピクシーズで歌っている人? と見えてしまう、この頭ツルツルの男こそがなんとフィル・オーキーその人だったのだ。
 あの長髪サラサラのオーキーはいなくなっていた。このスキンヘッドのゴツい男は、ビールとフィッシュ&チップスを抱えながらフットボールを楽しんでいるイギリスの普通の中年オヤジだ。いや、彼もイギリス人で、フットボールを観るときにはそういう風になってしまうのだろうけれど、しかし写真で見るかぎり、カリスマ性とかスター性とかはすっかりなくなっていて、どこにでもいる一人のフットボール・ファンにしか見えない。以前はどこか危うさを含んだ、気配に近寄り難さがあったオーキーだが、いまは別の危うさ(フーリガン的な)を孕む男になってしまった。

 たとえばツルツル・オーキーが『ファッシネーション』なんて歌ってるのを見たとしたらどうなのだろうか。めちゃくちゃ長いワンレングスを避けながらマイクに向かっていたころのあの姿を思い浮かべると、いまのツルツル・オーキーはただのモノマネにしか見えないのではないか。しかも昔のオーキーは化粧までしていた。バッチリ決まったメイクというより、ちょっと崩したメイクがまたサマになっていた。いまのオーキーも化粧をするのだろうか? スキンヘッドのままあのメイクをするとなると、ただの変態に成り下がってしまう可能性も少なくない。いっそのこと白塗りにしてしまった方がいいのかもしれないが、しかしそれだとヒューマン・リーグではなくクラシックス・ヌーヴォーみたいになってしまいそうだ。

 そんなヒューマン・リーグが来日するらしい。会場がクラブやライヴハウスであるならイメージどおりだが、ビルボードである。テーブル席で飲食しながら観るヒューマン・リーグというのも隔世の感がある。過去のヒット曲連発のステージにするとコーラス女子が明言しているので、80'sの雰囲気プンプンの楽しいライヴになるだろうが、でも歌うのはツルツル頭にガッチリした身体のフーリガン男である。ミスマッチだらけなライヴはどんなものになるのか……。

 こうイメージと違う様相のライヴとなると、どうにもこうにも気になって仕方がなくなってくる。結果、ビルボードに行くことにした。『レバノン』や『ヒューマン』は2011年のいま、どう響くのか? ツルツル頭のオヤジに『Don't You Want Me』と言われるのは普通なら勘弁してほしいところだが、今回ばかりは好奇心が勝る。この好奇心がいい意味でのカルチャーショックにならんことを。
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グレアム・パーカー&ザ・ルーモア再び

2011-09-15 21:01:17 | Weblog
 いまからずいぶんと前の話し、グレアム・パーカーとウィルコ・ジョンソンのジョイント・ライヴがあった。いまはなき新宿のリキッドルームでの競演だ。
 このときのウィルコはすごかった。その目つき、エキセントリックな動き、ギター・カッティングの鋭さ、演奏の躍動感が、トリオ・バンドによってガンガンと観客に突き刺さってくる。お馴染みのマシンガン・ギターも迫力満点で、とにかくバンドのあのパフォーマンスには度肝を抜かれた。その記憶は強烈に焼き付いている。

 かたや、このときのパーカーにはひどくガッカリした記憶が強く残っている。ウィルコの前に出てきたパーカーはバンドなしのギター弾き語り。声の調子はまあまあだったが、見た目の迫力がまったくない。グレアム・パーカーといえばやはりあの迫力ある存在感だ。あの、いわゆる強い気がただようような硬派な存在感がなければなんとも物足りなさばかりを感じてしまう。見たかったのはこんな迫力のないパーカーではない。そんなライヴを見ていて腹立たしさばかりを感じ、途中でトイレに行ってしまったような記憶もある。

 実はこの日、観たかったのはウィルコ・ジョンソンではなく、グレアム・パーカーだった。過去2回の来日公演を観ることができなかった分、待ち焦がれていたパーカー。バンドで来なかったことを残念に思っていたが、でもギター一本でもすごいライヴを見せてくれるはず、その強烈なキャラクターを存分に見せつけてくれるはずと思っていたのがとんだ肩透かしだった。
 もちろんこれは個人的主観に過ぎない。このときのライヴを絶賛する人にはまだ会ったことはないけれど、まったくニュートラルな視点でこのライヴを観ていたならばまた違う印象だったのかもしれない。たとえばウィルコ目当てでたまたまパーカーを観た人はどう感じたのだろうか…?

 このときのパーカーにガッカリして以来、それ以降に出たアルバムはまったく聴いてこなかった。あのときと同じ、日本でのギター一本でのライヴを収めたライヴ・アルバムもいまだに聴いていない。このライヴのあと、自分のなかで、グレアム・パーカーはあくまでもルーモアと活動していたときにのみ輝いていた人物という印象になってしまった。

 で、そんなグレアム・パーカーがいま、なんとルーモアとアルバムを作っているらしい。この組み合わせ、なんとも久しぶりの共演である。なんでもルーモアはオリジナル・メンバー全員が集まっているとのことで、いやがおうにも期待は高まる。
 パーカーは今年で62歳だ。もちろんルーモアのメンバーも年をとっている。70年代の輝きはもう少しも残ってなんかいないかもしれない。でもなんといっても「グレアム・パーカー&ザ・ルーモア」だ。そのブランド名は自分にとっていまだ強力なのだ。

 あのライヴ以後、聴かなくなって久しいパーカーだが、今回のニュースを知って久しぶりにグレアム・パーカーという男のことを考えた。思えばあのライヴは自分の思い込みばかりで、まともに観ることができなかったような気もする。いま聴いてみるとまた違って聴こえるのかもしれないし、あのときのパーカーの佇まいもいま見ていたなら理解できるのかもしれない。今回のルーモアとの共演はもちろん聴きたいけれども、まったく聴いてこなかった彼のソロ作も聴いてみたくなってきた。
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9/5 Farmers Market @ 月見ル君想フ

2011-09-07 13:05:08 | ライヴ
 3年ぶりに観たファーマーズ・マーケット。前に観たときの衝撃はいまだ鮮明に残っている。一聴すると、すべての楽器がグッチャグッチャに入り乱れ、混沌とした空気を生んでいるようにみえる。しかしながら、よーく聴いてみると、実はひとつひとつの音が整然と並べられていて、それがバンドとしてのハチャメチャな調和を作り出しているのだ。意図的に音のカオスを作り出し、そのカオスのなかで遊びまくっているバンド、その悪趣味さはもはや呆れながら笑うしかないほどだ。
 リーダーのスティアン・カシュテンセンなどは超高速のリフをその凄まじいテクニックで弾き倒しているのに、自分の手元を見ることなしに涼しげな顔である。カシュテンセンだけではない。バンド・メンバー全員が眉ひとつ動かさずに超絶テクをバシバシ繰り出すその恐ろしさといったらなかった。バンドの技量の高さとアイディアの豊かさには平伏するばかりで、たしかこのときの自分は目をまるくしてただ唸ってばかりいたと思う。

 そんなファーマーズ・マーケットの久しぶりの来日である。今回は1メートル前にステージという至近距離で席を確保したこともあって、前よりもメンバーの指の動きをしっかりと見ることができた。演奏は、やはり、やはり凄まじかった。
 カシュテンセンを中心とした変態音楽集団は初っ端から高度な技術に裏打ちされたフリーキーな音を叩きつけ、そしてみんなヘラヘラと笑っている。カシュテンセンと、サックスのトゥリフォン・トゥリフォノフの高速ユニゾンからスタートしたステージは、いきなりやってくる転調やブレイク、劇的に変化しまくる変拍子など、あっちこっちに飛びまくる展開とめくるめくスピードでただただ振り回されるのみ。そんなバンドを目の前に、観客は呆然とするしかない。

 マイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』のリフから始まった、スティーヴィ・ワンダーの『サー・デューク』で、観客にコーラスを歌ってくれと言いながら、変拍子でやたらと歌いづらくしたり。アコーディオンを弾きながらオカリナを吹き出したかと思うと、吹いていたのは実はオカリナでなく口笛だったり。アコーディオンのソロに合わせて客が手拍子をするも、それにわざと合わせないようにすぐにリズムを変えたり。素っ頓狂な声で、高速で喋るカシュテンセンの性格の悪さ全開のパフォーマンスである。
 かと思うと、精鋭メンバーに指示を与えながら、高度な技量を必要とする自身の楽器(ギター、カヴァル、アコーディオン、スチール・ギター)の演奏も凄まじくこなすカシュテンセン。バンドを完全に掌握するリーダーシップは貫禄がただよい、余裕しゃくしゃくなまでにファーマーズ・マーケットのグチャグチャな世界を創り出す。スティアン・カシュテンセンの才能がビシビシと伝わってくるステージ、ただ身を預けることしかできないのが悔しいが、でもそれが彼らの音を楽しむということ、それしか楽しみようがないのだ。観客をコケにしながら、しかし満足させてしまうのも彼らの芸風である。

 ファーストセットは約40分、ブレイクを挟んでのセカンドセットは約1時間。怒涛の演奏に呑み込まれ、蹂躙された圧巻のライヴであった。
 カタストロフィに向かって突き進んでいるかのように聴衆を煽りながら、でも本当のところは聴衆を欺いてニヤニヤしている底意地の悪い連中、ファーマーズ・マーケット。どんなにバカにされようが、からかわれようが、おちょくられようが、このバンドは本当におもしろい。
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