まったくもって不勉強ながら、下地曉というミュージシャンの存在を知らないでいた。名前さえ聞いたことのないこの人のステージを、たまたま観光旅行で行った宮古島で観たんだけれど、ここで触れた音楽がとにかく強烈だった。歌の上手さや力強さはもちろんのこと、下地曉という人の人生の機微がそこには満ちあふれていて、それをものすごく親しみのある表現でもってやさしく語りかけてくる。親しげでありながら歌に内包されている迫力がとにかくものすごい。人間味あふれる彼の歌の力に、ただただ呆然としてしまったのだ。
場所は、土産物店とローカルフードや泡盛を食べ呑みすることができる観光客向けの屋台村。無料で観ることができるステージで、彼の歌を聴いた。屋台村の無料のステージということで、飲み食いしながらの余興の趣たっぷり。そんなところだから観客もとてもリラックスしていて、自分も特に期待するわけでなく、なんとなく見ていた。
が、これがとんでもないステージだった。下地曉はギターを弾きながら歌い、傍らには"88"荻野鉄也がハープを吹く(キーボードでプログラミング操作も)だけのシンプルな編成。しかしこれが彼の歌を中心にえもいわれぬ拡がりを見せる。その歌の説得力はおそろしくパワフルで、めちゃくちゃあたたかい。彼自身がとてもリラックスし、なんの力みもない緩やかで穏やかなステージなのに、そこにある濃密なエネルギーには震えがくるほど。歌の力をまざまざと感じさせられた瞬間だった。
でもそんなすごい歌を聴かせながらも、観客とのやり取りはとてもくだけたもの。"88"との掛け合いも可笑しく、宮古の方言なども交えながらのMCはざっくばらんだ。常に笑いの絶えないステージはひたすら楽しい雰囲気だったけれど、ただ、「なくなりつつある宮古の言葉」を語るときの彼の表情には物寂しいものが感じられた。
これはあとで知ったことだが、失われていく宮古の言葉や文化をなんとか残そうと彼は頑張っているのだそう。彼が実行委員長を務める宮古島の祭り、「クイチャーフェスティバル」(クイチャーは宮古の伝統的な踊りで、沖縄本島のカチャーシーとはまったく別もの)はそんな姿勢の表れだし、宮古の伝統歌を歌ったアルバムを出すなど、宮古の文化継承のための活動は精力的だ。東京で音楽活動をしていたときに経験したこと、故郷の宮古に帰ってきてから積極的に自己のルーツと向き合い、そこから感じた使命感。それらが彼の活動の原動力となっていて、彼の歌をことさら説得力のあるパワフルなものにしていると思うのだ。
終演後、お二人と話す時間がもてた。ものすごく気さくに丁寧に接してくださる下地さんと荻野さんからはポジティブなエネルギーがみなぎっていた。
これもあとで知ったことだが、この日はちょうど、前日に行われる予定だったクイチャーフェスティバルが、雨の影響で(会場が使用不可能になってしまったとのこと)開催延期になった直後だったらしい。そんなトラブルがあったすぐあとにも関わらず、疲れた顔も見せずに丁寧にお話ししてくださった下地さんの器の大きさにいまになって感じ入る次第。まったくもってタフな人だ。
地元の文化を愛し、使命感をもった志の高いアーティストの歌は響きが違う。宮古に対してとても強い想いがある彼の歌には、まさしくそこで歌うことの必然があり、聴く側に強いメッセージとなって響いてくる。彼が宮古のルーツ音楽を歌うということは、音楽が音楽たるべき姿でそこに在るということを意味する。彼の活動は多くの人に知られるべきだ。
下地暁さん、いままでお名前さえ知らなくてすみませんでした。これからアルバムを後追いし、宮古の音楽、文化も勉強していきたいと思います!
場所は、土産物店とローカルフードや泡盛を食べ呑みすることができる観光客向けの屋台村。無料で観ることができるステージで、彼の歌を聴いた。屋台村の無料のステージということで、飲み食いしながらの余興の趣たっぷり。そんなところだから観客もとてもリラックスしていて、自分も特に期待するわけでなく、なんとなく見ていた。
が、これがとんでもないステージだった。下地曉はギターを弾きながら歌い、傍らには"88"荻野鉄也がハープを吹く(キーボードでプログラミング操作も)だけのシンプルな編成。しかしこれが彼の歌を中心にえもいわれぬ拡がりを見せる。その歌の説得力はおそろしくパワフルで、めちゃくちゃあたたかい。彼自身がとてもリラックスし、なんの力みもない緩やかで穏やかなステージなのに、そこにある濃密なエネルギーには震えがくるほど。歌の力をまざまざと感じさせられた瞬間だった。
でもそんなすごい歌を聴かせながらも、観客とのやり取りはとてもくだけたもの。"88"との掛け合いも可笑しく、宮古の方言なども交えながらのMCはざっくばらんだ。常に笑いの絶えないステージはひたすら楽しい雰囲気だったけれど、ただ、「なくなりつつある宮古の言葉」を語るときの彼の表情には物寂しいものが感じられた。
これはあとで知ったことだが、失われていく宮古の言葉や文化をなんとか残そうと彼は頑張っているのだそう。彼が実行委員長を務める宮古島の祭り、「クイチャーフェスティバル」(クイチャーは宮古の伝統的な踊りで、沖縄本島のカチャーシーとはまったく別もの)はそんな姿勢の表れだし、宮古の伝統歌を歌ったアルバムを出すなど、宮古の文化継承のための活動は精力的だ。東京で音楽活動をしていたときに経験したこと、故郷の宮古に帰ってきてから積極的に自己のルーツと向き合い、そこから感じた使命感。それらが彼の活動の原動力となっていて、彼の歌をことさら説得力のあるパワフルなものにしていると思うのだ。
終演後、お二人と話す時間がもてた。ものすごく気さくに丁寧に接してくださる下地さんと荻野さんからはポジティブなエネルギーがみなぎっていた。
これもあとで知ったことだが、この日はちょうど、前日に行われる予定だったクイチャーフェスティバルが、雨の影響で(会場が使用不可能になってしまったとのこと)開催延期になった直後だったらしい。そんなトラブルがあったすぐあとにも関わらず、疲れた顔も見せずに丁寧にお話ししてくださった下地さんの器の大きさにいまになって感じ入る次第。まったくもってタフな人だ。
地元の文化を愛し、使命感をもった志の高いアーティストの歌は響きが違う。宮古に対してとても強い想いがある彼の歌には、まさしくそこで歌うことの必然があり、聴く側に強いメッセージとなって響いてくる。彼が宮古のルーツ音楽を歌うということは、音楽が音楽たるべき姿でそこに在るということを意味する。彼の活動は多くの人に知られるべきだ。
下地暁さん、いままでお名前さえ知らなくてすみませんでした。これからアルバムを後追いし、宮古の音楽、文化も勉強していきたいと思います!