Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記150717、’広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ’と Institutionそして今日の絵

2015-07-17 10:47:07 | 社会システム科学

朝日記150717、’広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ’と Institutionそして今日の絵

おはようございます。
台風はゆっくりの滞在で、きのうは昼夜風が吹き荒れていました。居間のテーブルのうえに、新聞の切り抜きなどを挟んでおいていますが、それがあおられて散り散りになっていました。その一部は外にも飛んだらしく、泥まみれになっていたので捨てられてしまい、ちょっと不機嫌になりました。いま日経で浅丘ルリ子さんの私の履歴書の切り抜ぬきでした。
他愛のないことです。

(Stormy, in hommage to Yamamoto Kyujin )


 

徒然こと 2 institutionとagency

institutionということばに焦点をあて 調べています。大雑把ににいいますと、(システム+文化)という概念になるようです。 この用語の翻訳が「制度化」であろうとおもいますが、われわれがおもう制度は、国などの制度や組織をおもいうかべますが、もっと広い概念です。
たとえば 英語は、institutionです。学校、難民、英国君主などもそうです。
構成要素をあげると つぎの4つです;構造structure、機能function、文化culture、容認sanctionです。

機能構造に対して、入力と出力があって、それに制約条件をつければそのままサイバネティックスの定義になってきますね。 負帰還理論(フィードバック)は目標値に対する修正操作としての制御は「容認」(つまり価値)として組み込まれます。工学での自動制御の基本的な構造です。

一番、気をひいたのは 文化が要素になっているところです。 何度に舵をとれといった機械的な指示(価値)をこえた人間に立ち至る価値(文化)を含むところです。

もういとつ 大切なところは、「機能,function」と「目的,end」とを分けていることです。 Institutionは、ある問題対象をとりあげ、いわばその機能構造を実現するメカニズム(仕掛け)を考えだしますが、これがそのまま実施されるのではなく、実施するのはinstitutionを採用した社会の実体系であります。ここでの出力が「目的;end」としています。
実体系はなにかというところで、さらに面白い思想展開がありますが、英語ではagencyという用語が登場します。
いちばんぴんとくるのは、政府機関でありますが、ここが思考のわかれどころとなりそうです。
基本構造は、institutionとagencyです。たとえば、個人、コミュニティ、公共社会で、継続安定上なんらかの不都合や矛盾などが予見され、そのため共有価値の実現上に基本的に調整・枠組み再編などの解決が必要であることを、認知し、そのための機能と手段を明示化していくということを意図する考え方と理解しました。

徒然こと 2 そもそも、・・・

話の前後が逆になりましたが、そもそも、私のスタートは、システム思考が目的;endにどのようにかかわるのかというところに興味がありました。 その構造を情報システム論での 目的関数(objectives)と制約条件(subject to)のレビューからはいります。ここでは「目的」は、Someone is ordering you on it.ということで 職業的には、棚上げしてしまいます。技術者倫理が残されますが、目的もしくは目的性ついてはそもそも哲学問題として どんどん to upper someoneに上っていきますね。
素朴には、人間知性として no-upper boundaryってなにかという素朴な設問となります。
結局、理性と自由意志という西洋近代の原点の思想を見ておくということでした。 橋爪大三郎さんの「旧約を読む」からはじまり、Thomas HobbesそしてImmanuel Kantの認識哲学で、とくに「判断力批判」へとたどります。ここでアリストテレス以来の(認識の)二元論構造であるNoumenon(思弁系;人間理性、自由)と Phenomenon(経験系;自然認識)をのぞきます。 上でのべた情報システム論のobjcetive+ subject toが思考上のモデのなかで脈々として流れていることをみます。
 社会科学もマックス・ヴェーバーを嚆矢として社会現象解釈学の域で、つまり科学としますから、Phenomenon系にとどまります。 このようなところへの知識が社会系の問題を位置付けてくれるので、それなりに意味あり、これがinstitutionにつながるということが、ようやく気がつきます。

しかし残るのは、だれが自由意志を明示するのかです。個人でも、集団でも、人間として、具体的に、その場とプロセスに関与し、取り込み、共有化して、共通価値へつくりあげていくというのは、そのまま文化(価値)の構造問題を意味していくともいえます。
 イルカやクジラの保護問題で遭遇したのは、埋め難い価値の非共有(共約不可能性)という問題認識からでした。
この問題の本質はなにかという知的枠組みの場がないと、相互の無知による偏見がどうしてものこります。
そういう文脈のなかで ふと、このInstitutitionとAgencyというを調べる気になりました。
(特に参考になったのはStanford Encyclopedia of PhilosophyのSocial Institutionの項でした)

Institutionは、’広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ’
 少し長くなりました。一番、注目するところは、対象(現象)としてシステム(institution)を実際に設定し、研究し、答えをだし、運用にもちこみ、運用するするのが、人間(agency)であるということ、これがいまの結論です。ご意見たまわれば幸いです。
徒然ことおわり

(箱根・板里の夏)

 


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