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朝日記240325  4.(その6)社会的知性としての総合知について報文XVIII (その6)

2024-03-25 10:25:12 | 自分史

朝日記240325  4.(その6)社会的知性としての総合知について報文XVIII (その6)

表紙へ返る 朝日記240325  私が2023年に書いた報文コレクト

朝日記240325  4.(その1)社会的知性としての総合知について

 

結言 

上述【提言にかえて】の項をもって結言とする。

朝日記240325  4.(その1)社会的知性としての総合知について

 

(参考)KMさんからの問いかけの応答として

脳活動としての階層

晒し(Disposition)の概念って何だろ?

晒しに対する検証(evidence and test)がつねに必要であること

その他

(参考)KMさんからの問いかけの応答として

脳活動としての階層

晒し(Disposition)の概念って何だろ?

晒しに対する検証(evidence and test)がつねに必要であること

その他

報文XVIII (その1)

ーー本文ーーーー

結言 

上述【提言にかえて】の項をもって結言とする。

 

(参考)KMさんからの問いかけの応答として

1.脳活動としての階層[1]

生存的脳(能)

 速い判断、感情的出力(好き⁻嫌い、親和⁻敵対、快楽⁻苦痛、強い⁻弱い、など)

 

社会的脳(能)

 遅い判断、知性的出力(真⁻僞、ほんと⁻うそ、正⁻誤(理解として受容⁻拒否、事態(融和的⁻敵対的、建設的-破壊的、など)

 

2.晒し(Disposition)の概念って何だろ?

 生存OSおよび都市OSのデータ蓄積体 data ground acommondation)

 

 (a) 物理的状態(物理的、化学的、情報信号的)

 (b)意識的状態 ((a)に随伴(対応)する意識状態)

 

 晒し(Disposition) ((a) 物理的状態 +(b)意識的状態)の事態(State-of-the Affairs)

6つの悪い事態 Viral Six: 貧困Poverty, 病気Disease, 失業Jobless, 無教育Education-less, 非衛生Sanityless,そして 戦争 War

 

3. 晒しに対する検証(evidence and test)がつねに必要であること

Fallible人間は、よわく、そして誤りをおこすことによる事態発生

Self-discipline default必要なときに必要な知識と手段がわからないことによる事態発生

Privacy guard-default自分の意識がはだかで晒されることへの無防備による貶め事態

Social accommodation isolation社会的参加交流に無知であることにもとづく事態

Goedel’s limits in default judge  嘘つきであるかどうかの判別がむずかしいことからの事態 

 

4.その他

巨大Disiposition について (Zombie化)

 

Singularity事態への突然変異について 平衡と分岐の非線形カオスモデル

 

~~~~

付録

2024/03/06 神出会長からの私信

 

荒井様    

嬉しいご返事、期待しています。

小生が森田先生と協同でまとめている提言案の骨子です。ご参考まで。

 

<新しい総合知の視点>

 要は専門特化では解決出来ない課題が出てきたから総合知でという 20世紀末からの問題意識で、自然、社会、人文科学に関する各種学会が 総合知的活動を進めてきた。

 25周年を迎えた我が総合知学会もその一つである。

 

 しかし21世紀も四半世紀が過ぎた現在、日本全体で反省すべき時期を 迎えているのではないか?

 総合知は核兵器廃絶に少しでも貢献したか?、 ウクライナ・ロシア戦争は止められるか?

 貧困・格差問題を解決出来るか?もっと本質は現代文明は科学技術で人間の欲望を満たす文明だが、その結果、温暖化ほかプラネタリーバウンダリーを超える 種々の課題が発生している。現在、AIで世界中大騒ぎであるが、果して人間の欲望と 技術革新を総合知は制御出来るか?

 これらに応えらない総合知はただ学問の世界の遊び事にすぎないのではないか?

 

 第二はアインシュタインンは“科学なき宗教は盲目であり、宗教なき科学は不具である”

 “科学を何に使うか、その目的を教えるのが宗教の役目である。“と主張した。

 これは科学技術の能力と限界を端的に表現している。

 総合知に科学も宗教も含めて考えて行かなければならないことを主張している。

 しかし、科学界においては宗教学、倫理学に関する学問はあるが、宗教界と科学界が

 協力してあるべき文明を構築して行こうとするスタンスはほとんどない。

 

 第三は総合知の大目標は何か?何を目標にする学問かが不明。

 福沢諭吉は”文明とは智徳の進歩”と喝破したが、80億人の智徳の進歩のための総合知は

 いかにあるべきかという視点はない。

 以上なような視点を再確認しての文明の根本課題に挑戦し行動し、成果を上げる総合知が

 求められているのではないか?

 欧米から提唱されたメタサイエンスなどが話題になっているが、ルネサンスから600年、

 欧米の科学技術観からそろそろ脱却した日本独自の総合知史観が求められている。

                             神出瑞穂

表紙へ返る 朝日記240325  私が2023年に書いた報文コレクト

 

 

[1] 神出瑞穂 総合知学会研究会資料「思想としての生存OS」2022/6/11 

朝日記240325  4.(その1)社会的知性としての総合知について報文XVIII (その1)


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