共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

遠隔操作の手法が行われる目的の共通点は以下の通りである

2008年03月17日 03時21分58秒 | Weblog
競馬の世界ではどのようにして遠隔操作が行われて、新規客のみに10万円以上の大勝ちをさせて、毎週のように馬券を買い続ける常連客へと開拓していっているのか、私なりの推測と予想を交えて書き込もう。


遠隔操作の手法のたぐいの目的は、いずれも新規客を常連客へと変えて、最終的には金づるにするためだと、目的はすべて共通している。


遠隔操作の手法が行われる目的の共通点は以下の通りである。
1,新規客を常連客へと変えたい。
2,新規客を常連客へと変えるために、偶然や幸運を装った故意の演出を多用する。
3,新規客のみにおいしい思いや大儲け(気分良くさせて脳内快感を高めさせる)をさせる。
4,偶然や幸運を装った故意の演出によって、新規客を常連客へと変えるために投じた金額より、何百倍や何千倍もの金額を常連客から回収する。


この、楽をしておいしい思いができたという脳内快感は、どんな動物にもあてはまる習性である。


とある動物がある場所で、苦労せずに楽にエサにありつけると、だまされたとは知らずに何度もその場所に集まってくる。
同じ場所で魚に撒餌(まきえ=エサをまくこと)し続けて、エサほしさに魚がたくさん集まった所で網を入れて一網打尽にする漁なんかも、遠隔操作のたぐいである。


遠隔操作は何もパチンコ屋や日本国内の話ではなく、世界中のどこでも見られる手法であり、宝くじも含めたギャンブル産業全般、プロスポーツ産業全般、金集めが目的だけのうさん臭い宗教屋でも遠隔操作のたぐいが行われているし。
客から金をだまし取るのが専門の詐欺企業や悪徳企業でも、遠隔操作のたぐいが行われている。

ホストクラブにはまって借金を増やし続けて、最終的には風俗産業で働いて返すはめになるバカ女も、初めて行ったホストクラブでおいしい思い(イケメンホストからチャホヤされる=召し使いを何人も従えた女王様気分に浸れる)をさせられた遠隔操作のたぐいである。


また株屋の世界でも遠隔操作は当たり前であり、情報操作によって大衆心理を自由にコントロールしたい、政党政治屋や官僚組織、テレビ新聞雑誌のマスコミ各社に、軍隊や警察にも、遠隔操作のたぐいが行われている。

さらには保険屋や法律屋に裁判所、はたまたはその辺の商店でも、常連客を増やそうと、新規の客だけにおいしい思いをさせて常連客に変えてやろうと、遠隔操作のたぐいが日常的に行われている。

遠隔操作は何のために行われるのか?

2008年03月17日 03時19分20秒 | Weblog
遠隔操作は何のために行われるのか?
新規の客を開拓して常連客にするために遠隔操作が行われる。


初めてその店のパチンコを打ちに来たような一見のお客さんを逃がさないために遠隔操作が行われる。


そのパチンコ屋で運悪く大負けしてしまうと、二度とそのパチンコ屋には出入りしなくなる一方で、初めて行ったパチンコ屋や、初めて打ったパチンコ台で、連チャン大当たりの嵐で運良く大勝ちしてしまうと、その客は大勝ちした時の快感記憶が脳中から消えずに、再び大勝ちしたパチンコ屋や、大勝ちした台ばかりを狙って足しげく通う習性がある。

パチンコ屋店内に張り巡らされた防犯カメラを漬かって、新規の客かどうかを品定めしてパソコンボタンプチッと押す遠隔操作によって、お座り一発怒涛の15連チャンや、10万円以上の大勝ちをさせれば、その新規客は大勝ちした快感記憶を頼って、次の日もまた次の日も同じパチンコ屋や、同じ台を打ち続けることとなる。
こうして遠隔操作によって、また一人の常連客(店にとっての金づる=カモ)が誕生することになる。


常連客になった後は、ごくたまに遠隔操作で大勝ちさせてやるだけで、カモにさせられた客は、勝った時の金額の何百倍や何千倍もの金額をパチンコ屋におさめ続けて回収させられる。


これらと同じ遠隔操作の手法が、競馬の世界にも露骨に使われ出したと、昨日のレースを見てはっきりと感じた。


パチンコ屋と同じく、初めて競馬に手を出す新規客を、毎週のように馬券を買ってくれる常連客に変えるために、競馬の世界でも昔から行われてきたはずだが、客にバレないようにこっそりとやり続けていたのだろう。

それが近年の馬券売り上げの低迷と、年々低下し続ける馬券売り上げに胴元があせりだしたのか、毎週のように露骨な遠隔操作が行われていると感じるようになった。

パチンコに続いて、ついに競馬の世界にも遠隔操作が蔓延(まんえん)してきた

2008年03月17日 03時16分13秒 | Weblog
昨日の日曜日は自分自身の心の中で、競馬予想と馬券買いの終焉(しゅうえん)を感じた一日だった。


私が始めて競馬に手を染め出したのは、就職のために東京に上京して1年ほど経った20歳過ぎのころと記憶している。


今から約25年前の話になる。


競馬を初めて始めたころは、シンボリルドルフは登場しておらずミスターシービーがデビュー直前のころだったと、不確かな記憶を頼りに思い出している。


あれから25年。


毎週の週末は競馬にどっぷり漬かった生活とも、そろそろ終わりが近づいて来たなと、昨日の東西メインレースを見て感じた。

今はもう年に1~2回程度しかやらなくなったパチンコの世界は、昔はそれこそ競馬のようにどっぷりと漬かった毎日だった。
パチンコをやめた理由は、遠隔操作の存在にはっきりと気づいた5、6年前だっただろうか?


自分は勝つために本気でパチンコ台に向かっては打ち続けて、負けては失敗した方法を反省したり、さらなるパチンコ攻略の研究に没頭したりとしていたが、そんな自分をあざ笑うかのようにパチンコ屋の奥の部屋では、ボタンをちょこっと押すだけの遠隔操作によって、打ち手の客にバレないように出球を調整している。
パチンコ屋の売り上げが減ってくると、遠隔操作がますますひどくなってくる。

葬式や告別式は、いつも悲しい顔をする必要はない

2008年03月06日 00時15分38秒 | Weblog
「死とは悲しいもの。」
「葬式ではしゃいではいけない。」

間違った古い教育を受けた人は、必ずこういう思い込みをしたがる。


死んだ人に対してなぜ葬式をするのだろうか?
死んだ人と何らかのつながりがある人が、一ヶ所に集まってなぜ告別式をするのだろうか?


葬式とはなにか?
葬式とは死んだ人に対して最後のお別れをいう場である。

だが葬式の目的とは本当にそれだけだろうか?
いいや違う、もっと大きな目的が葬式や告別式にはある。

死んだ人が本当に喜ぶのは、自分の死によって、いままで疎遠だった人達が一ヶ所に集まって、互いに再開を喜び合い親交を深めてくれることである。

葬式や告別式によって、みんなが自分の死を悲しんでくれるのもうれしいが、自分の死を通じて、疎遠だった人達の久しぶりの再開や、親交のきずなが深まってくれることの方が、さらにうれしいだろう。
自分の死も、まんざら無駄ではなかったと、死者は満足してあの世へ旅立っていける。

負のパワーを与えなければ人々は平和に暮らせる

2008年02月07日 04時53分16秒 | Weblog
複雑な構造をしている人間の体を昔の過去にさかのぼって観察すると、たった一個の細胞分裂から始まったことは誰でも知っている。

過去から未来を見ると複雑にできている。
一方で、未来から過去を見ると単純にできていなければならない。

これが真理である。

資本主義という複雑化された社会が、真理から遠ざかって、余計に世の中をおかしくしている。
社会構造を一番最初に始めるに至って、単純な仕組みでなければならない。

最初から複雑な社会構造であれば、その社会構造は間違っているということになる。

単純な社会構造から始まって、未来へと向かうにつれて複雑化していくのが、真理に基づいた正しい社会構造である。

「平和」という呪文を唱える偽善者の資本主義者達は、一方で民衆や労働者や国民に、残業、休日出勤、低賃金、貧乏、過酷な労働環境(労働奴隷化)、不必要な税金の取立て、浪費癖、規制や規則や法で縛り付ける、自由を法律で奪い取り、徴兵、
人から時間と幸せを奪うことばかりしては、
「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」といった負のパワーを与え続けて、金持ちや権力者となって負のパワーから抜け出したい、心のあこがれを化石燃料にして、資本主義社会構造を維持している。

そして
「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」といった、負のパワーを大衆や国民に与え続ける副作用として
金にまつわる詐欺犯罪に凶悪犯罪、借金苦による自殺と、資源獲得目当ての戦争、紛争、陰謀、暗殺、混乱が多発して平和な釈迦いからどんどん遠ざかっていく。

負のパワーを与えなければ人々は平和に暮らせる。

大衆や国民に負のパワーを与え続けないと維持できない社会構造。
それが資本主義社会や帝国主義社会。もしくは共産主義社会といえる。

帝国主義や資本主義にとっての動力の源はといえば

2008年02月07日 04時23分11秒 | Weblog
織田信長の戦国シリーズのPSPゲームで全国統一を目指しながら、資本主義者(帝国主義者も含む)の、「原動力となるエネルギー原はなんだろう?」といろいろと思考していたら。

見つけた答えが
「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」という、負のパワーが資本主義者(帝国主義者も含む)のエネルギーの源だと気づいた。

大衆や国民に「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」の負のパワーを与え続けることで、資本主義者(帝国主義者も含む)は増加していき、社会全体が資本主義(帝国主義も含む)化していく。


「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」の負のパワーから抜け出したければ、武力(軍事力=暴力)や資本(金=財産)の権力を行使する側の人間となれ。
そうすれば、今まで受けていた「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」から抜け出すことができる。

自動車はガソリンか軽油の化石燃料がないと走れない。(電気自動車の場合は電気か電池)
自動車にとっての動力の源は化石燃料か電力ということになる。

では、帝国主義や資本主義にとっての動力の源はといえば
「貧乏」「貧困」「苦痛」「苦しみ」「不満」「悲しみ」「恨み」「憎しみ」などの、ありとあらゆる負のパワーを民衆や国民に与え続けることである。


<帝国主義>とは、国王、皇帝、総統、将軍、天皇、大統領、首相などの国家最高権力者に、すべての権力(武力と財力)を集中させる社会構造のことをいう。
※共産主義社会においては、共産党のトップに君臨する指導者に、すべての権力(武力と財力)を集中させる社会構造である。

<資本主義>とは、国王、皇帝、総統、将軍、天皇などの国家最高権力者に、すべての権力(武力と財力)を集中させずに、宗教指導者、軍人の司令官、政治家、官僚、役人、資本家、財閥、大地主、大企業経営者、暴力団組長、マフィアのボスら、武力(暴力)と財力で成功を収めた社会のトップを形成する連中に、権力(武力と財力)を分散させる社会構造のことをいう。


かんたんに説明すれば
権力(武力と財力)を特定の人間や一族に一極集中させたのが帝国主義であり、武力(暴力)や財力(資本)を駆使して社会で成功を収めた人間や一族らに、権力(武力と財力)を分散させるのが資本主義である。

「過去というのは単純であり、未来というのは複雑である。」

2008年02月07日 03時50分57秒 | Weblog
PSP(プレイステーションポータブル)でのゲーム(織田信長戦国シリーズ)に熱中してしまい、競馬予想や原則普及とブログ更新そっちのけで遊んでました。
ああいう戦略物は、資本主義者(帝国主義でいう国王や殿様)として頂点に立つ気分が味わえるゲームで、武力(軍事力)で頂点に立つか、財力(資本)で頂点に立つかの違いでしかない。

権力欲にまみれた資本主義者の気分を体感したり、資本主義者の性質を研究するには格好のゲームといえる。


話は変わって、世の中の真理を解明する重要な言葉がこれで。
「過去というのは単純であり、未来というのは複雑である。」

真理を解明するということは、過去に戻って世の中の始まりを分析したり推測したりすることで未来を探求することではない。

人間の体は複雑にできている。
がしかし、過去にさかのぼれば、複雑だった人間の体も、たった1個の細胞が分裂して発展していったものであり、未来において人間の体も複雑化していったに過ぎない。

自然におけるすべての事象の真理(原則原理)も同じである。
すべての世の中が始まった最初の過去から複雑な仕組みだったのではなく、人間の体と同じく、単純な仕組みが時間が未来へと動いていく途中で、少しづつ複雑化していったに過ぎない。

数学で真理を探究(もしくは表現)できると信じ込んでいる、アホな数学者は過去も現在も世界中にいるが(アインシュタインもその中の一人)、数学という複雑な代物で、真理の大元である単純世界の始まりの過去を、数字で表現できるはずがない。
なぜならすべての事象の始まりの過去は単純な仕組みから発生したものであり、複雑化した未来と同じ構造である数学に、大元の真理が解けるはずがない。


「過去というのは単純であり、未来というのは複雑である。」

過去を探求して表現したければ、表現する対象を単純化(原則理論)すること。
未来を予測して表現したければ、表現する対象を複雑化すること。

辻ちゃんがあげまん女といわれる由縁

2008年01月07日 20時37分08秒 | Weblog
辻ちゃんがあげまん女といわれる由縁

辻ちゃんほどの若くてかわいい有名アイドルなら、年収1億円クラスの社長のご子息とか、何十億円も資産を持つ会社経営者や、年収数億のバリバリ稼ぐ芸能人と結婚するのも簡単だったはず。
しかし辻ちゃんが夫として選んだ相手は、結婚当時までは売れない三流俳優でしかなく年収も300万以下の杉浦太陽とだった。

大金ほしさに芸能界にいる売れっ子アイドルなら、いくらイケメンとはいえ中小企業のサラリーマン並みの300万円程度しか稼げない杉浦なんぞには目もくれずに、もっとセレブな男を物色しては結婚していたはず。
そして芸能人という理由をつけては結婚後も、炊事洗濯の家事や育児をさぼっては、芸能関係の友達らと毎晩派手に遊び歩いていたはず。
そしてブログを開設しても金持ちぶりと派手な交友関係をアピールするだけの、セレブ自慢の元アイドル芸能人に成り下がっていた。

でも辻ちゃんは違う。セレブを自慢するだけの家事もしない派手好きなアイドル芸能人とは違う。

夫である杉浦太陽の稼ぎが自分よりはるかに低くても不満をもらさずに、むしろ一般人と同じ普通の家庭生活を楽しむかのように、質素な倹約生活を進んでしている。
辻ちゃん本人が働けば夫の杉浦太陽よりも何十倍も稼げるのに、今は炊事洗濯の家事と育児に専念しては、影で夫の仕事を支えている。
欲望と大金の乱れ舞う汚れた芸能界に辻ちゃんは7年もいたのに、芸能人の派手な生活に染まらずに、まだ20歳の遊び盛りなのに一般人と同じ普通の新婚生活に溶け込む辻ちゃん。

辻ちゃんのように心が汚れきっていない、こんな素晴らしいアイドルは芸能界のどこを探してもいない。
こんな辻ちゃんを嫌いになる人はいないはず。
もし辻ちゃんを嫌いだという人がいたら、その人は相当のひねくれ者か性悪な性格だろう。
(辻ちゃんのデキ婚を痛烈に批判した和田アキ子や明石家さんまを例えにしているのでは決してないが。)

こんな理想の嫁である辻ちゃんに愛されて、杉浦太陽の運勢も上昇してきて仕事も順調に増えてきた。
金を求めずとも向こうから仕事と金と幸せが転がり込んでくる。
そして辻ちゃんと太陽夫妻の活動を見ているみんなも幸せな気分に浸れる。これこそが辻ちゃんがあげまん女と呼ばれる由縁だろう。

プロポーズや告白を成功させる絶好のタイミングとは

2008年01月01日 21時20分40秒 | Weblog
プロポーズや告白を成功させる絶好のタイミングとは

ちなみにこの共鳴する人間心理の原則の力を応用すれば、どんな相手(美少女や美人)でもくどき落として彼女にすることができます。(男性から女性へ告白する場合だけでなく、女性から男性へ告白する場合も同じ)


好きになって告白したい女性が、失恋して落ち込んでいる状態の時や、仕事や勉強で疲れている状態の時、家庭や友達関係で悩みがあって落ち込んでいる状態の時などは、原則の力でいう力が弱い状態の時です。

この力の弱った状態の女性に、必死に何度もプロポーズしたり、あれこれと自分が苦労している状態を見せたり、自分が必死にがんばっている姿を見せれば、力の弱った状態の女性は、自分より疲れて力が弱っている状態なのに、さらに必死にがんばっている相手の男性の姿を目撃すれば、そこに原則の力(偏りの法則)が発生して、弱った女性の心は、さらに弱っている男性の心へと気持ち(情)が移って恋愛の心が芽生えていきます。


こういうパターンで女性をくどき落としていけば、手の届きそうもないとあきらめていたどんな美少女だろうが、どんなにモテモテの美人だろうが、くどき落として彼女や結婚相手にすることができます。

告白もプロポーズも成功させるのに大切なのは、告白する相手の状態がどういう状態であるかを、しっかりと把握する事が大切です。(ストーカーまで行かない程度の情報収集)

告白する相手が困っている時、告白する相手が悩んでいる時、告白する相手が失恋して落ち込んでいる時、告白する相手が疲れきっている時、それらの相手の力の弱まっている状態の時こそが、プロポーズや告白を成功させる大チャンスなのです。

そして弱っている相手の女性よりも、告白するの方の男性がもっと疲れて弱っているのに、それでも必死にがんばっている姿を見せれば、相手の女性の心は、あなたをもっと身近(彼女として)で応援したくなる気持ちが強くなってきます。


さぁ、あなたもこの作戦で、彼女にしたい女性のハートをがっちりとつかんでみましょう。

テレビ局が視聴率稼ぎに利用する原則の力もこれとまったく同じ。

2008年01月01日 20時32分03秒 | Weblog
テレビ局が視聴率稼ぎに利用する原則の力もこれとまったく同じ。

誰かが一生懸命にがんばっている姿を放映することで、それを見た仕事で疲れた視聴者や、子育てで疲れた視聴者などが、「テレビの中の人も必死でがんばっているんだ。私ももっとがんばらねば」と共鳴して応援したくなる原則の力が働く。
だれかから共鳴させて応援してもらうために、がんばる理由はどんなくだらない事でもいい。
要するに、目撃した人以上に応援してもらいたい人の方が何倍も疲れているのに、それでもさらにがんばっている姿を見せるだけで、そこに原則の力(偏りの力)が発生して、理由なんてないのに、その人の意見に耳を貸してじっと聞き入ったり、とにかく応援してあげたくなる心理が発生する。


この原則の力を応用すれば、共存共栄主義思想も普及させることができます。
しかし、今の私には残りの人生のすべてを注いで、全身全霊を使って、心血のすべてを注いで、全国各地を旅して回って必死にがんばって、共存共栄主義思想の布教に、はげむ気持ちはないです。
なぜなら私には、過去の偉人とは比べ物にならないくらいの桁違いの優れた思考知能があるから。


この桁違いの優れた思考知能を使えば、過去の人間とまったく同じ古臭い手法で布教を成功させる方法を取らなくても、もっと効率的で知能的に優れた布教手法があるはずです。
それを今現在、思考中です。

どんなくだらない主張や意見でも、訴える側が苦労して必死に訴えれば、それに共感して応援してくれる人はたくさん現れてきます。
ましてや、未来を見通した優れた主義思想であればあるほど、必死に訴えかけなくても自然と共鳴して応援してくれる人はたくさん現れてきます。


まぁ、いくつかアイデアは浮かんでいますので、それを実際に試して、どんな結果になるのか実際に実験布教してみて分析してみるつもり。

共存共栄主義の中身については、これから時間をかけて書き込んでいきます。(比較や例えを多く用いて、なるべくわかりやすく、なるべくかんたんにして。)