一休さんの遺言というのが一人歩きしている。
一休さんが臨終の時、村人たちに立派な箱を遺した。
「これは、ワシの遺言じゃ。おまえさん方、本当に困った時に
この箱を開けなさい。いいか、本当にホントウに困った時じゃよ。
きっと役に立つであろう」と。
何年か過ぎて、兵乱やら、凶作、水害、飢饉に村は苦しめられ、
そのつど、一休さんの遺品の箱を開けるべきか、いやいやまだまだ
と議論された。そして、もうどうにもならなくなった時、「この箱
を開けてみよう。きっとお宝がはいっているに違いない」と衆議
一決し、いよいよ開けてみることになった。蓋を開けると、また箱。
いくつもの蓋を開けて、最後に出てきたものは、一枚の紙きれ。
そこには、「へいきへいき、なんとかなるさ」と書いてあった。
村人たちは、驚き呆れ、がっかりしたが、[そうか、今までもなんとか
切り抜けてこれたではないか、もっとガンバロウ」と得心した。
という話。誰が言い出したのか、企業家のコラムや、「生き方」セミナー
などで、さかんに引用されるようになった。
「一休の書」として額にいれた商品まで出回っている。
水を指して悪いが、一休のどの書物を探してもこの話は無い。
一休さんの最後の言葉は「死にとうない」だった。
さすがは一休さん。凡人にも「一休さんだって死にたく
なかったんだ」と思うことで、心の安らぎを残してくれ
たんですね。
というような話も、ひと頃出回っていたが、これもその史実はない。
「一休は死なぬ、未来永劫生き続ける」というのが、最も一休を
表している話ではないか、と私は思っている。
一休は600年前の実在の禅僧だが、その後江戸時代にいくつもの
『一休話』が創られ、明治、大正、昭和になっても人気は落ちず、
東映のTVアニメでどんどん創作された。
最近そのアニメが放映されないので、小中学生の間では知らない人も
増えてきて残念だが、このアニメが海外では大変な人気となっている。
タイでは「ソニーの名は知らなくとも一休さんの名はみんな知っている」
という。
そうなのだ、一休は、こうしてどんどん創られることによって、
人々の心の中に、今も生き続けているのだ。
一休さんが臨終の時、村人たちに立派な箱を遺した。
「これは、ワシの遺言じゃ。おまえさん方、本当に困った時に
この箱を開けなさい。いいか、本当にホントウに困った時じゃよ。
きっと役に立つであろう」と。
何年か過ぎて、兵乱やら、凶作、水害、飢饉に村は苦しめられ、
そのつど、一休さんの遺品の箱を開けるべきか、いやいやまだまだ
と議論された。そして、もうどうにもならなくなった時、「この箱
を開けてみよう。きっとお宝がはいっているに違いない」と衆議
一決し、いよいよ開けてみることになった。蓋を開けると、また箱。
いくつもの蓋を開けて、最後に出てきたものは、一枚の紙きれ。
そこには、「へいきへいき、なんとかなるさ」と書いてあった。
村人たちは、驚き呆れ、がっかりしたが、[そうか、今までもなんとか
切り抜けてこれたではないか、もっとガンバロウ」と得心した。
という話。誰が言い出したのか、企業家のコラムや、「生き方」セミナー
などで、さかんに引用されるようになった。
「一休の書」として額にいれた商品まで出回っている。
水を指して悪いが、一休のどの書物を探してもこの話は無い。
一休さんの最後の言葉は「死にとうない」だった。
さすがは一休さん。凡人にも「一休さんだって死にたく
なかったんだ」と思うことで、心の安らぎを残してくれ
たんですね。
というような話も、ひと頃出回っていたが、これもその史実はない。
「一休は死なぬ、未来永劫生き続ける」というのが、最も一休を
表している話ではないか、と私は思っている。
一休は600年前の実在の禅僧だが、その後江戸時代にいくつもの
『一休話』が創られ、明治、大正、昭和になっても人気は落ちず、
東映のTVアニメでどんどん創作された。
最近そのアニメが放映されないので、小中学生の間では知らない人も
増えてきて残念だが、このアニメが海外では大変な人気となっている。
タイでは「ソニーの名は知らなくとも一休さんの名はみんな知っている」
という。
そうなのだ、一休は、こうしてどんどん創られることによって、
人々の心の中に、今も生き続けているのだ。