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常識の嘘 普化宗など存在しなかった

2007-08-10 06:26:23 | Weblog
「禅宗には、臨済宗と曹洞宗、黄檗宗、そして普化宗の4 つがあり、
虚無僧は普化宗の僧侶です」と中学の教科書にまで書いてある。

インターネットで関連サイトを見ても、すべてこう書いてある。
「虚無僧は、中国の普化(フケ)という禅僧を祖とする普化宗で、
日本には、鎌倉時代、紀州由良興国寺の法灯国師心地覚心が
伝えた」と。

みな間違い、大嘘だ。
そもそも虚無僧が付けている袈裟のことを「大袈裟」という。

こんなことを言うと、全国に1000人は居る、まじめに虚無僧
尺八に取り組んでいる方々からは、「お前こそ偽虚無僧だ」と
袋叩きに遭いそうである。サンタクロースを信じている純真な
子どもたちの夢を壊すような行為かもしれない。

虚無僧は、剃髪もせず、得度受戒もせず、僧籍も無いのだから、
僧ではない。「僧であって僧でない」。まるで禅問答である。

「では、あなたが虚無僧の格好して布施を受けるのは詐欺ですか」
と言われると一番困る。ムムム、これが一番難しい問題なのだ。

パソコンも携帯も持たないはずの私が、無理してこのブログを
立ち上げたのは、この問題に真剣に取り組みたかったからである。
この答えも一休にあるのだが、この続きはおいおいに。


             
   

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普化宗の日本開祖法灯国師も尺八を吹けなかった

2007-08-10 06:25:44 | Weblog
紀州(和歌山県)由良の興国寺。その開祖法灯国師心地覚心(又は学心)が
普化禅(虚無僧)の日本開祖という噂は、戦国時代末から江戸時代の初め頃
に創られたようだ。しかし、興国寺側にそういう史料は全く存在しない。
 
京都の虚無僧寺明暗寺から江戸時代の半ば、いきなり親寺になってほしいと
手紙が来た。興国寺としては、無視していたのだが、「然るべきお金も毎年
納めますから」との再三の要請に、親寺を引き受ける。すると興国寺の親寺、
臨済宗妙心寺派の総本山、妙心寺からクレームがついた。「明暗寺とやらが
いつのまにか興国寺の末寺になっているが聞いてないぞ」という脅しである。

これに対して興国寺は、「寺が火事で焼けて記録は有りませんが、なんでも
その昔ちょっとした関係があったようです」と苦しい弁明をしている。

明暗寺もいい加減だ。毎年お金を納めるとか、「住職になる虚無僧はきち
んと興国寺で剃髪して得度受戒を受けます」と約束したにもかかわらず、
ちっとも実行しない。親寺-末寺の関係はうやむやのまま歳月が過ぎた。

明暗寺が、興国寺の末寺になろうとしたのには次のような理由があった。

幕府の浪人取締りとキリシタン禁令による宗門改めである。
虚無僧寺は元々浪人の溜り場である。葬儀を執り行うこともせず、墓地も
ない。
幕府から、寺なら宗旨と『縁起(由緒書き)』を提出せよと督促された。
困った困ったの末、興国寺に頼み込んだのだ。
「興国寺の開祖法灯国師殿が中国から帰朝の折、尺八僧を連れてきて、
その一人なのか、その弟子かはわかりませんが、虚竹という方が
京都に来て、明暗寺を建てたということにしてください。と

こうして『虚鐸伝記』なるものがでっちあげられ、幕府もなんとなく黙認
してくれたので、後は興国寺との関係も知らんふりしたのである、と
私は考えている。
しかし、親寺になぜ興国寺を選んだのかが、解けない謎である。


尚、詳しく知りたい方は、虚無僧研究会の機関誌『一音成仏』31~34号
に寄稿しているのでご覧いただきたい。







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一休さん 自殺未遂

2007-08-10 06:22:43 | Weblog
たしか東映アニメでも一休さんが自殺未遂する話
があった。

「年譜」によれば、応永21年一休21歳(満20)の時、
師の謙翁が亡くなる。将来を絶望した一休は、母
の元に立ち寄り、清水寺を経て大津に出、石山寺
の観音堂に7日間参籠する。
そして瀬田川に身投げしようとする。「もし命救わ
れれば観音の加護、この身魚の餌となろろうとも、
後日(来世)必ず志を遂げん」と。
まさに飛び込もうとするその時、母の使いが来て、
「母様を残して死ぬのは親不孝ですよ」との母の
声を伝え、それを聞いて自殺を思い留まる。

物語では、母の元に立ち寄った時、元気の無い姿
を心配した母が、従者にそっと後を付けさせていた、
となる。
あるいはドラマチックに「瀬田川の急流に身を投げ、
断末魔の苦しみの中で母の声を聞く。千菊丸!千
菊丸!との母の叫びを、そして覚醒した、とも。

一休は何を悩んで自殺しようとしたのか。
謙翁から、「わしはもうお前に伝えることは何も無い」
とまで言ってはもらったが、謙翁は、印可証を拒否
して受け継いでない。
師が亡くなって、一休は師の跡を継ぐことはできず、
僧としての資格も失うのである。これはもう絶望する
のも当然だった。

                

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