一休さん 五百羅漢の名前を問われて

2007-07-08 09:28:57 | Weblog
『一休とんち話』
村人が一休さんに、「五百羅漢にはそれぞれ名前があるのか」と
尋ねた。一休答えて言う「まず真ん中はシャカムニ(釈迦牟尼)、
左は、カヨウソンジャ(迦葉尊者)」
村人「そんじゃあ、右は?」 一休「アーナンダ(阿難陀)」
村人「なぁんだ、じゃ左は?」一休「ソーナンダ」
「次は?」「ツギヤトラ」。「こっちは?」「オラコッチ」
と一休さん、次々に村人の指差す羅漢像の名前を答えていく。

村人が感心して帰っていくと、これを聞いていた弟子が
「さすが一休和尚。全部の名前をご存知ですか」と。
一休「まさか、問うてもせん無きこと。覚えても用無きことよ」
と、笑いたまえる。

覚えても無駄なこと。教えてもどうせ覚えられない愚問に
ムキになって応ずることはない。示唆に富む話である。

政治家のはぐらかしは困るが、こんな場面、日常ありそう
である。

というわけで、虚無僧の真相など、知る必要もないし、
詳しく話せば話すほど、わからなくなる話である。
一般の人が描く虚無僧は「世を避け、交わりを絶ち、ひた
すら尺八三昧の世捨て人」のイメージであろう。

謎めいていた方が良いのだが、私は一休を虚無僧の祖と仰ぎ、
一休のように社会に深く関わっていく虚無僧である。

一休は言う。「昔は、修行せんと思う人は山に籠もった。
今は、修行したければ、山を下りるべし」と。
人中にあってこその仏道修行、それが虚無僧道なのだ。
    

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