「尺八は、その長さが一尺八寸なので尺八と言う」
どの本を見ても そう書いてある。ホントかな??
一休さんの尺八は1尺1寸くらいの短いものである。
正倉院と法隆寺に伝えられてきた古代尺八は、いずれも1尺4寸前後、
長さ不ぞろいである。一休の室町から戦国時代までの中世尺八も、
皆1尺4寸前後と短いのだ。
江戸時代の中頃まで1尺8寸の尺八なんて存在しなかったのに、
なぜ尺八というのか。
それは、「中国唐代の1尺は今の半分、9寸くらいだった」とか
9寸を基準にしたが、その倍の「1尺8寸」と名づけたのだ、とか
学者先生方が苦しい解釈をして、定説になっている。
長さがまちまちなのに、なぜ長さを名称にする必要があったのか。
そもそも尺八は、エジプト、メソポタミア、インド、ネパールなどを
経由して中国に入ったのであるから、それ以前から名前があったはず
である。
それは「チーパー」だった。チーパーに中国人が[尺と八]の漢字
当てはめたと考えるのが自然であろう。
パーリー語の「ぱーにゃーはらみった」に「般若波羅蜜多」なる漢字を
当てただけで、漢字から意味をとらえるのは無理があるのと同じだ。
では「チーパ」とは。
なんのことはない「チューブ」と同義。『管』のことであろう。
管楽器のチューバ、アンデスのケーナも元は一緒ではないかと、
私は考えている。
唐代の長さが半分だったら、法隆寺も半分の大きさになってしまうでは
ないか。法隆寺も、現代に近い1尺=33cmで造られているのである。
こんなカンタンなことが、どうして誰も気がつかないのか。
定説としてみんなが信じて疑わないでいることには、危うさを感じる。
「常識も疑ってかかれ」これも、一休がえ教えてくれているのだ。
どの本を見ても そう書いてある。ホントかな??
一休さんの尺八は1尺1寸くらいの短いものである。
正倉院と法隆寺に伝えられてきた古代尺八は、いずれも1尺4寸前後、
長さ不ぞろいである。一休の室町から戦国時代までの中世尺八も、
皆1尺4寸前後と短いのだ。
江戸時代の中頃まで1尺8寸の尺八なんて存在しなかったのに、
なぜ尺八というのか。
それは、「中国唐代の1尺は今の半分、9寸くらいだった」とか
9寸を基準にしたが、その倍の「1尺8寸」と名づけたのだ、とか
学者先生方が苦しい解釈をして、定説になっている。
長さがまちまちなのに、なぜ長さを名称にする必要があったのか。
そもそも尺八は、エジプト、メソポタミア、インド、ネパールなどを
経由して中国に入ったのであるから、それ以前から名前があったはず
である。
それは「チーパー」だった。チーパーに中国人が[尺と八]の漢字
当てはめたと考えるのが自然であろう。
パーリー語の「ぱーにゃーはらみった」に「般若波羅蜜多」なる漢字を
当てただけで、漢字から意味をとらえるのは無理があるのと同じだ。
では「チーパ」とは。
なんのことはない「チューブ」と同義。『管』のことであろう。
管楽器のチューバ、アンデスのケーナも元は一緒ではないかと、
私は考えている。
唐代の長さが半分だったら、法隆寺も半分の大きさになってしまうでは
ないか。法隆寺も、現代に近い1尺=33cmで造られているのである。
こんなカンタンなことが、どうして誰も気がつかないのか。
定説としてみんなが信じて疑わないでいることには、危うさを感じる。
「常識も疑ってかかれ」これも、一休がえ教えてくれているのだ。