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ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

心にナイフをしのばせて

2011年04月11日 | 読書
「心にナイフをしのばせて」著者=奥野修司

渾身の一冊です。

この本に登場する誰しもが、私の身近に存在するような気がします。私はあなたであり、あなたは私なのです。典型的な家庭。普通の人々。パッヘルベルのカノンが流れます。寡黙でストイックなお父さんは、まるで私の父のよう。父は、やはりすい臓ガンで死にました。母は息子に生きる喜びを託したし、祈ることで安らぎを得ようとしました。よき兄ではなかったし、よき妹でもありませんでした。それはきっと、私の母や妹も否定しないと思います。誰しもが、この本の中に登場するような気がします。誰しもが同じような場所に立っているような気がします。むろん、お前らなんぞにわかってたまるか、と言われたならば、黙るしかありませんが。

ルールがひとつだけあります。ナイフは心の中にしのばせておかなければなりません。思い出して欲しい。被害者のご家庭では、どんなことがあっても、家庭内暴力はありませんでした。自殺未遂や、リストカットなど、自らを傷つけることはあっても、決して他者を傷つけたりはしませんでした。言葉による暴力しか描かれていません。だからこそ、このタイトルになったのだと思うし、また、だからこそ、最後の一言になったのだと思います。「会うときは、自分の命をかける覚悟で会いたい」という最後の言葉が、リアルに響きます。

報復は罪なのでしょうか。暴力は悪いことなのでしょうか。死刑は悪いことなのでしょうか。重罰化は悪いことなのでしょうか。少年法に問題はあるのでしょうか。

私にとっては、フィクションであろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいように思え、また、この本も著者のあとがきは、なくもがな、という気もしました。でも一人でも多くの方に本書が読まれることを願っているという気持ちが、抑えられるものではなかったいということくらいは、承知しています。

私も、一人でも多くの方に本書が読まれることを願っています。なぜなら、この本は渾身の一冊だからです。

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ごめりのひとりごと

2011年04月03日 | 読書
玄人のひとりごと」のファンでした。ごく初期だけでしたが、単行本も買っていました。作者の中島徹さんがお亡くなりになったのですね。残念です。
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「介護うつ」

2011年03月31日 | 読書
「介護うつ お姉ちゃん、なんで死んじゃったの(姉・清水由貴子のラストメッセージ)」著者=清水良子

前にも書きました。偉そうに書きました。ちらっとしか読んでいなかったのに、書いてしまいました。<少なくとも清水さんは、お金には困っていなかっただろう>なんて、そんなこと、清水さんに言うのは大変失礼なことでした。恥ずべきことでした。<困った時は、私たちにご相談下さい>なんて、私なんかには言われたくないでしょう。立ち読み程度で書いてしまい、申し訳ありませんでした。読めば読むほど素敵な方だったんだなぁと思いました。残念でなりません。

ご家族とご利用者さん(被介護者。例えば入居者さん)との関係を考えます。介護に熱心なご家族もあります。どちらかというと、本人やサービスを受ける施設に任せきりなご家族もあります。何がいいとか、どうすべきだなんてことは言えません。それもこれも、例えば仕事の有無など、介護をする側の事情によります。何事についてもそうですが、「ほどよく」というのは難しいです。そうつぶやいてみるのが精一杯です。

しかし、それにつけても切ないです。大震災の影響で避難生活を送っている方、不自由な思いをしている方のことも頭に浮かんできます。避難うつ。長期戦になると思います。精神的にキツイと思います。「がんばろう」なんて気軽に言えなくなります。

お願い、ではなく、ほんの少し伝えたいこと。ショートステイを利用されることは、ご本人にとっても、御家族の方にとっても、いいことであることが多いと思います。決して見捨てた、なんて思わない方がいいと思います。というのも、「いつも家族に迷惑をかけてしまって・・・」という想いが被介護者にはあると思うからです。むろん「あんな所には行きたくない」「家にいるのがいい」という気持ちは尊重すべきでしょう。でも、お互いの気分転換になるようであれば、是非、試してみて欲しいと思います。いろいろな施設があって、選択肢が多いといいんですけどね・・・。

施設に入居されている方に関してですが、むろん毎日でもいいのですが、程よく面会に来て下さると、少なくても私たちは助かります。励みになります。「あ、おばあちゃん愛されているんだな」「おじいちゃん、お孫さんが遊びにきてよかったね」。徳永先生も書いていましたが、われわれは、孤立無援の方ほど、母性?のようなものを発揮することがあります。でも、やはり、御家族の愛情に勝るものはありません。面会に来て下さった時は、おじいちゃんやおばあちゃんの身体が清潔かどうかをチェックして下さい。爪、目ヤニ、髭。汚いようだったら、容赦なく叱って下さい。そのかわり、できれば、タンスを覗いてみて下さい。服などを補充して欲しいです。特に靴下は傷んでいることが多いです。下着もです。

何事もギブ&テイクです。誰だって一人では生きていけません。電気や水道やガスがなければ生きていけません。食べ物がなければ生きていけません。一人で背負わなくてもいいと思います。
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「劇画 ヒットラー」

2011年03月21日 | 読書
「劇画 ヒットラー」著者=水木しげる

「アドルフの画集」(原題=「Max」)という映画がありましたが、同じように、若き日のヒットラーを丹念に描いた作品です。私たちは、これらの映画や本を通じて、なぜ歴史を学ばなければならないのかということを、学ぶのだと思います。つまり、ヒットラーだけを悪者にするのでは、歴史は繰り返してしまうということ。いかにヒットラーがヒットラーになりえたのかという教訓から学ぶこともあるのではないかということ。それは、地下鉄サリン事件を風化させてはならないのと同じだと思うし、また、カダフィ大佐とは何なのかを考えることにもつながると思います。

決断力がない、統率力がない、人望がない、などと言って、リーダーシップの欠如を批難する向きもありますが、独裁者よりはマシです。用はバランスですよね。私は指導者というか、要するにリーダーの資質については、塩野七生さんの<千人隊長>という概念がしっくりきています。人それぞれの器があるということです。言葉と行動でどれだけ人を説得できるのか。そんな私は、ドン・キホーテというより、サンチョ・パンサに憧れる男、ですかね。まぬけ一代男。自分のこと「まぬ」って呼ぶんだよ、おかしいな、まぬちゃん♪

第一次世界大戦でボロボロになったドイツ。そんな中で、ヒットラーが成り上がっていく上で、つまりナチス党が躍進する上でターニングポイントになったことのひとつに、ドイツ共産党の勢いの反動としての、連立内閣があったように思います。というわけで、私の頭の中には、自民党谷垣総裁への入閣要請のこと、石原慎太郎都知事の再出馬のこと、プロ野球の開幕問題における渡邉恒雄氏の存在などが浮かんできます。むろん、どういうわけか星野仙一監督の発言ばかりが取りあげられるような風潮のことも頭にあります。都知事選については、4年前ではなく、今だからこそ、浅野史郎さんのような方が立候補してくれれば、なんて、想像してみたりはします。むろん今となっては、それを願うべくもありません。そうそう、オバマ大統領から学ぶことは多いようには感じます。私はペイリン氏が嫌いです。彼女自身の問題というより、器が小さいと感じるからです。

誰もが救世主。9日ぶりの救出劇。16才のお孫さんは、おばあちゃんにとって、文字通りの救世主でした。奇跡?必然?とにかく凄いですよね。導こうなんていう散漫な考えはいらないように思います。現実の中で、多くの方がお手本を示して下さっています。宿泊拒否だの、乗車拒否だの、こういう心の狭い人間はいつの時代も、どんな場所にもいます。そんな輩は語るに足りません。ごく一部の話だと思います。

この漫画を読みながら、そんなこんなが頭をよぎりました。
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「私の旧約聖書」

2011年03月17日 | 読書
疲れている人が多いなぁ。なにせこの状況下だもの。仕方がない。

たくましい人も多い。頼もしい。

疲れの元凶はテレビかもしれません。新聞も疲れます。ネットも五十歩百歩でしょう。

映画への逃避はちょっと後ろめたい。というか、そういう気分になれません。

音楽はいいですね。うん、音楽はいい。

落ち着いて読書をする気分にもなれないでしょうが、私的には、

「私の旧約聖書」著者=色川武大

がお勧めです。

こんな時だからこそ。

ご承知の通り旧約聖書は、ユダヤ教やキリスト教の聖書であり、イスラム教の教典でもあります。

世界でいちばん有名な書物。いちばん読まれている本。

天地創造、アダムとイヴ、ノアの方舟、モーセの十戒、そのくらいは、なんとなく知っていますよね。

では、アブラハムはどうでしょう。

イェホバ氏とアブラハムとの契約。

ここいらへんこそが、宗教という枠を超えた、壮大な人間の叡智の世界なのです。

そういうことを、色川武大師匠が教えてくれました。

文明、自然災害、神々の怒り、人間の業、ミクロとマクロの世界。

おそらく、教会の神父さんや牧師さんは教えて下さらないと思います。

私はいつもこう思っているんです。

右翼は右翼雑誌を読む必要はないし、左翼が左翼雑誌を読む必要もない。

右翼集会に参加して発言する左翼、左翼集会に参加して発言する右翼こそをが、本物なのだと。

つまり、日本人だからこそ「古事記」を読む必要があるという理屈と、正反対な意味で同じ。

むろん例え話です。

その例えが適当でないことも、少しは承知しています。ごめんなさい。

時には神々の人間くささに触れてみるのも悪くないと思います。

追記。師匠はクリスチャンじゃないですよ。念のため。
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