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根本分裂とその原因

2021-04-15 | メモ
https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/daizyou1.html

ブッダ滅後も一味和合し団結していた仏教教団もアショーカ王時代(B.C. 268~B.C.232)保守派と進歩派に分裂する。
時代と共にブッダ在世時代の戒律が社会に適合しなくなったためと、仏教に対する解釈の相違が表面化したためと考えられる。これを根本分裂と呼ぶ。

根本分裂によって
西方の長老比丘を主とする保守派(上座部と長老部)と
東方の自由な立場を主張する大衆部に分裂したと伝えられている。
根本分裂後も仏教教団は分裂を繰り返した。これを枝末分裂と呼ぶ。

この結果紀元前100年頃までに約20あまりの部派が成立した。
これを部派仏教(あるいはアビダルマ仏教)と呼ぶ。
通例に従いブッダ死後から根本分裂まで比較的ブッダの教えが保持された仏教を原始仏教と呼ぶことにしよう。

ブッダ死後100年も立つとブッダに直接師事し悟りを体験した比丘もいなくなった。それとともにブッダの残した法に対する解釈に相違が出始め枝末分裂に至ったものと考えられる。

仏教には一神教に見られる異端を厳しく排斥するような異端審判の思想はない。
考え方の違いから起きる分裂はもともと自由思想家であるブッダから生まれた仏教の宿命だと思われる。
その他にブッダの原始仏教が社会の変化に適応できなくなったことも変化の一因ではないだろうか。

ブッダの原始仏教では
1)食事は托鉢で得る。しかも午前に一回である。
2)金銀財物を蓄えることが禁止されている。
3)快適な僧院に住むことより森や野山に臥し修行に専心することが求められている。

これは、欲望や渇愛が苦の原因だとする原始仏教の教義から来る。
無一物の小欲知足の生活(頭陀行)を理想とするからである。

しかし、時代と共に生産力は増大し、社会が豊かになる。
仏教が王族や富裕商人層からも支持されるようになると僧が精神界の特権階級となる。

僧院も整備され、僧はそこに居住し、僧団を維持運営するようになる。
経済的により楽な生活と修行ができるようになる。
そうなるとブッダの時代の小欲知足の戒律は守ることが困難になってきたと思われる。

部派仏教の成立はそのように考えると理解できる。多くの部派に分れたとはいえ、ブッダの教えである阿含経と戒律はまだ忠実に守られていたと言える。この時代に仏教の三蔵が成立する。





10.2  結集と三蔵の成立  

三蔵とは
1.仏教の基本的教理を述べた経蔵、
2.戒律の集大成である律蔵、
3.経典の注釈や基本教理の理論である論蔵、
の三つを指す。

ブッダ入滅直後仏教教団の事実上の指導者であったマハーカッサパ(摩訶迦葉、まかかしょう、十大弟子の1人)を中心に500人の仏弟子が集まってブッダの教説を互いに確認しまとめる作業を行った。会議の席上でブッダの教説を誦出して全員の確認を求めた後これを仏説と決定した。これを第1次結集と言う。


この時の結集において教法(ダンマ)はブッダに25年間近侍したアーナンダ(阿難、あなん、ブッダの従弟)が主として誦出した。教団の規律は戒律に造詣が深かったウパーリ(優波離、うぱり)が主として誦出したと伝えられる。

漢訳仏典の多くの冒頭は「如是我聞(にょぜがもん)」(かくの如く我聞けり)で始まる。「如是我聞」とはこのように私(我)は聞いたと言う意味である。この我は25年近くブッダに近侍した記憶力抜群のアーナンダ(阿難、あなん)のことである。仏典がアーナンダの記憶に頼って編纂された故事に基づいている。

この第1次結集でまとめられた教法と規律は記憶に便利な偈とか短文(スッタ、経)であったと考えられる。その後100年ほど経って第2次結集がヴァイシャーリーで行われたと伝えられる。第2次結集は戒律に関する異端を正すため正統派が中心として開いた。仏滅100年後までには長文の経が作られていった。

仏滅100年後頃には教団に分裂が起こり上座部と大衆部に分かれた(根本分裂)と考えられている 。

この頃教説は経蔵(きょうぞう、スッタ・ピタカ)に教団規律は律蔵(りつぞう、ビナヤ・ピタカ)にまとめられた。上座部と大衆部はその後さらに分裂し、最後には合わせて18部派となった(枝末分裂)。また「経蔵」と「律蔵」は各部派ごとに伝持されるうちに若干の増補・変容を受けた。

この時代の教法に関する研究は「法の研究」(アビダンマ、音写して阿毘達磨(あびだるま)、漢訳して対法)と呼ばれ部派教団の中で盛んに行われた。この「法の研究」は一つにまとめられ西紀前後頃完成した。これを阿毘達磨蔵(あびだるまぞう、アビダンマ・ピタカ)あるいは「論蔵(ろんぞう)」と言う。この「経蔵」、「律蔵」「論蔵」を三蔵(ティピタカ)と言う。三蔵は一切経あるいは大蔵経とも言う。

中国唐時代の僧玄奘は三蔵法師として現在でも有名である。これは玄奘が経、律、論の三蔵にくわしい知識を有することから来ている。玄奘はその著「大唐西域記」の中で「彼がインドを旅行した8、9世紀頃まで部派仏教が盛んであった」ことを述べている。

三蔵成立までに仏教教団は3回の結集を行ったと伝えられる。第1回目は仏滅直後、第2回目は仏滅後100年である。第2回目の時「戒律」の解釈をめぐって教団内部に異論が生じ、ついに上座部と大衆部に分裂した(根本分裂)。

アショーカ王時代に同王の保護の下に首都パータリプトラで第3回結集が行われたと伝えられる。さらに、紀元後クシャーナ朝最盛期のカニシカ王(2世紀前半頃に即位?)の時代、王の援助のもと第4回の結集が行われたとも伝えられているがはっきりしたことは分からない。

部派仏教ではブッダの理法が既に変容し始めている。
上座部系の法蔵部や犢子部(とくしぶ)においてはブッダが禁止した神呪を集めた明呪蔵を三蔵の外に設けたのである。

この事実は呪術的仏教としての密教の萌芽は部派仏教の時代にまで遡ることを示唆している。





ー 三十七道品(三十七菩提分法)の修行とその矛盾 ― 




原始仏教と部派仏教( 部派仏教は大乗仏教徒によって小乗仏教と呼ばれた)。

原始仏教と部派仏教は紀元前後に起こった大乗仏教と著しく異なる。

そこではブッダの説いた合理的な教法がまだ実践・修行されていた。

しかし、ブッダ以来の教法(教)、修行(行)があっても悟り(証)は見失われていた。

仏教の最終目標は悟りを得てブッダ(覚者)になることである。

しかし、ブッダに直接師事し悟りの経験をした高弟は誰もいない時代になると、

ブッダ以来とされる教法(教)、修行法(行)に基づいて修行しても悟る者は殆どいなくなったと考えられる。

そうなると、悟りはブッダのような天才だけが達成できるものとしてブッダは神格化されたのである。

ブッダの悟り(証)はたとえ、出家して修行しても普通の人間にとってこの世の一生だけの修行では達成できない。

無限に長い時間をかけた輪廻転生によって始めて達成される超困難なものと考えられるようになったのである。



 大乗仏教以前の部派仏教の時代まで、どのような考えのもと、どのような修行が行われていたかを見よう。

原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法に「三十七道品(三十七菩提分法)」

と呼ばれている修行法がある。これを表10.7にまとめて示す。




表10.7 「三十七道品」(三十七菩提分法)の修行法 

番号 7修道法 37菩提分法 内容
1 四念処(四念住) 「身念処」 この身体は不浄であると観じる内観。
2 「受念処」 感受は苦であると観じる内観。
3 「心念処」 心は無常であると観じる内観。
4 「法念処」 すべての事象は無我であると観じる内観。
5 四正勤(四正断)) 「律儀断」 まだ生じない悪を新しく生じないように努めること。
6 「判断」 すでに生じた悪を断とうと努めること
7 「随護断」 まだ生じない善を生じるように努めること。
8 「修断」 すでに生じた善を増大させるように努めること。
9 四如意足(四神足) 「欲如意足」 すぐれた禅定を得ようとすること。
10 「精神如意足」 優れた禅定を得ようと努力すること。
11 「心如意足」 心を収め、優れた禅定を得ようとすること。
12 「思惟如意足」 智慧をもって思惟観察して優れた禅定を得ようとすること。
13 五根 「信根」 心を澄ませ浄らかにするための内観。
14 「精進根」 心を浄化するための精神的努力。
15 「念根」 対象に向かう想いを留め、他の想いを止めて心を動乱させないための観想。
16 「定根」 禅定中に心を散乱させないこと。
17 「慧根」 心を感覚器官から智慧に転換すること。
18 五力 「信力」 仏に対する堅固な帰依をし、信抑の力を堅持すること。
19 「精進力」 悪を止め、善を修するための精神的努力をすること。
20 「念力」 じっと思い続ける憶念の力を付けること。
21 「定力」 禅定の力をつけること。
22 「慧力・智力」 見思惑という理智と情意の煩悩を断滅し、矮小な知恵を破して、真実の無漏の智慧をもたらす力を持つこと。
23 七覚支 「念覚支」 常に禅定と智慧を念ずること。
24 「択法覚支」 智慧によって教法の中から真実なものを選び取り、偽りのものを捨てること。
25 「精進覚支」 真実の正法を選んで専心に精励し修行を続けること。
26 「喜覚支」 真実の教えを修行する喜びに住すること。
27 「軽安覚支」 心身を常に軽快で快適な状態(健康)に保つこと。
28 「定覚支」 常に禅定を修行して心を散乱させないこと。
29 「捨覚支」 対象へ執着する心を捨て、心を客観的で平等に保ち、安定していること。
30 八正道 「正見」 仏教の真理である苦・集・滅・道の四諦や、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十二縁起の理法などを自覚した正しい見解を持つこと。
31 「正思惟」 正しい意業で、心のおこないを正しくして、無我に基づいて正しく四諦や縁起の理法を思惟すること。
32 「正語」 正しい言葉で、無我の立場から真実のみを語ること。
33 「正業」 正しいしい身業で、戒律を守り、身心のおこないを正して、悪業をつくらないこと。
34 「正命」 身・口・意の三業を清浄にした正しい生活をすること。
35 「正精進」 正方便ともいわれ、堅固な自我意識を否定するために、正しい努力を継続すること。
36 「正念」 「正精進」の意識的な方面で、「正見」という目的を常に心に留めて忘れないこと。
37 「正定」 心を正しく統一し、対象に向け正しい禅定に基づく修行生活をすること。




表10.7に示した修行法は原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法である。

三十七道品のうち30%~75%が禅定に関する項目である。

三十七品菩提分法は坐禅が中心になっている修行法であることが注目される。

全体で37項目から成り立っているため古来「三十七道品」とか「三十七菩提分法」と呼ばれている。



 日本の大乗仏教では「読経」、「滝行(滝に打たれる修行)」、「諸仏礼拝」などが重要な修行とされている。

「三十七道品」には「読経」や「滝行」、「諸仏礼拝」のような修行法はない。

「三十七道品」は原始仏教時代から部派仏教の時代まで続いた伝統的修行法である。


このことより、「読経」、「滝行」、「諸仏礼拝」のような修行法は比較的新しい修行法と言えるだろう。

我が国の道元禅師は、七十五巻本『正法眼蔵』第六十で「三十七品菩提分法」を説示している。

彼は、三十七道品の七種類の一々について具体的な講説をし、

「三十七品菩提分法、すなはち仏祖の眼晴鼻孔、皮肉骨髄、手足面目なり。」

と言って高く評価している。

「三十七品菩提分法」の中で、四念処観はもともと身体・感受作用、心の対象を

ありのままに観ずる修行である。

これは八聖道のうち正見に相当するものである。

真剣に行えば大きな効果が見られるとされるが、大きな問題点も含んでいる。

四念処観の1「身念処」で、この身は不浄なり、感受は苦なり

と観ずることは性欲、食欲を始め身体に対する種々の欲望を抑制するために行われた。

死体が腐乱して白骨にまでなる過程を観察する瞑想(不浄観)が有名である。


原始仏教~部派仏教時代の仏教は総じて禁欲的である。

五官に基づく多くの欲望は汚れだと否定的に考える考え方が主流であった。

これはブッダ以来の伝統的考え方と言える。

四念処観はこれらの欲望を制御するために行われたようである。

ある程度の効果はあるかも知れない。


しかし、性欲、食欲を始め身体に対する種々の欲望は生物である人間にとって不可欠な

個体維持、生命維持の本能に由来するものである。

現在では「食は健康維持の基本である」ことはよく分かっている。

2500年前は食事の基本的意味が分からなかったのかも知れない。

この身は不浄なりという考えは2500年前の古代インドの文化的(医学的)、

衛生的、経済的環境(低い生活レベル)に基づくと考えられる。

その頃は、衛生観念も希薄で頭髪や身体を洗い清潔に保つようなことはあまりなかったと思われる。

病気も蔓延しても、何の病気に罹ったか、何の原因によって病気になったかも分からず人々は死んだと思われる。特に幼児の死亡率は高かっただろう。

そのような時代に受け入れられた考えも時代とともに受け入れられなくなった。


「人生は苦である」と見る厭世観は時代とともに説得力を失ったのではないだろうか。

この原因の一つに紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東征が考えられる。

これによってギリシャ人植民王国(バクトリアなど)がインド北西部に誕生し、インド文化に影響を及ぼしたことが考えられる。

ギリシャ文化がインド文化に影響を及ぼしたことは

ナーガセーナ長老比丘とメナンドロス王(ギリシャ人王)との対話が「那先比丘経」

として残っていることからも分かる。

またガンダーラで製作された仏像がキリシャ的特徴を持つことからも分かる。

ギリシャ人は「人体は美しく、人生は生きるに値する」という考えを持っている。

人生肯定派である。このようなギリシャ、ヘレニズム文化と触れた時、

2項の「受は苦なり.」という主張も説得力を失うであろう。


生きている限り外部から刺激が入る。感覚器官はこれに無条件に応答する。

感覚器官の応答は無我でありそれは苦と無関係である。


このように、四念処観の1.2.項の主張は時代とともに説得力を失っていく。

現代ではもはや強い説得力はない。


四念処観以外の四正勤、四神足、七覚支はもっともであり、なんらおかしいところはない。

ブッダ以来の禅定中心の修行法と言える。

特に注目されるのは神や諸仏を信仰するような修行項目がないことである。

また「読経」や「滝行」、「礼拝(仏を礼拝すること)」のような日本でよく見られる修行もここにはない。

この時までは大乗仏教のように未だ仏教は宗教化されていないことが分かる。

ゴータマ・ブッダ以来の合理的な修行法を保持していると言えるのではないだろうか。



 これらの修行法(四念処観、四正勤、四神足、七覚支)に共通する特徴はまじめすぎて、

人間性に乏しいことである。

非人間的を通り過ぎて超人間的とも言える。

ある種の超まじめ人間にしかこのような修行法は受け入れられないだろう。


普通の人間にとってはこのような観想で修行しても生き生きとした悟りと喜びは得られないだろう。

後世の大乗仏教徒はこのような部派仏教の聖者の境地を評して「灰身滅智(けしんめっち)」と言った。

的を射た評価かも知れない。





10.12-1  戒律にみる矛盾



ブッダ以来最も基本的な戒律は表 10.8 に示した五戒である。

No 五戒 内容
1 不殺生戒(ふせっしょうかい)  生命の尊重(不殺生:ahimsa)。生き物を傷つけない。これは外的のみでなく思考と感情との心の中での態度においてもこの戒律を守らねばならない。生きものに対して敵意を抱いたり、冷酷な、不親切な、侮辱的な言葉を吐くことも禁止される。
2 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)  自由意志で与えられたものでないものをとらないこと。これは盗むことの禁止に止まらず、他人の持ちものを欲しがってもいけない。
3 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 比丘にたいしては、不淫と純潔(性的行為の禁止)が要求される。 在家信者に対しては姦淫と不貞とをさけることだけが要求される。
4 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をつかないこと。誠実であること。粗暴で不親切な言葉はいけない。
5 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒類を飲まない。

 五戒は在家信者が守らねばならない最も基本的な戒律である。
出家修行者はそれ以外に多くの戒律を守ることが要求される。
五戒以外に出家修行者が守らなければならない戒律として次のような戒律がある。

1.食物は托鉢乞食によって得たものを昼間一度食べるだけで夕方は食べない。
2.舞踏、歌謡、音楽、演劇の上演を見に行かない。
3.花輪、塗香、装身具を用いない。
4.高いまたは贅沢な寝台に横たわらない。
5.金銀を受け取らない。またそれらを蓄えない。






10.13  根本分裂とその原因

ブッダ滅後も一味和合し団結していた仏教教団は仏滅後100年頃、保守派と進歩派に分裂した。これを根本分裂と呼ぶ。
根本分裂によって西方の長老比丘を主とする保守派(上座部と長老部)と東方の自由な立場を主張する大衆部に分裂したと伝えられている。

主として戒律をめぐる意見の違いであった。
東方ワッジー族出身の比丘達が10ヶ条は戒律において許されるべきだと主張したとされる(十事の非法)。

No  十事の非法 内容
1 角塩浄 普通の食物は翌日まで持ち越すことが許されない。しかし、腐らない食塩は容器に入れて保存することが許される。
2 二指浄 比丘の食事は正午までに終わることが原則であるが、食事の途中に正午が過ぎ太陽の影が二指節(時間は棒を立てて影の長さで測る。)だけ移る間までは食べることが出来る。
3 他集落浄  托鉢によって一度食事を終えた後も、午前中ならばさらに他の集落で托鉢することが許される。
4 住処浄 1ヶ月2回行われる布薩(Uposatha,ウポーサタ=戒律に違反しなかったかどうかを告白・懺悔する教団の反省会)には同一地域内の出家教団員は必ず一ヶ所に集まって行うのが決まりである。しかし、都合によっては、全員が二ヶ所に分かれて布薩の会合を行っても良い。
5 随意浄 出家教団の議決は全員出席のもと、多数決で決め、少数者の独裁専行は許されない。しかし、都合が悪くてこの会合に出席できない者がいた場合事後承諾によって決めても良い。
6 久住浄 先例あることは律の規定がなくて一見許しがたいようなことでも許される事がある。その時の事情で罪となることもあるが、罪とならないこともある。
7 生和合浄 比丘は正午以降は水やジュースのような飲み物しかとってはいけない。しかし、水を加えて薄めた牛乳は正午を過ぎても飲んでもよい。
8 飲闍楼伽酒浄 比丘は酒を飲むことは禁じられている。しかし、病気の時は、薬用として、水で割った酒、又は未発酵の酒のようなアルコール分の少ないものは用いてもよい。
9 無縁座具浄 比丘の用いる座具はその縁(へり) の大きさが規定されている。しかし、縁を附けない座具の場合その大きさは自由である。
10 金銀浄 出家者が金銭を手にすることは堅く禁じられている。しかし、やむを得ない場合は金銭を受けてこれを蓄えてもよい。


この10項目について長老比丘はすべて非法であるとした。そのため「十事の非法」と呼ばれる。これに反対したのが大衆部だとされる。

この十事の非法をめぐる根本分裂の話は、その後の仏教の展開を考える上で示唆に富んでいる。
上に述べた十事は現代の人間が考えても特におかしな要求や主張を含んでいない。
充分合理的な主張である。

十事の内1、2、3、7、8項が食事に関したものである。
ブッダ以来の戒律では「食物は托鉢乞食によって得たものを昼前一度食べるだけで夕方は食べない」という誠に厳しいものである。

出家修行者は社会によって支えられているもので、修行に専念するため身を養うに必要な最低限のものを一般人から有り難く(托鉢行で)頂く。
食料は古代世界では貴重なものであったに違いない。このため夕方2度目の食事をするような贅沢は許されないとする考えがあったようである。

これは当時(2500年前)のインド社会の食料生産力と生活水準を反映している。
一般人でも食べて生きていくのが精一杯だったはずである。
ましてや生産者ではない出家修行者は修行に専念するため身を養うに必要な最低限のものを一般人(在家)から有り難く(托鉢行で)頂き、一食で我慢すべきだという考えだと思われる。

この戒律は食事に対する認識と誤解も含まれているように見える。それは食欲も欲望の1つであるという考えである。

原始仏教では渇愛が苦の原因であると考える。食欲も渇愛(欲望)の1つで制すべき欲望あるという考えた可能性がある。
現在では食事が健康の基本で何をどれくらい食べれば良いかまで分かっているが昔はそこまで分かっていない。

「出家の功徳」という古い経典には食物について「実に、わたしのこの身体は形をもち、四種の元素から成り、父母から生まれ(食べた)飯と粥との集積にすぎず、恒常的でなく(たえず)衰え、消耗し、分解し、崩壊するのがその本質である。
しかもわたしの意識はこの身体に密着し、この身体に依存している。」と述べている。

この経典には2000年前のインドにおける食物と身体の関係をどのように考えていたかが述べてある。
2000年前のインドの古代仏教徒の考えは現代から見れば幼稚である。
食欲を単純に<欲望>に抽象化して、これを抑制し、食事を我慢するようなことをすれば、どういうことになるかは、現代では中学生レベルの知識を持った人でも分かる。

現代では医学と科学の発達により食事は生命と健康維持に不可欠であることは常識である。
生命と健康維持にどのようなどのような栄養素が必要であり、どのような食物にどれだけ含まれているかも分かっている。ビタミンや蛋白質の摂取量が不足するとどのような病気になるかも明らかになっている。

インドの古代仏教徒達が生きた時代にはそのような知識は無かった。
そのような無知が食事と食欲を単純に<欲>として否定的に考えたものと思われる。
欲は苦の原因である。
従って、1日1食の戒律を守るべきだとする考えを生んだのだろう。

このような無知は当時の文化程度から見れば仕方がなかった。しかし、食事と食欲に対する誤解(無知)がブッダ以来の戒律に矛盾を生み根本分裂の原因となったと考えることもできるだろう。


 10.14  食欲に対する現代の考え方

一昔前までは食欲は胃袋が満腹感と空腹感を感じると考えられていた。
現代では食欲は脳で感じられ脳(間脳)の視床下部にある満腹中枢と摂食中枢によってコントロールされていると考えられている。

満腹中枢は「もうこれでお腹はいっぱい。満足しました。」ということを教えてくれる中枢である。摂食中枢は「何か食べたい。もっと食べたい。」と食欲を促す中枢である。

動物実験によって次のことが分かっている。
摂食中枢を破壊すると、食欲が無くなり食べなくなる。痩せて遂には死んでしまう。
満腹中枢を破壊すると、いくら食べても満足することがなく、常に食べる。その結果ボールのように丸々と肥る。

さらに、摂食中枢から分泌されるオレキシンという小さなタンパク質が、視覚や精神状態、血液中のぶどう糖量などの情報を統合し、最終的に食欲を刺激する食欲促進物質と考えられている。

これと反対に食事をすると腸の内壁にある細胞で「ペプチドYY3-36」(PYY)という満腹ホルモンが作られる。これが血流によって脳の視床下部に達すると、食欲のスイッチを入れる神経の働きを抑え満腹感を感じるようになる。

このように、食欲は脳内の神経伝達物質やホルモン分子でコントロールされている。古代仏教徒が考えたような精神的・心理的な<欲>ではないことが分かってきている。



とのことだが

誰がまとめたのかは知らないけれど
後半は 食べますよ 食べさせなさい 坊主が太ってるのは当然ですよ と言わんばかりの空気もかんじられた




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