ごはんが作るボクが作るごはん (つまのフーさんの養生食)

やっとごはんと向き合うようになった人が作るつたない料理の地味〜な記録*一人だと昔に戻ることあり

2015年3月1日夕食

2015-03-01 23:00:00 | 5- つまのフーさん 手術の前後


手術前夜 消灯まで病室にいて

病院近くのホテルの一室で 食欲はまったくなかったけれど

食べた方がいいだろうと 

食べはじめると

こんなときは食べなくてもいいのではないか? と

それでも食べた方がいいのか? などと

考えても意味のないことを考えながら、、、
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2015年2月末、手術前入院-2

2015-02-27 23:55:55 | 5- つまのフーさん 手術の前後


手術前の医師面談のことは、家人(フーさん)も昨日のことのように、
ボクもその部屋の空気の感触まで覚えていて、
それを先日書きました。
2915年2月末、手術前入院
その面談のA医師の話にはもう少し続きがあったので、忘れないうちに書いておこうと思います。

手術を決めた後、A医師から続けて、次のような説明がありました。

まず手術の名称は(これは前から言われていた部分もあるのですが)、
「右開胸 および 腹腔鏡補助下 による 食道切除・胃管再建・胃瘻造設手術。」
そして、
「手術の危険性(手術中に命を落とす可能性)は、全国的には3〜4%、がんの専門病院では1〜2%、この病院では1%です。」
この数字が高いのか低いのか、よくわかりませんでしたが、
今まで自分や他の家族が受けた手術(全身麻酔の手術)では、「手術の危険性はゼロとは言えません」という言葉は何度も聞いたものの、その数値を示されたことはありませんでした。
それで、これは大変な手術の内に入るのだろうという印象が明確に生まれ、ボクは少し胸がつまりました。

それから、急性期に起こりえる三大合併症の説明を受けた後、
術後に食事内容がどのように回復していくか、という話を聞きました。
食事内容がやがて普通食に変化していく、それはかなり時間を要するようなのですが、その話が妙に明るく耳に響いたのを覚えています。
回復していく過程の話は、それがたとえ予想だとしても、何はともあれ光の方向を向いているからだと思います。

手術は朝8時からと言われ、
「だいたい10時間です。」
ということでした。
「ですが、取り切れない〔取らない)という判断の場合には、もっと早く終了することになります。」
とも言われました。

「手術が始まったらご家族にはピッチを渡します。アンテナが2本以上のところにいて下さい。」

「終了の連絡が来たら、説明室が○○にありますからそこへ行き、話を聞いたらピッチを返し、家族室で40分ほど待ったら、ICUで面会となります。」

 などなど、
 等々、
 などなど、、、

聞いている僕の頭の中に、手術が終わりICUで、手術を乗り越えたフーさんに話しかける様子が、インディアンの狼煙(のろし)のように、フワッと浮かびました。


(2019年3月8日 記)
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2015年2月末、手術前入院

2015-02-27 23:23:23 | 5- つまのフーさん 手術の前後


2015年2月27日、手術の3日前に、つまのフーさんは病院へ入院しました。

翌28日の朝に担当のA医師から手術の説明があるはずでしたが、病院へ着くと、その予定が早まっていました。

そして夜9時を回った頃、まだ手術衣のままのA医師が、急ぎ足で病棟へやって来ます。

それから小さな個室に通されて、聞いた最初の言葉は、思いがけないものでした。
「状況が、かなり厳しいです。手術をするかどうか、迷うところです。」

それを言うために術前面談が早まったのだと、ボク達はそこで知りました。

「術前の抗がん剤治療の結果と、間近のCTの内容、現在の痛みの強さなどから、
内容がかなり思わしくない可能性があります。
ステージⅢと判断していましたが、Ⅳということもあり得ます。
手術で開胸しても、目視で確認したら、取り切れないという判断になるかも知れない。
その場合は、そのまま閉じることになります。
もし開けて閉じるだけだとしたら、この開胸術は、肉体的な負担があまりにも大きい手術です。
手をつけないのであれば、開胸はしない方がいいです。
しかしながらもう一つ、
手術をしなかった場合は抗がん剤治療となりますが、○○さんの場合、
一度目の抗がん剤治療は効きましたが、二度目は効果が出ていない。
ということは、このがんには、抗がん剤が効かないという可能性があります。
そうなると、進行を止めることが難しくなります。
手術をするか、しないか、‥‥‥‥どうしましょうか?」

一度持ち帰りたいほど大きな決断を迫られたわけですが、そんな猶予はない状況でした。
がんは日に日に成長しているのですから、もし手術に賭けるのであれば、それは今決めるしかありません。

「先生は、どう思われますか?」
と聞くと、
「CTのデータ上ではとても大きく気になりますが、その他の画像上では、取れる可能性も窺えます。」
それからしばらく考え込むような間があって、
「見に行く価値はある‥‥‥、と、思います。」
と、静かにA医師は答えました。

フーさんとボクは、顔を見合わせました。
そうしながらまるでSF映画のように、テレパシーで語り合ったような気がします。
そして互いの意思を確認すると、ボクは、先生の目をしっかりと見つめて言いました。
「お願いします。」
フーさんは、
「どちらの結果でも、とにかく開けて、見ていただきたいと思います。」
と頭を下げました。

先生は、
「わかりました。」
と言うと、

今度は少し大きな声で、
「チャレンジしましょう。」
と言い、この日初めて笑顔を見せました。

「はい。どうぞよろしくお願い致します。」
ボクは深く頭を下げました。

見つめつづけなくてはならない光が、遠くて、
でも、必死でその光源を探しました。
その光は遠くて小さいけれど、決して幻ではない、
そのことには確信があったので、
絶対に目を反らさないぞ、
と心に誓った夜でした。




(2019年2月20日 記)
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