11.3(休日)の早朝、夫と映画番組を観ました。
「コーダ 愛の歌」
終盤に向かって鼻がグズグズ・泪じわ~~と してきました。
聴覚にしょうがいのある夫婦と子供2人の生活。
長女は耳が聞こえるので親の通訳として家族になくてはならない、弟は聴覚しょうがいで生きてきている。
長女は耳が聞こえるので親の通訳として家族になくてはならない、弟は聴覚しょうがいで生きてきている。
長女の通う学校で合唱の発表会。ずば抜けて美声で歌うのが主人公の長女。
音楽教師は彼女の才能を見抜き、声楽を学ぶことをすすめるが、長女の家族を想う心配と歌いたい思いが絡まって、両親に告げられず葛藤する。
両親の想いとは、自分たちの知らない(音が聞こえる)世界に無責任に手放せない。私達は私達だけで支え合って生きていけばいいじゃないのと。・・・娘もその気持ちは分かっている。
進学を勧める音楽教師も、若いころ自分の才能を叶えなかった(摘んでしまった)経験から、彼女の才能をいろいろな理由をつけて終わらせたくないと願っている。
音楽大学の試験に臨む決意をするのは、試験を明日に控えた時。
苦しんでいる子供の姿から、娘の決意を応援するため両親は車をパリへ走らせる。
大雑把に言って、こういうストーリーなんですが、そのストーリーに込められている両親の愛情を観ていただきたい。
私の母は、私がお産の肥立ちが悪くならないようにと、子供を出産する度に、持てるだけのお米を体の前後に背負って1か月以上若夫婦と小さな孫と狭い家の中で過ごしてくれました。
もうすっかり食事作りから離れている年齢になっていたのに、愚痴も言わず作ってくれ、掃除や洗濯など 私にとっては「おんぶにだっこの生活」を送らさせてもらいました。
まるで当たり前の気分で(お母さんだから・・・ 甘えられる)と。
いよいよ床上げの日。お母さんが帰京するときには電車賃すら渡せなかった。笑顔で赤ちゃん抱いて見送っただけだった。
今朝観た映画のお母さんと同じように「見返りを望まない姿」「ただただ 子の成長を願う親心」の母だったな。
そういう気持ちでハンドルを握っていたら、懐かしいお母さんが偲ばれて切なくなりました。
ありがとうおかあさん。
「孫神様詣で」と言って保育をしたり、食事を作ったりして、その時間娘が休めることは、私もお母さんからして頂いたことをしているだけだな。
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