色覚検査の攻略本」「本当は効かない色弱治療」はなぜ存在したのか 進学・就職制限を受けてきた「色弱」の歴史とこれから
カラフルな小さい丸で、数字が描かれた絵を見たことはありませんか? これは色覚検査に広く用いられている「石原色覚検査表」の図。学校での色覚検査は2002年から任意化されており、“この図を全く見たことがない若者”も少なからずいるのではないでしょうか。
人間が色を感じるのには、目の網膜にある「錐体」が関わっています。この視細胞は「L」「M」「S」と3種類あるのですが、各錐体の数やはたらきには個人差があり、日本人男性の約5%、女性の約0.2%は、識別しにくい色がある「色弱」だとされています。
かつて日本には色弱者に対する進学・就職制限が厳しい時代がありましたが、現在では「色弱者の多くが、支障なく日常生活を送っている」といわれています。その一方で、学校での検査任意化に伴い「進学・就職するまで色弱であることに気付かない若者が現れている」と問題視する報道も見られ、状況は複雑です。
色弱者を取り巻く状況は一体、どうなっているのか。カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)副理事長・伊賀公一氏に話を伺いました。
色弱の“都市伝説”
―― まず「色弱者には、どのように世界が見えているのか」というのは、そうでない人には理解しにくいところがあると思います。個人的に「僕は赤色が見えないから、焼き肉が苦手だ(友人談)」という話を聞いたことはありますが……
伊賀氏(以下略):色弱に関するエピソードの中には、“都市伝説化”されているものがあると思っています。
私自身も色弱ですが、機構の人間などが「焼き肉が苦手」「緑色の猫がいる」という話を書いており、それ以降、類似した話をよく聞くようになりました。意識し過ぎかもしれませんが、私たちの文章が影響していないかと思ったりします。
―― 「誰かの話を読んだり聞いたりして、自分にも似た経験があることに気付く人が現れた」という感じでしょうか
ええ。さまざまな人が「焼き肉が苦手」という話をしていますが、きっと“その話を最初にした人”がいるのだと思います。この手のエピソードは広まるにつれて、“最初の人”が言いたかった趣旨からズレていったように思います。
私などは、他人と一緒に焼き肉をして、網上の肉をあちこちに動かされたりね。焼けたときの見た目は肉の種類によって違いますから、牛、豚、鶏肉をゴチャゴチャに混ぜられたりすると、どれが食べ頃なのか把握しにくくなってしまうよね、ということを言いたかったですね。
ですが、このエピソードは都市伝説のように変な広まり方をして、「色弱だから肉の焼け具合がよく分からない」といわれるケースが出てきました。それで、やる前から苦手意識を抱いてしまって、焼き肉を諦めてしまう色弱者もいるんですよ。
―― 「他の人に肉をアレコレされた場合」という条件が抜けてしまったわけですね
「花見に行くと、桜のピンク色が分からなくて悲しい」という話もよく聞くのですが、“都市伝説化”する前は冗談のようなものだったのではないか、と思っています。色弱であっても、花見は楽しめると思うんですよね。桜の華やかさは分かりますし、暖かくて気持ちがいいし、ドンチャン騒ぎだし。「○○色が見えない/分からない」とはどういうことか
―― 色の見え方は個人の感覚で、他の人からは捉えがたいもの。「色弱で○○色が見えない/見えにくい」というのはどう理解すればいいのでしょうか
その言い方は曖昧なので、「その色の部分だけ透明や白色に見えるのか」というような疑問が湧いてしまうかもしれませんね。“色の距離”という言葉を使って説明してみましょう。
例えば、白色と黒色とは対照的な色で、色の距離的に言うと「遠い色」ということになります。反対に、赤色とオレンジ色は似ているので「近い色」といえます。
では、赤色と黒色はどうでしょうか。一般的には遠い色とされていますが、色の感じ方には個人差があります。つまり、色の距離は誰にとっても同じというわけではありません。例えば、「赤色が見えない」という人の場合、「黒色・赤色」の距離が「黒色・こげ茶色」くらいになっていて、近い色に見えたりするんですね。
―― 「見えない」というよりは、「他の色と似て見える」という感じでしょうか
そうですね。ただし、識別しにくい色やその識別しにくさは人によって違うので、先の「赤色・黒色」はあくまでも一例です。CUDOでは、色弱を「P型(強/弱)」「D型(強/弱)」「T型」「A型」と分類しているのですが、タイプが異なる人同士では色の見え方がかなり違いますよ。
“色覚検査攻略マニュアル”が存在した理由
―― 色弱という視覚の特性は、これまでどのように捉えられてきたのでしょうか
「色の見え方が他の人と違う」という事例が論文化されたのは、今から約200年前。18世紀末に、英国のジョン・ダルトンという色弱の科学者が、自身の体験談などを発表しています。
そして、約150年前、ある鉄道事故がきっかけの1つになり、色弱が社会的な問題として扱われる流れが生まれました。
かつてヨーロッパには「白色・赤色」を使った鉄道の信号機がありました。照明自体は白色で、そこに、赤いガラスを入れたり外したりして切り替える仕組みです。ですが、この手法だとガラスが割れたとき、白色しか出せなくなるんですね。これは危険だということで、「赤色・緑色(ガラスが割れると白色が出る)」の組み合わせが使われるようになりました。その信号機を使った線路で鉄道事故が発生したとき、「運転手が色弱だと信号機の色が見分けられない。運転させてはいけない」という風潮になり、検査の結果、色弱と判断された運転手たちが解雇されたそうです。
―― 「色弱でも見やすいように、信号の色を変える」という方向には向かわなかったのでしょうか
「『色弱者には見にくい色の組み合わせなのではないか』という指摘はあったが、受け止められなかった」とか「技術的な問題から、色変更が難しかった」とか諸説聞いたことがありますが、確かなことは分かりません。とにもかくにも信号機ではなく、運転手という集団に手を加える形で事故防止を図ったわけです。
近年の資料を見ても、色弱が「先天性の病気」とされていることがあります。例えば、1998年ごろまで日本には“色弱の治療”を行うグループがあったんですよ。
―― どんな“治療”を行うのでしょうか
頭に電極をつないだ状態で、「石原色覚検査表(略称:石原表)」を数時間かけて見せたりするんですね。すると、色弱では分からないように描かれている数字が見えるようになる……とうたっていました。
このグループを担ぎ上げて本を出す新聞社、製品を作るメーカーなんかもあって。子どもの色弱を治そうと、高額な費用を支払う親御さんも多かったようです。