GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 GLAY、シークレットライブを敢行

2009-09-14 | 「灰とダイヤモンド」ツアー




 エクスタシーレコードからアルバム「灰とダイヤモンド」をリリースし、同時にプラチナムレコードから『RAIN』をリリースしたGLAYは、9月5日から京都ミューズホールを皮切りに全国ツアーを敢行した。

 GLAYにとって、ライブは経験は豊富なものの、全国ツアーは初めてだ。

 初の全国ツアーということで、色々と慣れない面からメンバーが体調不良を起こす。緊張のため、こなれたステージングを見せられない。そんなことになれば、GLAYはそこで終わってしまう。

 エクスタシーレコードの関係者もそのあたりのことを心配していて、「GLAYという名前を出さず、ほかのバンド名で全国ツアーのリハーサル的要素としてのライブを何回かやろう」 ということになった。

 そして、本格的な全国ツアーの前に、急遽、「THE 函館 灰とダイヤモンズ」というバンド名を作り、“THE 函館 灰とダイヤモンズ 1stライブツアー”と銘打ったシークレットライブを行うことが決まった。

 7月4日、能谷ヴォーグ、7月5日、新潟JUNK BOX、7月10日、尼崎ビブレ、7月11日、京都ミューズホールの4カ所を回るライブスケジュールだった。

 このライブはシークレットライブとしての扱いだったが、いくらシークレットライブでも、出演するライブハウスにファンが集まらないことには始まらないため、GLAYのファンには前々からその旨は伝えられていた。


●地方で別格の扱い

 このツアーは、ワンマンツアーということではなかった。どの会場でも対バンがあった。

 AKIRAにとっても、このシークレットライブツアーは忘れられない思い出のツアーとなった。それまでAKIRAは、「ボイス」というバンドでライブ活動をしてきた。その時は3つ、4つのバンドとの対バンでの出演だった。

 しかし、ボイスは駆け出し中というか、まったく名前が売れていない。

 どちらかといえば、対バンするバンドの前座でライブハウスに出演していた。そのため、打ち上げといっても必ず会場の入り口のほうの席に座らされ、食べ物も飲み物も少ない。

 このTHE 函館 灰とダイヤモンズ 1stライブツアー '94で地方に行った時は、まったく違っていた。

 地方でのGLAYの対バンのバンドは、その街で一番人気のあるバンドが選ばれていた。しかし、すでにメジャーデビューを果たしているGLAYは、別格の扱いだ。

 打ち上げなどに行くと、「いいですね、既にCDなんかも出てるんでしよ。僕たちもがんばります。僕たちが東京に行った時にはよろしくお願いします」 どこのステージでも、対バンのリーダーがこう言って頭を下げてきた。

 「お願いしますよ。東京に行ったとき、『俺たち知らないよ。どこのバンド?』なんて冷たいこと言わないでくださいね。僕たちも、絶対に後々東京に出て、メジャーデビューしますから。その時には宜しくお願いします」

 こんな経験は初めてだった。こう頭を下げられれば、気分の悪かろうはずがない。

 GLAYのメンバーはどこに行っても口数が少ない。それは地方に行ったときには幸いした。メジャーデビュー前は、対バン相手に「人見知りをする付き合いの悪いバンド」と言われたりもしていた。

 このライブツアーも、メンバーはその姿勢を貫き通した。「こちらこそよろしくね。電話番号、教えてよ」と言って、それ以上、交友関係を深めるための言葉を持ちかけたりもしない。

 地方のバンドのメンバーはGLAYのそんな態度を見て、「メジャーデビューしたバンドというのはやっぱり貫録があるよね。チャラチャラしてないよ」 そんな印象をもったようだ。


●全員の音がバラバラ

 レコード会社の予想通り、このシークレットライブは、音楽的に見ると全然まとまりがなかった。とくに、僕とJIROのリズム隊の音が合っていない。そのため全員の音がバラバラになってしまった。

 JIROは、初日の熊谷ヴォーグのライブが終わった後、僕のところに真っ先にすっ飛んできた。「オバちゃん、ダメ。もう全然ダメだよ。東京に帰ったらスタジオに入って、初めからやり直そうよ」

 僕も同じ気持ちだった。これから新潟のJUNK BOX、そして尼崎ビブレ、京都ミューズホールと回る予定になっていたため、このシークレットライブは仕方がないとして、9月からの全国ツアーはこうはいかない。

 じっくりスタジオで音直しをやり直さないと、全然、音がまとまらない。

 ライブを見ていたレコード会社からも、「シークレットライブやってよかっただろ。こんな音のまとまりがない状態で全国ツアーなんかに出ちゃったら、音の修正なんかできなかったんだよ。帰ったらじっくりと音を合わせて、9月の全国ツアーに出るようにしような」

 こう言われた。さすがは、プロとしてこれまで数多くのバンドをプロデュースしてきたことだけはある。レコード会社の関係者のその言葉は、実に的を得ていた。

 7月11日、京都のミューズホールが終わり、東京に戻ると、その足でスタジオに駆け込んだ。TAKUROもやってきた。

 「俺たち、こんなに音がバラバラになったの初めてだよね。地方に旅に出るっていうのは肉体的だけじゃなく、演奏面でもこんなに影響するっていうのはすごく勉強になったよね」

 僕たちが必至で音あわせしてると、TAKUROがそんな言葉をつぶやいた。





【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス


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