1994年9月26日、GLAYはメジャー・デビュー曲『RAIN』、2ndシングル『真夏の扉』をひっさげて、初の全国ライブ・ツアー「灰とダイヤモンド」を京都ミューズホールからスタートさせた。
ドラムには、オバちゃんことNOBUMASAが参加していた。NOBUMASAは、AKIRAと小学校と中学校が同じでGLAYと親交があり、TAKUROから誘われてサポートメンバーに加わっていた。
そして、ミュージック・ステーションにも出演、5月31日の下北沢タウンホールでのライブから本格的にドラムを叩き始めていたのだ。
●自分たちで運転
当時の観客動員数はまだ少なく、宿泊のほとんどはビジネスホテルで、移動も自分たちで用意したトヨタの大型車コースターに楽器やツアーに必要な機材などを積んで、自分たちで運転してのツアーだった。
しかし、今回のツアーは、スタッフ用のキャンピングカー、2トンの機材車、それに事務所スタッフの乗る専用単2台が同行していた。
GLAYのメンバーは、いつもでもキャッチボールができるように車の中にグラブとボールを入れていて、途中で広い公園や空き地でキャッチボールをしたりして気分転換をしていたという。
メンバーの故郷、函館での凱旋コンサートは、10月17日、金森ホールで行われた。
入口には、開演2時間前からファンが詰めかけていた。また、この日はJIROの誕生日。TAKUROのアイディアで、アンコール前までJIROに一切祝福の言葉を言わず、アンコールの時に、突然、スタッフがクラッカーをいっせいに鳴らした。
そして、「ハッピーバースデー、JIRO!」 TERUを筆頭に、ファン全員の合唱でJIROは祝福された。
●何か掴んだという自信
コンサートツアーは、岡山、尾道、広島、松山、博多、仙台、札幌へと続き、10月21日、GLAYのメンバーは、ツアーファイナルが行われる北海道・北見市にあるオニオンスタジオに辿りついた。
この日のメンバーは、オニオンスタジオの前にある大きな公園で昼間は元気にキャッチボールをして汗を流し、夜のステージに臨んだ。
ツアー全日程を終了したGLAYは、このライヴハウスで打ち上げを行った。メンバーは、ライブを見に来ていたアマチュアバンドの面々に気さくに声をかけたり、観客と一緒にビールを飲んだりして、店のスタッフを大いに喜ばせたという。
TERUはその時、「自分たちで車を運転して全国を回ったり、毎回違うサウンドに挑戦したりと新しい経験を体験して、自分の中に何か掴んだという自信ができた」と語っていたという。
灰とダイヤモンドツアーによって、メンバーとの仲間意識も深まり、GLAYにとって生涯忘れられないツアーになった。
【記事引用】 「GLAYイヤーズブック 読む年表/GROUP REVIEW・著/コアラブックス」
「GLAY 東京物語/大島啓夫・著/ラインブックス」