緊急の病院の手配をしたのは、エグゼクティブ・プロデューサーの井ノロ弘彦である。
彼は、全会場に同行しているわけではない。主な会場と打ち合わせのあるときに限られている。「こういうときのためにいるようなもんです」と言いつつ、病院での様子をこう言う。
「まず救急病院に行ったんですね。そこで手に負えないって言われて別の総合病院を紹介されて、そこの夜勤の先生が見てくれたんですけど、プレートだけ当てた状態でした」
「夜勤の先生ですからちゃんと手当てできなくて、もし、手術が必要なら東京帰ってやってくれみたいな返事だったんです。そのときはHISASHIも不安がってましたね」
●手術スタート
彼は、東京の知り合いやツテを必死にたどって、札幌医大を紹介してもらった。「事情を話したら、すぐ手術してくれるっていうんで、HISASHIにそう言ったら、彼も、すぐ手術したいって。午前12時45分に運び込んで午前1時半にスタートしたんです」
病院では、もうひとつの緊急の手当てが行なわれた。スケジュールの問題である。翌々日には函館公演が組まれていた。それをどうするか。広瀬利仁は、こう言う。
「本人の意志がいちばん大事ですからね。HISASHIに聞いたら絶対にやりたいって言うんです。でも先生は、手術したら何日かは動かせないって言うし、とりあえず函館は代わりの日にちをあたろうと」
「もう新聞とかから問い合わせは入ってましたから、翌日の新聞には隠さず発表しよう。それ以降は東京に帰って決めようという判断でしたね」 いったんホテルに戻ったメンバーは、病院の様子を確かめ、食事に出た。
その席で、こんなやりとりがあった。
TAKURO 「あの消え際だけ見たら骨折とは思えなかったよ。お客さんに吸い込まれていったよね。すぅーっと」
JIRO 「向こうまで行ったのは見てたんだけど、次にパッて見たときにはいなくなってたから、あ、跳んだのかなって」
TAKURO 「もうためらいもなくタタタタポーンっていう感じで。落ちたんじゃないよね、跳んだの」
TERU 「跳んでから下でぐったりして放心状態だったから壁に頭ぶつけたのかなと思ってた」
TOSHI 「俺も頭打って気絶したかと思ったもの」
TAKURO 「あいつ、いつも財布に2千円位しか入ってないんですよ。多分、保険証も持って来てないから、きっと困ってるんじゃないかなぁ」
JIRO 「なんか、HISASHIが刺されたらしいっていう噂もあったんだってね。いちばん後ろか2階の後ろにいた人から聞いたらしいよ」
話は尽きなかった。TOSHIは、96年の3月29日に札幌市民会館でライブをやったとき、打ち上げのビールかけで転んで腕を切って、翌日のシークレットライブが中止になったときの話をした。
ビデオ『無限のdeja vu』にそのシーンが収められている。ビールかけのあと、画面の左端で転倒する寸前の映像がある。
その直後のことだ。そんな話は、JIROの「HISASHIは相当楽しかったんだと思うよ。今日のライブがいかによかったかを証明してるよね」という言葉で締めくくられた。
●ギターは弾けるから心配ない
手術は午前1時から始まるという連絡が入っていた。だれもホテルに帰らず、前日と同じプールバーに行った。
貸し切り状態のなかでビリヤードに向かう者、ワインを手に話し込む者、時折携帯電話が鳴り手術の経過が連絡される。結果が出るまで落ち着いていられない。そんな空気だった。
手術は午前4時に終わるということだった。プールバーの閉店も午前4時だった。外に出ると、札幌の夜空は白々と明け始めていた。手術はまだ続いているようだった。函館の延期が発表されたのは翌日19日、午後2時だった。
それまでは、「やるつもりです」という返事しか返ってこなかった。スタッフも万全の態勢を取るために朝、函館に出発していた。
僕らも何はともあれ函館まで行こうと、予定していた飛行機に乗るために丘珠空港に向かう途中で連絡が来た。ホテルを出るとき、TERUのラジオ番組『TERU ME NIGHT GLAY』の収録が始まるところだった。
番組の放送は6月3日だった。オンエアのなかで、TOSHIやTAKURO、JIROも加わって、「麻酔が切れて痛がってるけど、ギターは弾けるから心配ない」と経過を報告していた。
5月20日。函館は気持ちいい五月晴れだった。東京では味わえない光と風の街。緑はつややかに輝き、風が炊き抜けていく。海岸沿いの道路からはうっすらと津軽半島が見えた。
北海道新聞の朝刊に「コンサート延期のお知らせ」という囲み広告が出た。
会場の函館市民会館の正面には、やはり延期のお知らせが貼られ、本来ならスタッフが仕込みで走り回っているはずのロビーには問い合わせ用にスタンバイしているWESSのスタッフ数人がいるだけだった。
それでも三々五々集まってくるファンのなかにはHISASHIの足が心配だと泣き崩れる姿もあった。振替公演は8月11日。羽田に戻った僕らを、「東北公演も延期」という知らせが待っていた。
【記事引用】 「夢の地平/田家秀樹・著/徳間書店」