「東北地方始まって以来の規模のコンサートですから」
キョードー東北の和泉浩之は、メンバーに向かって何度となくそう言った。彼はウッドストックに憧れてこの仕事に就いた人間だった。8月15、16日の2日間で7万人。その数字は、ほぼ実数だった。
●奇跡的な出来事
でも、この安比高原特設ステージの2日間で歴史的だったのは、そんな数字だけではない。
これまでの野外イベントの歴史のなかでも、珍しいくらいの奇跡的な出来事が重なった。1日目は、雨が降らなかった。盛岡市内は雨だった。天気予報は100%豪雨だった。にもかかわらず、コンサートは無事に終えられた。2日目は、風だった。
夜通し降った雨は、明け方には峠を越した。
リハーサルのときには、時折、晴れ間がのぞくようになっていた。青い空から差し込む高原の日差しに、TERUは、何度か「アッチー」と声を上げ、JIROが「アッピー」と交ぜっかえしたりしていた。
バンドも、快方に向かう空模様に、ご機嫌だった。かわりに、突風が吹いた。
リハーサルが終わり、メンバーは、ひとまずホテルに戻り、開場を待つだけになっていた。僕は、本部で和泉浩之と、ウッドストックの話をしていた。本部の無線が緊急事態を告げた。
キョードー東北の今野拓哉の「ステージ裏が危険。全員、集合してくれ」という悲痛な声が、飛び込んできた。
ステージが倒れかかっていた。ステージの上手、つまり、TAKUROサイドの照明のイントレが倒れかかっていた。ブルドーザー2台とアルバイトの学生やスタッフの150人近くが、ロープでセットを起こそうとしていた。
雨用のビニールシートがパタバタと音を立ててはためいている。時折吹き抜けるゴーゴーという強い風に網引きのようにロープがピンと張り詰め、ステージが傾いていくのがわかる。
「もっと引っ張れ!」という怒声が飛ぶ。それは、緊迫した光景だった。
ステージ中央には、ムービング・ライトを吊った、爪のような3本のセットがある。それも、突風に、ゆらゆらと揺れていた。ゲレンデから吹き下ろす風を、ステージセットがまともに受けてしまっていた。
タイタニック号――。上手の先端部分のイントレが傾いたステージを見て、一瞬、そんな連想をした。この巨大なステージは、このまま倒れてしまうのかもしれないとさえ思った。
●夏の突風
安比始まって以来の夏の突風――。風が通り抜けるようにしないと、すべてのセットが連鎖反応で倒れかねない。判断はその場で下された。風をさえぎるようなセットや、仕掛けをはずしてしまう。その決断は速かった。
「たまたま照明の機材に問題があって、客入れしてから調整していいですかって聞かれて、見にいったときだったんです。僕と小丸がふたりともその場にいたから助かった。もし行ってなかったら対応できなかったです」
広瀬利仁は、そのときの判断をこう言う。「倒れると思ったからね。でも、倒しちゃいけないとも思った。どうやったらできるか、中止にしちゃいけない、それだけでしたよ」
「幸い、警備のバイトとかも現場にいましたし、風が弱くなったときにロープもかけられましたし、あの150人のスタッフには本当に感謝してます。コンサートが終わってから、みんなで抱き合って泣きました」
舞台スタッフが、セットに飛びつきよじ登り次々とイントレをはずし、機材を撤去してゆく。風に煽られながらの作業は迅速を極めていた。小丸さんは、「バラシが助かっちゃったよなぁ」と、冗談を忘れなかった。
TERUは、そんな様子の一部始終を、自分の部屋から見ていた。彼の部屋からは、会場が見下ろせた。「なかなか開場しないなぁと思って見てたら、いきなりバラシが始まっちゃって。いったい何が始まったんだろうと思いましたよ」
――Hey、安比!長い間待たせたな。今日の風は安比始まって以来の強風ということで開演が遅くなってしまいましたが、3万6000人!
コンサートは、1時間余り遅れた18時半過ぎに始まった。それも驚異的だった。倒れそうになった部分を撤去することが決まったときは、2時間遅れて始めることになるだろうと予測していたのだから。
もし、客入れのあとだったら、危険だからと、即座にコンサートは中止だっただろう。それも幸運だった。
●絶対に安全だから
ステージの先端のセットも、前面を覆うシートも左右の銀色のオブジェもない。いつもなら「FRIEDCHICKEN&BEER」のときに、左右に出現する巨大な人形のバルーンもない。
むきだしの鉄骨の奥に黒いスピーカーが見えている。まるで羽をもぎ取られた巨鳥のようだった。
カメラマンのヒロ伊藤は、そんな様子をビデオに収めていた。彼も偶然そこに居合わせたひとりだった。スタジアムツアーのビデオには、そんな光景が映っている。
メンバーがステージに出る直前の控室での小丸さんからメンバーへの報告も残されている。「絶対に安全だから」というコメントはスタッフのプロ意識の真骨頂だろう。
そんな状況にメンバーが応えた。バンドの本質は、そういうときに発揮される。自分たちが頑張るしかない。それが、演奏にも歌にも、ステージでの動きにもいかんなく発揮された。
JIROもHISASHIもTAKUROも、昨日より短い花道を何度も走った。照明の量も少なく、左右はかなり暗い。
TERUは、鉄骨によじ登ろうとし、アンコールの『COME ON!』では、ついに客席に飛び降りて、150メートルはあるだろう最前列を、左右に走ってしまった。そうでもしないと気持ちの収まりがつかないように見えた。
『ACID HEAD』が始まる。上空を6本のサーチライトが交差しながら照らしてゆく。雲のある部分には、白い光の円ができる。雲のないところは、そのまま星空に吸い込まれるように消えてゆく。
「JIROも歌っちゃうよ、HISASHIも歌っちゃうよ、TAKUROも歌っちゃうよ、TOSHIも歌っちゃうよ、D.I.E.も歌っちゃうよ、みんなで歌っちゃうよ、楽しいね」 2度目のアンコールで、TERUは、はしゃぐようにそう言った。
斜面のため、客席のなかに作れなかったセンターステージの代わりにサブステージが下手に作られていた。客席を横から見る形で全員が並び、『I’m in Love』が歌われた。アンプラグドがよく似合う夜だった。
この日も花火が上がった。セットの関係だったのだろう、3日間でいちばんささやかな花火だった。でも、それで十分だった。
【記事引用】 「夢の地平/田家秀樹・著/徳間書店」