金森ホールでの凱旋コンサートの開演前、私はTシャツやロゴ、CDなどの物販をしていた。
すると、妙に馴れなれしい感じの中年のおばさんが近づいてきて、「あんた、ちょっとこのTシャツ4枚ちょうだい」と言ってきた。私にしてみれば、「ちょうだい」と言われても、あげるわけにはいかない。
「申し訳ないんですけど、これは売り物なんで買って頂きたいんです」と言うと、「じゃいいわよ。後でTERUからもらうから。とりあえず私が立て替えて買うわ」 こう言うと、4枚のTシャツを抱えるようにして会場に入っていった。
私はその時、そのおばさんが、市内で歌謡スナック・ペアを経営しているTERUくんの叔母さんだとは知らなかった。
●打ち上げ場所へ
ライブが終わると、「今日の打ち上げはTERUの叔母さんがやってる店でやろうよ」というTAKUROくんやスタッフの言い出しで、その店に足を踏み入れた。
すると、昼間に「そのTシャツ4枚もらっていくわ」と声をかけてきたおばさんが、GLAYのTシャツを着て待っていてくれた。
「あんた達のライブ、良かったわよ。さあ、今日はいっぱい飲もうね。みんな、親戚とか家族が来てるからさ、心おきなくやって!」 私は初めてその時、その人がTERUくんの親戚の叔母さんだということに気がついた。
「あ、あの時はごめんね。そうなの。私、TERUの叔母さんなんだよ」と言われた時は、逆に私のほうが恐縮してしまった。
この凱旋コンサート打ち上げの席には、関係者以外入れなかった。TAKUROくんのお母さんとお姉さん、JIROちゃんのお父さんとお母さん、そして妹さん、TERUくんのお父さんとお母さん、それにお姉ちゃんと妹さん。
そして、TERUくんの恋人とJIROちゃんの恋人もこの席に来ていた。JIROちゃんの恋人は高校時代の同級生で、凱旋コンサートを見るために、上京した東京からわざわざ函館まで駆けつけたのだ。
JIROちゃんのお父さんが、私にあいさつをしてくれた。「JIROがいつもお世話になって、いろいろとありがとうね。こんなに遠くまで来て親御さん、心配しないの?」と、手を差し出された。
私はお父さんの手を握りしめた。今まで握ったことのないようなゴツゴツした手だった。
私が「何のお仕事をしてるんですか?」と聞くと、お父さんは大きな体に似合わず、ちょっと照れたような顔をしながら「大工なんです。型枠の大工をしてます」と言った。
私は大工さんの手というものをその日初めて握った。マメだらけの手だった。
●乾杯!
乾杯をして、お互いに思い思いの話をしながらお酒を飲み始めると、TERUくんのお父さんが私の横に座った。
「おじさんはほんと心配したんだよ。函館生まれの田舎者が東京に行ってバンドでデビューするからったって、親は心配しないはずないじゃない。だから今は、ほんと夢みたいだよ。レコードも出たし、こんなにお客様がいっぱい来てくれるようなバンドになって…」
あまりの嬉しさからか、かなりハイピッチで飲んでいた。酔いつぶれながら、私の横でとうとうとTERUくんの子ども時代からの思い出話をしてくれた。「TERUくんて、両親にほんと愛されながら育ったんだわ」と思わずにはいられなかった。
JIROちゃんのお母さんは、ほんわかとした明るいお母さんだった。
「やっぱり子どもの生き方って信じてみるもんですよね。うちのお父さんはこの通り職人だから、長男のJIROに仕事を継がせたかったみたいだけど、息子が『東京に出てミュージシャンになりたい』と言った時、何も言わず黙って送りだしたんですよ」
「でもね、こんなにファンの方々がつめかけるようなライブもできるようになったし。まるで夢みたい」と、JIROちゃんが上京にいたるまでの経緯を嬉しそうに話してくれた。
ちょうどこの時、TAKUROくんのお姉さんの結婚が決まった直後だったようで、お姉さんと結婚相手の彼氏も見えていた。
叔母さんは、「これ以上食べ物を出されてももう食べきれない」というくらいに、イカやホタテや、そしていろいろな海産物の料理をテーブル一杯に並べてくれた。
「ここに来たらね、イカとか海産物を食べて帰らなきゃだめよ。美味しいんだから。今日の朝に水揚げしたばかりでとっても美味しいのよ。本土じゃこんなもの食べられないからね。お腹こわすくらいたくさん食べてよ」
●寂しそうなHISASHI
和やかな会話が会場のあちこちで飛び交っていた。
そんな中、家族が誰も来ていないHISASHIくんだけがちょっと寂しそうだったので、「HISASHIくん、私もお父さんもお母さんも来てないからさ。いいよね、おんなじじゃん」 と、声をかけてあげた。
久々の凱旋コンサート。そして、久々の家族との再会。その夜の打ち上げは、朝方まで続いた――。
【記事引用】 「GLAYインディーズ回想記/清水由貴・著(インディーズ時代のスタッフ)/コアハウス」