函館での初めての凱旋コンサートは、「灰とダイヤモンド」ツアー中の1994年10月17日。
地元ということもあり、金森ホールの入口には、開演2時間前からファンが集まっていた。金森ホールのキャパは約500人だったが、この時はスタンディングで600人くらいのファンがホールに入った。
それでも入りきらないファンがホールの周りにあふれ、ホールを取り囲む状況になっていた。
●JIROの誕生日
10月17日。この日はJIROの誕生日だったが、TAKUROとスタッフのアイデアで、GLAYのメンバーやスタッフ、ファンはわざとライブの終了間際まで一言も「JIRO、誕生日おめでとう」という言葉を出さなかった。
「今日はJIROの誕生日ってことをみんな知ってると思うけど、ステージでおめでとうって言わないでね。ライブの終盤に、けっこう大きなイベントを用意してるから」
ホールにファンを入れる段になって、スタッフは入口に立つと、ファンの子の一人ひとりにその内容を書いたチラシをまいた。ファンは、半信半疑ながら納得してくれた。
そして、ライブが始まった。
「なんで俺の誕生日なのに、誰もおめでとうって言ってくれないんだよ」 そんなちょっといじけた仕種や、「俺って、人気ないのかな」といった疑心暗鬼な表情をみせるJIRO。
スタッフが、「JIROを驚かせるから、誕生日おめでとうって言わないで」と、ファンに釘を刺したことをJIROだけが知らない。
ライブで用意した曲が全て終わった。そして、凱旋ライブということでライブが異常な盛り上がりを見せたので、2回目のアンコールをやろうということになった。
●感激の瞬間
『彼女の"Modern…"』をもう一度演奏することを全員で決めたはずだったが、いつまで経っても最初のドラムのフレーズが聴こえて来ない。不安そうにJIROが後ろを振り返った。
その時、詰めかけたファン、そしてスタッフが一斉に用意していたクラッカーを鳴らした。金森ホールの中は、急に熱気に包まれた。
唖然としているJIROを尻目に、TERUが、「ハッピーバースデートューユー」と歌い始めた。その歌に合わせて、会場全員がハッピーバースデーの歌を大合唱する。
たたみかけるように、スタッフの手によってステージに大きなバースデーケーキが運ばれた。大きな花束がTERUからJIROに渡される。「JIRO、誕生日おめでとう」
会場全体から、「JIROくん、誕生日おめでとう」コールが湧き起こった。突然の出来事に、それまで不機嫌な表情をしていたJIROは感激のあまり天を仰ぎ、溢れる涙をこらえようと必死になっていた。
楽屋に引き上げると、JIROは「みんなありがとう。俺の誕生日を忘れてなかったんだね。こんなに感激した誕生日は初めてだよ」と感激しながら感謝の気持ちを伝えた。
【記事引用】 「私の中のGLAY/清水由貴・著(インディーズ時代のスタッフ)/コアハウス」
「Message for GLAY」