夏至は一年でも特別な日。僕は日々、母なる地球と父<wbr></wbr>なる太陽に生かされていると思っている。
夏至は一年で、最も光合成がたくさん行われる日だ。
僕たちの暮らしは、全てと言ってもいいほど、太陽の光が無くては<wbr></wbr>成り立たない。植物は太陽光が無ければ、死に絶えてしまう。それ<wbr></wbr>は生態系ピラミッドの生産者層だから、植物が無くなれば、全ての<wbr></wbr>生き物が死に絶えることになる。
つくづく思う。46億年以上、宇宙(そら)にぽっかりと浮かんだ<wbr></wbr>母なる地球は、一年の半分の時間、父なる太陽の光を浴びながら、<wbr></wbr>回り続け、周り続ける。
夏至の日くらい、太陽に感謝しても良いんじゃないかな。
僕が棲む集落には、「中(ちゅう)払い」という昔からの風習があ<wbr></wbr>る。
それは、夏至の日、仕事を終えたみんなが簡単な食べ物を持ち寄り<wbr></wbr>、酒を酌み交わし、太陽に感謝する集まりだ。
ウチの隣にあるお宮さんに全戸から8人が集まる。僕は夕方、お宮<wbr></wbr>さんの草を刈っておいた。誰も見ていないと思っていたら、全員が<wbr></wbr>知っていた。何だかそれが嬉しい。たわいもない話をし、集落の未<wbr></wbr>来を語るんだ。僕はこの集落に家を建て、この集落で死んでゆこう<wbr></wbr>と決めています。そんな場所に巡り合えたのは、これが約束されて<wbr></wbr>いたことだから。
いくら浄化に贅を尽くしても、私たちは山が水を生むよう<wbr></wbr>には美しい水を生むことはできない
とどのつまり、水を守るには山を守るしかない。そして、<wbr></wbr>その山を守るには、山を守る人を守るしかない
僕の仕事(間伐)は、その結果を自分の目で見ることはあ<wbr></wbr>りません。仕事の成果は、30年~40年後にしか現れな<wbr></wbr>いのです。
まだ見ぬ子孫に、当たり前の地球を残すことが僕たちの使<wbr></wbr>命です。
一旦、人が植えた森林は、人が手を入れ続けるしかありま<wbr></wbr>せん。それが間伐です。
間伐することで、林内に光を入れます。後は母なる地球に<wbr></wbr>委ねます。地球環境を守りたいのなら、伐ったら見守るだ<wbr></wbr>けです。
人間が痛めつけた環境は、地球自身の自己再生能力で再生<wbr></wbr>するしかないのです。
人間にはこの星を元に戻す能力などありません。治し方も<wbr></wbr>知らないまま、壊し続けてしまったのですから。
たった百年の愚行は、この先何百年もかけて償っていかな<wbr></wbr>ければならない。
能力も資産も何も無い僕ができること。それは
「炭やきを通して、火の文化を守る」こと、
「山を手入れして水を守る」こと、
「間伐した木で「命の箱」を造り、きちんと使うこと」。
たったそれだけ。
僕が誇りを持って取り組む仕事です。
明日もいろいろ。
今日やりきれなかった製材所のこと、自治区内の枯れ松伐採仕事の下見、東京からのお客さんの対応、お宮さんの草刈り・・・・・
どれもがすぐにお金にならないことばかり。
でも、どれもが大切な僕の仕事。
「仕事」と「稼ぎ」両方できて一人前(ひとりまえ)。
「仕事」って、お金にならないことが多い。だけど、それ故に充実感があって、達成感もある。
ふと、「宇宙貯金」って言葉を思い出す。
今夜も夜空は星が瞬いている。
誰も見ていなくても、手を抜かずにやり遂げる。
そんなふうに貯めた宇宙貯金は、僕に直接返らなくても、きっと誰かを幸せにする。
だから僕は、明日も母なる地球の恵みで生かされる。
炭やきも、木こりも、木挽きも、誰かの命の箱造りも、
実は全部繋がり、シンクロし、宇宙の真理が決めた順番を待っている。
僕はただ、約束されたことを粛々と進めるだけなんだ。
愚直に、自分のできることを、自分のペースでやるだけなんだ。
結局、自分のやりたいことを、頑固に、楽天的に行うだけなんだ。
それが僕なりの「宇宙貯金」です。