今日はたまたま実家にいる。この時間、妙に目が冴えて、テレビを<wbr></wbr>見ていて、玉置浩二の唄に涙が出た。
石巻の人たちにに捧げる「田園」という曲。CDも持っているし、<wbr></wbr>今でもよく聴く曲なのに、泣けてきた。
僕はあの震災に対しても、この三年間、何もできなかった。自分の<wbr></wbr>薄情さに愕然としていた。
人の営みや、悲しみ、苦しみも、母なる地球は全て受け入れて、人<wbr></wbr>間の存在なんて関係なく、ただ回り続ける。
雨の原生林を歩きながら、そんな事を考えていたことを思い出した<wbr></wbr>。
「くるしい時には山を見て、もう逃げたりしないぞと言おう」
「虚しい時にはふるさとの母(だいち)を想い泣けばいい」
「清く正しく美しく」という、心に染みる唄だった。
僕は「清く正しく美しく」生きていない。自分の好きな事をしてい<wbr></wbr>るだけの、志半ばの半端者だ。
それがわかっている事が、唯一救われる。
今よりもっともっと、地に足着けて、踏ん張らなきゃいけない。
今日は52歳の誕生日。
会社を辞めたのが42歳の夏。もう、十年も前か。
誕生日になると、短いメールをくれていたお袋も、もういない。明日が49日。
早いものだ。
今日は冷たい雨が降る。
しっとりとした誕生日もいいものです。
ごくごく普通の一日。
朝一番に炭の原木調達の山を見に行き、その<wbr></wbr>足で製材所へ行き、昼まで挽き。
昼は家に帰り、昨日の残りのカレ<wbr></wbr>ーをパスタにかけて食って、ネットニュース見て、また製材所へ戻<wbr></wbr>って挽き。
家に帰り、ボイラー焚いて、飯炊いて、ゆっくりと夕食を食い、パ<wbr></wbr>ソコンで請求書を起こし、送信。
移動距離、12km。自治区から出ていない。
全ては自分の段取り、自己責任。誰も見ていないところで独り、黙<wbr></wbr>々と働く。
自分で使うエネルギーの一部は自分で調達し、平和で穏やかな時間<wbr></wbr>が過ぎる。
これって、実はすごく豊かな時間なんだろうな。
そして、今日もごくごく普通の一日。
次の窯に立てるコナラを割る。ひたすら割る。イヤホンからは長淵。
ジローは絶えず、僕が見えるところで遊んでいる。明日は雨か。
雨なら雨の仕事あり。晴れなら晴れの仕事あり。
小さな小さな稼ぎを果たすために、今日も独りで木と戯れる。
新月期が終わったので、木挽きと炭やきの毎日。
昨日はヒノキの香り、今日はドングリの木独特の甘い薫り。
幸せだなあ。